呪い仲間
「というわけで、授業を録画させて欲しいんだけど」
「どういうわけだ」
学園に戻ったイデアは、すぐさま錬金術教師のデイヴィス・クルーウェルに声を掛けた。声を掛けられたクルーウェルは、まさか人見知りの激しいイデアが自分から声を掛けてくるとは思わず、酷く驚いていた。これ賄賂ね、と渡されたレーズンバターサンドを咄嗟に受け取ってしまうくらいには。
「詳しい事情を話せ。そうでなくては検討することも出来ん」
つい受け取ってしまったお菓子を持て余しつつ、クルーウェルが眉間に皺を寄せる。授業を録画するというのは、ナイトレイブンカレッジでは非常に悪手だ。試験時にカンニングに使用したり、失敗した映像を使って弱みを握ったり、様々な悪巧みに使われるだろう。イデアほどの優秀な生徒ならカンニングに用いることはないだろうが、妙なことに使われてはたまらない。イグニハイドに所属する勤勉さは、ときにとんでもない方向に向かって突き進むのだ。今のうちに軌道修正できるなら、それに越したことはない。
梃子でも動かない姿勢を見せると、イデアは渋々と言った様子で口を開いた。
「…………ぼ、僕の、幼馴染みが、ちょっと事情があって、学校に通えなくて……。錬金術の授業が出来ないんだよ……」
錬金術の授業は、資格を所持している教師にしか務まらない。使用する薬品の中には劇薬が含まれることも多い為である。故に、一般家庭で錬金術を行うのは、非常に危険なのだ。学校に通えない子供が、錬金術を行えないのは当然である。しかしそうなると、実際に錬金術を行ったことがある生徒とない生徒では、成績の面で開きが出てしまうのだ。まさに、百聞は一見にしかず。成功時に発生する香り、色、反応。それを正確に答えるには、実物を見ないことには難しい。イデアはせめて、映像だけでも見せてあげようというのだろう。
ナイトレイブンカレッジの教師達は、性格が大変よろしくない。生徒達が課題やレポートで必死になっている様を酒の肴にする程度には、彼等の性格は歪んでいる。けれど、それでも教職に就いたのは、それだけの志あってのことだ。手の掛かる生徒だって煩わしくもかわいいし、勉強熱心な生徒を思わず贔屓してしまいたくなる程度には、彼等は生徒を愛していた。そんな生徒に頼られて、嬉しくないわけがないのだ。まぁ最も、そんな感情はこれっぽっちも表に出したりしないのだが。
「その幼馴染みの学年は?」
「え? ぼ、僕の一つ下だけど……」
「なら、1年生か。よし、そういうことなら今日の放課後に植物園に来い。お前が実践して、それを見せてやれ」
「えっ」
「設備が揃っているのなら、お前お得意のリモートで見せてやるといい。その方が、分からないところを俺が教えてやれるだろう?」
「………………本人に聞いてみる」
そう言って、イデアはその場でタブレットを操作する。相手もスマホを触っていたのか、返信はすぐに来たようだった。
「り、リモートだと有り難いって……」
「決まりだな。希望する授業はあるか?」
「え、えっと、眠り姫と、幻想薬が見たいって。それから、眠りネズミの髭じゃなくちゃいけない理由も聞きたいらしい。灰色の琥珀でも良いんじゃないかって」
「ほう? なかなか良い着眼点だな」
魔法薬には“プリンセスシリーズ”と呼ばれる“姫”の名を冠する薬があるのだ。眠り姫はそのうちの一つ。名前の通り、睡眠薬の類いだ。しかし、姫の名の通り、女性にしか効果のないものだ。余談ではあるが、“プリンスシリーズ”といって、“王子”の名を冠する、男性にしか効果のない魔法薬も存在する。
幻想薬は、これまた名前の通り、幻想を見せる薬である。精神的な病を抱えた人に対する治療に用いられることもあるもので、学校の授業では効果は極限まで薄められ、持続時間もごくわずかなものを習う。使い方によっては大変危険な代物であるので、それは当然の措置だった。
これらの薬は、成功時の判別が難しい。色味の変化はわずかで、完成時の燐光と香りで判断するのだ。これは実際に目で確認しなければ、理解しにくい部分も多いだろう。魔法薬のチョイスとしては的確だった。
また、質問の内容も、魔法薬学の教師としては教え甲斐があるものだった。なかなか良い生徒になりそうだ、とクルーウェルの口角がわずかに上がる。
「そ、その……場合によっては、幼馴染みが、途中で席を外すかも……」
「ああ、事情があって学校に通えないんだったな。分かった。そういうことならば、録画も並行して行う許可を出そう」
持病でも抱えているのだろうか、と頭の片隅で考えながら、口を噤む。自校の生徒ならば、万が一に備えて詳しい話を聞くが、残念ながら、その幼馴染みはナイトレイブンカレッジの生徒ではない。プライベートな部分を尋ねるのは控えて、イデアには放課後に植物園に来るように言い置いて、クルーウェルは早速準備に取り掛かることにした。その足取りは、どこか軽やかなものだった。
***
『初めまして、ツバキ・サニワと申します。本日はお時間を頂き、ありがとうございます』
―――――女の子!
放課後、指定の時間に白衣を持ってやってきたイデアにタブレットを渡されたクルーウェルは、画面に映った相手に目を瞠る。イデアの幼馴染みというものだから、てっきり男の子だと思い込んでいたのだ。それがまさかの女の子。男の子だと考えて画面を覗き込んだものだから、まだ幼さの残る少女の顔に驚いてしまったのだ。美しい黒髪に、オニキスのような瞳。華やかさには欠けるけれど、整った顔立ちをした女の子。淡く微笑む様子は、野花のようなかわいらしさがあった。
なるほど、とクルーウェルはしたり顔で頷く。普段は色々と物申したくなる生徒ではあるけれど、かわいらしい幼馴染みのためならば頑張れる紳士だったというわけだ。なかなか隅に置けない奴だ、とクルーウェルが口角を上げた。にやにやと笑う教師にいたたまれなくなったイデアは、視線を彷徨わせながら腕をさすった。
「初めまして、レディ。俺はデイヴィス・クルーウェル。本日の教師を務めさせていただくことになっている」
『はい、よろしくお願いします、クルーウェル先生』
「グッガール。分からないところがあったら、都度質問するように」
『分かりました。イデアもありがとう。私の代わりによろしく頼みよ』
「う、うん……」
クルーウェルは、授業と同じように、黒板に手順を書き起こす。タブレットの向こうで、ツバキはそれを真剣な顔で板書していた。使用する薬品などを示しながら、詳しい効能や何故その薬品を使用するのかを詳しく解説していく。的確な質疑に、打てば響くような応答。闇の鏡に寮分けをさせたらイグニハイドだろうか、と想像しながら授業を進める。
一通りの説明を終えたら、次は実践である。普段ならば色々な手順をすっ飛ばし、独自の方法で魔法薬を生成するイデアだが、今日は幼馴染みのためか、クルーウェルの解説通りの手順でこなしていく。それも、授業で行うよりも丁寧に。
『リラの実って切るとこんな感じなんだな。図鑑では外側しか載っていなかったから、ちょっとびっくりした』
「分かる。外側からは想像も出来ないから、僕も初めて見たときは思わず放り投げそうになったよ……」
『私も自分で切っていたら、飛び退いてしまっていたかもしれない……』
こそこそと交わされるやり取りに、クルーウェルは思わず口元を覆った。兄と妹のような微笑ましさの中に、ほんの少しの甘酸っぱさが混じっている。おっかなびっくり、けれど興味津々に大釜の中を見つめるツバキの顔を、イデアはこっそり盗み見ていた。手元を疎かにするようなヘマはしないが、ツバキの顔を見つめていたくてたまらない様子だった。
クルーウェルは、今夜はこれを肴に酒を飲もう、と心に決めた。
「おお」と画面の向こうから歓声が上がる。魔法薬がキラキラと、成功したときにのみ見られる輝きを放っていた。ちらりとツバキを見れば、白い頬が、ほんのり上気して赤くなっていた。キラキラと輝く瞳は知識欲と好奇心が見て取れて、クルーウェルの教師心をくすぐった。勤勉で、熱心で、好奇心旺盛。何より素直。彼の中で、ツバキはすっかりかわいい仔犬として認識されていた。イデアにはじとりと睨まれたが、クルーウェルはさらりと躱す。
「さて、今のが成功時のみに見られる反応だ。淡い緑の燐光を、きちんと覚えておくように」
『はい!』
大輪の花を思わせる笑みを浮かべ、ツバキが大きく頷く。その顔が自分に向いていないことにイデアがムッとするが、ツバキがイデアの成功を喜び褒めちぎると、その顔はすぐに上機嫌なものに変わる。
何ともまぁかわいらしい仔犬達だと、クルーウェルは優しく微笑んだ。今夜はきっと、さぞや酒が美味いことだろう。