慈悲の魔物
「ごぷっ……! がほっごほっ! オ゛ェッ…………!」
身体の中で、爪を持った生き物が暴れ回っているような痛みを覚えた。
吐き気を感じて、迫り上がってくる胃の内容物と血液を吐き出す。
―――――今際の際に糸を垂らしただけだというのに、代償が大きすぎやしないだろうか。
霞む視界の中で、痛みにのたうち回りたいのを我慢しながら、漏れそうになる絶叫を噛み殺す。
(定められた死を覆したのは確かだが…………)
―――――だからといって、ここまでの痛みをもたらすのか。死んだ方がマシだと後悔しろとでも?
ハッ、とツバキが口角を上げる。
だからなんだ。それがどうしたと言わんばかりの、嘲りを多分に含んだ笑みだった。
(この痛みに耐えれば、主が笑ってくれる。きらきらとした稀有な瞳で見上げてくれる。その甘美に比べれば、どうと言うことはない)
ジャミルは今のツバキにとって、かつてツバキが命を賭すことも厭わない刀達と同等の存在であった。そんな存在が笑いかけてくれる。そのためならば何だって出来るのだ。
ザリ、と地面を踏みしめる音が聞こえた。
よく知る気配に、ツバキが苦笑する。
立ち去り方が不自然だったろうか、と血だらけの姿で首を捻る。
「つ、ツバキ…………?」
ツバキを追いかけてきたジャミルが、血だらけのツバキを見て驚愕を顕わにする。
「ツバキ!!!」
問題ないというように笑いかけると、ジャミルは弾かれたようにツバキの元へ駆け寄った。
「つ、ツバキ、なんでこんな……!」
「さっき、ユニーク魔法を使っただろう? その代償で少しな。まぁでも、問題ないさ」
死に逝く定めをねじ曲げたことへの代償は大きい。代償として、ツバキは身体の中身を掻き回された。内臓に深い傷を負った。
常人ならば痛みのあまりにのたうち回り、殺してくれと叫んでいたことだろう。ツバキでなければ死の淵を彷徨っていたことだろう。
けれどそんな痛みよりも、ジャミルが泣いていることの方が重要だった。
ジャミルはツバキに血を吐くような代償を必要とする魔法を使わせてしまったことにショックを受けていた。
偉大な魔法士でも、不可能はあるのに。完璧な生き物など、この世に存在しないのに。ツバキなら出来ると、そう思い込んでいたのだ。
「ご、ごめ、ごめんなさっ……! 俺が、俺がツバキに無理言ったから……っ!」
「無理じゃないさ。私だって、小さな命が失われるのは見たくない。だから、私のためでもある」
「ツバキ……!」
「ああ、泣かないでくれ、主。君が哀しそうにしていると、とても心が痛いんだ」
そう言ってジャミルの涙を拭うツバキは、血を吐いたときよりもずっと苦しそうで、痛そうで。ジャミルはツバキが、自分のために命を削ったのだと悟った。
けれど、何故そこまでするのか分からない。自分にそこまでの価値があるように思えない。
「どうして、ツバキはそこまでしてくれるの? どうして、俺なんかのために……」
「どうして、だなんて、酷いことを聞くなぁ……」
―――――命を差し出しても良いほどに、君のことが“特別”で“大切”だからだよ。
そう言ったツバキの目には一点の曇りもなくて、その言葉が全て真実であることを示していた。
どうしてそこまでの情を注いでくれるのか分からない。何も返せるものなどないというのに。
けれど、ツバキが自分をツバキの“特別”に選んでくれたのだ。そうあることを望んでくれているのだ。
ならば、そう思い続けて貰えるような主になりたいと。ツバキにふさわしい自分でありたいと。このときジャミルは強く強く、そう思ったのだった。