呪い仲間
放課後。アズール・アーシェングロットは部室棟を歩いていた。自身の所属するボードゲーム部に顔を出すためである。彼は最近、開業したばかりのモストロ・ラウンジに掛かり切りで、殆ど参加する事が出来なかったのだ。
ボードゲーム部は、基本的に緩い部活である。幽霊部員も多く、参加しても、ボードゲーム以外を楽しんでいるものも少なくはない。顔を出さなくても、誰に咎められることもない。けれどアズールは、この部活が決して嫌いではなかった。
彼がボードゲーム部に入った切っ掛けは、大きく分けて二つある。一つは不規則な参加でも、内申に響かないこと。これはナイトレイブンカレッジ入学以前より計画していたモストロ・ラウンジ営業を行うためである。
学生の本分は勉強である。部活も、その延長に存在する。しかし、ラウンジの営業はそれに外れるものだ。ラウンジ経営に傾倒して、部活を疎かにすれば、成績を落とす可能性があった。そのため、あまり顔を出さなくても問題にならない部活を選択する必要があったのだ。
もう一つは人脈作りのためである。将来有望な生徒。あるいはコネを作っておけば、後々有利になりそうな生徒がいるのが望ましかった。どれもこれも、自身が思い描く未来を実現するために必要不可欠なものだった。
結果として、その両方を兼ね備えていたのがボードゲーム部だったという訳だ。ボードゲーム部には、『異端の天才』と謳われるイデア・シュラウドが所属していたのである。次の寮長は彼になるのではないかという噂も流れており、彼と仲良くしておいて損はないと考えたのだ。
まぁ、最も、部活そのものに興味をそそられたというのもあるけれど。何せ、ボードゲーム部に数多く存在するゲームは、故郷の深海ではお目にかかれないものが多かったので。
様々な思惑を持って入部した部活ではあるけれど、アズールはボードゲーム部を結構気に入っているのである。なので、今日は久々に参加できるとあって、彼の機嫌はなかなかに良かった。彼の幼馴染みの双子の人魚がその場にいたならば、思わずちょっかいを掛けていただろう。
さて、お目当ての人は居るだろうか、と部室のドアを開ける。目的の人物は定位置とも言える席に着き、何やら真剣にタブレットを見つめていた。その顔は彼の弟であるオルト・シュラウドのギアのアップデートを行うときとよく似ており、何か良い案でも思い付いたのだろうか、とわずかに首を傾げる。
まぁ、部室にいると言うことは、部活をする気があるのだろう。対戦相手を待っている間に、少し考え事をしていただけかもしれない。アズールはいつものように、イデアに声を掛けた。
「こんにちは、イデアさん」
「お、アズール氏~! 待ってましたぞ~!」
タブレットから顔を上げたイデアは真剣な表情から一変、笑顔と言うにはいささか凶悪な顔をしてアズールを見上げた。彼はタブレットを仕舞い、いそいそとゲームを取り出す。アズールが部活に参加していなかった間に、何やら新しいゲームを手に入れたらしい彼は、楽しみでたまらないといった顔でテーブルにゲームを広げた。
「おや、初めて見るゲームですね。説明をお聞きしても?」
「うん。プレイヤーが商人になって、ターン事に手に入れた品物を使ってカードを購入する。そんで、その購入したカードからポイントを獲得して、先に20点先取した方が勝ち。単純だけど、これがなかなか侮れなくてですな。妨害カードとかもあって、市場価値も毎回変わるから嵌まるんですな、これが。アズール氏、そういうの好きでしょ?」
「ええ、とても興味をそそられます」
イデアの向かいの席に座り、ゲームを始める前に、使用するカードを見せて貰う。なかなかしっかりとした作りになっており、一枚一枚のデザインも凝っていた。見ているだけでも楽しめるカードを眺めていると、その中に、明らかに材質の違う紙切れが挟まっていた。見れば、そこにはイデアとオルトの名前。それからツバキという聞き慣れない名前が書かれており、勝敗の数が書かれていた。
綺麗な字だった。上流階級の子供は文字を書くのにも教師を付けると言うが、その類いの人間の文字だ。イデアの実家もなかなかに太そうだが、それと同等以上の知り合いが、彼にはいるようだ。つくづく良い部活に入ったものだ、とアズールがほくそ笑む。
「イデアさんにも、対面でゲームを楽しめるオトモダチがいらっしゃるのですね」
「え? あっ」
紛れ込んでいた紙を見せると、イデアは一瞬ぽかんと呆けた顔をした。それからすぐに我に返り、アズールの指から紙を引き抜く。それをポケットに仕舞い込み、もごもごと口を動かす。彼が話し出すのを待っていると、やがて観念したイデアが、ぽつりと呟いた。
「お、幼馴染みだよ……。僕がボードゲーム部に所属してるって知ってるから、部活に持って行って良いよって……」
「おや、イデアさんに幼馴染みがいるなんて、初めて伺いましたね?」
「べ、別に話す機会とか無かったじゃん……。いちいち自分から言うことでもないし……」
「それもそうですね。しかし、人見知りの激しいイデアさんに付き合える幼馴染みというのは気になります。まず、その方相手にどもらずに話せます?」
「アズール氏、拙者のこと舐めすぎでは???」
ムッとした表情で「しゃべれますし」と不満を訴える。確かに自分には平然と接している様子を見るに、ある程度慣れた相手ならば普通に話すことが出来るのだろう。けれど、同級生相手でもつっかえつっかえ話すものだから、どうしてもきちんとした付き合いが出来ているところを想像できないのだ。
「イデアさんと長年に渡り付き合い続けられるなんて、きっと心の広い方なんでしょうね。どんな方なのか伺っても?」
「ナチュラルにディスるじゃん……。拙者、先輩ぞ??? …………まぁ、確かに、心は広いんじゃないかな」
視線を落としたイデアが、机に並べられたカードを見つめてぽつりと呟く。
ツバキは、飼い殺しというのがぴったりの現状だ。一族の呪いを一手に引き受けて、疎まれ、恐れられながら閉じ込められている。それでも彼女は腐ることなく、誰を憎むこともない。自分だったら、世界を憎んでいただろう。自分と彼女が逆の立場だったら、果たして自分は、彼女のように笑いかけることが出来るだろうか。
「…………あの子はイグニハイドかサバナクローだと思ってたけど、案外オクタヴィネルの素質もあるかもね」
ツバキは努力家で、何もせずとも許されるのに、学ぶことを止めたりしない。清庭家の人々が集めた資料の他に、他国から取り寄せた呪いに関する資料を読み漁り、現状を打破することを諦めない。彼女のそういう気質は、勤勉な精神を司るイグニハイドか、不屈の精神を司るサバナクローに振り分けられる素質だろう。
けれど、彼女は底なしと思えるほどに、深い情を持っている。大切だと思った相手には、包み込むような大きな愛情を見せるのだ。誰かを愛し、慈しむ心は、慈悲の精神を司るオクタヴィネルの素質も十分に備えている。
「イグニハイドとサバナクローは両立しないのでは? あまりにも気質が違うでしょう。そして、オクタヴィネルの素質もあるって、どんな方ですか、それ」
「アズール氏、陰キャと陽キャのイメージで考えてるでしょ。引きこもりとオラオラ系で考えるからそう思うだけだよ」
「すいません、イメージに引きずられていました。確かに、勤勉と不屈の精神と捉えると、両立も可能かも知れませんね」
「そうそう。めちゃくちゃ真面目で努力家で、諦めとは無縁なんだよね。妥協はするけど、ほんとギリギリを攻めてくるし。あと、大事な相手には何かしてあげたいって思う気持ちが強いって言うか……」
「なるほど……。それなら確かに、それぞれの寮の素質を備えていますね」
その幼馴染みとやらは、ナイトレイブンカレッジに入学してくるだろうか。もし入学案内が届いているならば、是非ともオクタヴィネルに来て欲しいものだ。実家の太そうな相手とは、是非ともお近づきになりたい。イデアとより親交を深めるためにも、その幼馴染みと仲良くなっておいて損はないだろう。
「その方はおいくつで? 今このような話をされていると言うことは、来年辺りに入学を控えているのですか?」
「君と同い年だよ。その子にはちょっと事情があって、学校に通えなくてさ。このゲームを貸してくれたのも、一人でやってもつまらないから、タンスの肥やしにしてしまうって。だから、使ってくれる人が持っていてって……」
そう言ってゲームで使用するアイテムを用意するイデアの手元を見つめながら、その事情とやらを思案する。事故などによる怪我ならば、それは一時的なものだ。仮に障害が残ったとしても、通う手段は存在する。王族のような、ちょっとした外出にも命の危険が伴う立場でも、護衛がいれば寮生活だって送れてしまう。この学園には、そういった生徒が複数いる。そうなると、病気というのが妥当だろうか。それならば、容態の急変などを理由に、学校に通えないというのも頷けた。
どのような理由でも、事情を聞くのは憚られる。曖昧に頷いて、この話を終わらせようとしたとき、付け加えるように、イデアが改めて口を開いた。
「そもそも、女の子だし」
―――――だから、事情がなくても入学は出来ないんだよね。
何気なく呟かれた言葉に、アズールが椅子から転げ落ちそうになったのは、彼だけの秘密である。