呪い仲間
イデア・シュラウドには、一つ年下の幼馴染みがいる。彼の弟であるオルト・シュラウドに、姉のように慕われている少女である。少女の名はツバキ・サニワ。シュラウド家のように、どうしようもない呪いを身に宿した、呪い仲間であった。
ツバキの血に根ざした呪いは、シュラウド家のそれよりも、ずっと酷いものだとイデアは顔を顰める。何せ、呪いが実態を持ち、直接命を狙ってくるのだから。彼女の祖国である東方の国の武器―――――刀を持って襲いかかってくる怪物の姿を見たとき、イデアは人生で初めて腰を抜かしてしまった。そのくらいには恐ろしい、異形の化け物だったのだ。
さらにタチの悪いことに、その呪いは時も場所も選ばない。何の条件で現れるのかも判明しておらず、いきなり空間を裂いて現れるのだ。そのため、ツバキは基本的に人との関わりを避けなければならない。奴らは、周囲に無辜の民がいようとも、お構いなしに襲いかかってくるのだ。故に、ツバキは一族から与えられた屋敷に一人きり。敷地は広大であるけれど、籠の鳥であることには変わりない。
普通だったら耐えられない環境だ。四六時中命の危機にさらされた状態で、孤立無援の状況に置かれている。幼い頃は護衛や見張りがいたけれど、一人で呪いに対処出来るようになってからは、それらも全てなくなった。外道だと罵られても、彼等は文句の一つも言えやしないだろう。
けれど、その呪いの受け皿となってしまったツバキ本人は、何のことはない、とケロッとしている。同じく刀を持ち出して応戦し、さっさと退治してしまうのだ。とんでもねぇ女の子である。
ナイトレイブンカレッジに入学することになったら、サバナクローに選ばれてしまうことだろう。そして、あの弱肉強食の世界でも、彼女ならば問題なく過ごせてしまう。むしろ、天下を取ってしまいそうだな、と思うのは、幼馴染みの贔屓目だろうか。
「なぁ、イデア。ここ、教えて欲しいんだが……」
「ん、どれ?」
「錬金術の、実験結果の正しい反応がいまいち分からなくて……」
東方の国、ツバキに与えられた屋敷の一室で、ツバキの課題を見ていたイデアは彼女の手元を覗き込む。
彼女の屋敷には、闇の鏡のように、長距離移動が可能な魔法具が設置されているのだ。立ち入り禁止の措置も為されていない。ただし、命の保証はされていない。ここに立ち入るのは、完全な自己責任である。それを承知で、オルトと共に、イデアはよく屋敷に遊びに来ていた。
今日は遊びに来たときに、ツバキが課題をこなしていたから、一つ年上の先輩として、彼女の勉強の手伝いをすることになったのだ。
彼女は勤勉で、予習復習を欠かさない。勉強が嫌いではないのだろう。名門と言われるナイトレイブンカレッジでも、そこそこ上位に食い込めるだけの成績を叩き出している。稀に躓くのは、今回のように実践に伴う筆記である。彼女はリモートで授業を受けており、錬金術などの実験は免除されているのだ。そのため、文章だけではいまいち理解しきれない事が多く、実際に錬金術を履修しているイデアに尋ねてくることが多かった。
「ああ、ここね……。確かに実際に反応を見ないと難しいかも」
「そうなんだよな。せめて、映像だけでも見られれば良いんだが……」
錬金術の実験は、免許を取得した教員がサポートについた状態で行わなければ、大変危険なものである。使用する薬品や、分量を間違えれば爆発が起きたり、人体に影響を及ぼす有害物質が発生するのだ。リモートでの授業では、有事の際のサポートが出来ない。そのため、ツバキは錬金術の実践をしたことがないのだ。文章から膨らませて、想像の中で補うのにも限度があった。
教師からお墨付きを貰えれば、個人で実験を行うことが許可されるものもある。イデアがサポートについて実践させられれば良いのだが、それもまた難しい。実験の最中に、呪いが降り注ぐ可能性もあるのだ。そのような危険は犯せない。
「映像、ね……」
課題の説明をしながら、イデアは授業の隠し撮りでもしようかな、とぼんやりと思案する。ナイトレイブンカレッジの教師達は性格は最悪であるものの、勉強熱心な者には大層甘いのだ。事情を話せば、ある程度なら許容してくれるだろう。
賄賂を用意しておかなければ、と頭の片隅にメモを書きつつ、見事正解を導いたツバキの頭を撫でるのだった。
***
ツバキが課題に取り組んでいる間、イデアと共に遊びに来ていたオルトが何をしていたかというと、ツバキの作った畑で食べ頃の野菜を収穫していたのだ。ツバキ一人で行っているため規模は小さいものだが、季節に応じて様々な野菜を作っている。秋から冬にかけてはトマト、大根、ほうれん草を栽培している。
トマトは夏野菜のイメージが強いが、春や秋に食べても美味しい。気温の高い夏は、トマトの成長が早い。そのため、糖度が上がる前に収穫されるのだ。故に、夏のトマトは水分が多く、さっぱりとしている。水分補給に丁度良い野菜である。
一方、涼しい季節に収穫されるトマトは、夏と比べて成長が緩やかで、糖度が上がったものを収穫することになるのだ。そのため、甘味のあるトマトを食べることが出来るのである。
季節に応じて違った味わいを見せるトマトは、常に畑のどこかに顔を出している。ツバキの畑のお馴染みの野菜だった。故に、何度も収穫経験のあるオルトは、一番美味しい状態のトマトをきっちり選んで収穫した。もちろん、大根やほうれん草も。
「兄さーん、
「ありがとう、オルト。課題はきちんと終わったから、お昼を食べたら一緒に遊ぼうか」
「やったぁ! 僕、やってみたいゲームがあったんだ!」
「ふふ、すぐにお昼の用意をするから、手伝ってくれるか?」
「もちろんだよ!」
籠いっぱいに収穫された野菜を抱えて戻ってきたオルトを、ツバキが優しく出迎える。ツバキが持つには重いだろうから、と籠はイデアが受け取った。
そのまま向かった台所は、三人で作業をしても、お互いが邪魔にならないだけの広さがある。ツバキに与えられた屋敷一体は、元々は修練場を兼ねた場所だった。今はツバキしか使用していないが、昔は大人数の出入りがあったため、台所も広いのだ。調理台に籠を置き、それぞれが髪をまとめ、エプロンを身につける。きちんと手を洗って、ツバキは冷蔵庫の中を覗き込んだ。
「今日のお昼ご飯は何にしようかな。チーズがあるから、トマトのチーズ焼きにするか。卵と炒めるか。お味噌汁に入れても美味しいしなぁ」
「他のおかずは何を考えているの?」
材料を確かめながら献立を考えているツバキの肩越しに、オルトも冷蔵庫の中を覗く。材料をスキャンして、ネットの海に存在するレシピを検索し、すぐに中断した。料理を作ることに慣れているツバキは、あり合わせの材料で料理を作ってしまうため、検索結果が役に立つことはあまりないのだ。合わせたら美味しそう、という理由でその場にあった材料を混ぜ込んでも失敗しない程度には、味覚のセンスも良い。誰が考えたか分からないレシピよりも、彼等にはよほど信頼性があった。
「そうだな……。豚肉と鶏肉があるから、豚バラ大根か、鶏肉と大根の煮物にしようか。みぞれ煮やそぼろ煮も美味しいけど、それはイデアのお弁当にしようと思っているよ」
「徹夜明けに食べると沁みるやつだ……。助かる……」
「ふふ、たくさん作るから、きちんと食べるように。でも、徹夜はほどほどに」
「はい」
イデアが両手を合わせてツバキを拝む。ツバキはよく、食事を疎かにしがちなイデアのために、お弁当を作って持たせるのだ。作った料理をお弁当箱やタッパーに詰めて、魔法で急速冷凍させ、状態維持と保存の魔法を掛ける。あとは、イデアの自室にある冷凍庫に詰め込んで、彼の好きなときに食べるのだ。
食事に関心の薄いイデアだが、食べることが嫌いなわけではない。ただ、食事よりも優先したいことが多すぎて、どうしても忘れてしまうのである。けれど、わざわざ作って貰ったものを無碍にしないだけの良識は持ち合わせているから、ツバキが作ったお弁当はきちんと食べるのだ。彼女が作った料理が美味しいというのもあるし、何よりツバキが自分のために作ってくれたものだから、というのも大きいけれど。
「よし、決めた。今日はほうれん草と油揚げの味噌汁に、豚バラ大根。卵焼きに、トマトのチーズ焼き。キノコとツナのポン酢蒸しです」
「うわ、絶対美味しいやつ……。ぼ、僕も手伝うよ……」
「僕も!」
「ありがとう。なら、二人にはトマトのチーズ焼きとポン酢蒸しを頼もうかな」
「任せてよ!」
「お米は?」
「朝のうちに準備して、セットしてあるから問題ない」
ツバキの使用する刃物の類いは、よく手入れがされていて、切れ味が良い。人間の指くらいならば、簡単に切り落とせてしまいそうだ。ツバキの包丁を握るたび、イデアは内心ちょっと怖がっている。それを察してか、イデアが料理を手伝うとき、ツバキはあまり包丁を使用しないものを頼むのだ。
オルトに調味料を揃えて貰っている間に、イデアはトマトに向き合う。へたを切り落とし均等な厚さになるようにスライスしていく。トマトは切っているときに潰れてしまいがちだが、切れ味の方が勝っているのか、気持ちいいほど包丁が入っていく。それが楽しい反面、やはり恐ろしかった。
切ったトマトをオルトが耐熱皿に並べ、上に調味料とチーズを掛け、オーブンへ。その間に、イデアはしめじの石突きを落とし、手でほぐす。エリンギとマイタケも食べやすい大きさに裂いていく。オーブンにセットして戻ってきたオルトが用意されたキノコとツナを耐熱ボウルに移し、調味料を入れて、ラップを掛ける。それも電子レンジへ。3分ほど加熱し、一旦取り出して、全体を混ぜ合わせ、再度加熱する。あとは好みで黒こしょうや鰹節を掛ければ完成だ。
シュラウド兄弟の隣では、ツバキが豚バラ大根と味噌汁を作っていた。すでに、余った材料を別の料理にする段取りも終わっており、相変わらずの手際の良さに感嘆する。単純に、イデアが料理慣れしていないだけかもしれないが。
余った材料は、大根の皮と葉っぱである。大根の皮は細切りにされており、葉っぱはみじん切りだ。今まで食べた料理から察するに、葉っぱはふりかけ、皮はきんぴらか漬物だろう。漬物も美味しいけれど、きんぴらが良いなぁ、と思いながら、使い終わったボウルや菜箸を流し台に持って行く。スポンジを泡立てていると、ツバキが楽しげな顔でイデアを見つめた。
「イデア、大根の皮と葉っぱは何にするのがいいと思う? 皮は漬物かきんぴらが良いかなって思ったんだけど」
「なら、きんぴらにしてよ、きんぴら。あれ好き」
「いいよ。大根の葉はふりかけにしようか。それかご飯に混ぜて、混ぜご飯にする?」
「どっちも好きなやつ……。えー、じゃあ、混ぜご飯で」
「ふふ、了解」
イデアは白米があまり好きではない。美味しくないわけではないけれど、何年経ってもおかずと一緒に食べることが苦手なのだ。下手と言ってもいい。また、ツバキの作る混ぜご飯や炊き込みご飯が美味しい、というのも大きいだろう。ツバキの料理はどれも美味しいけれど、特にお米を使った料理が美味しいのだ。夜食として用意されたおにぎりや、徹夜明けに食べた雑炊。パエリアやリゾットも、誰でも作れそうなものなのに、何故だか酷く美味しく感じられるのだ。今からお昼ご飯を食べるのに、お弁当の中身も気になってしまってたまらない。今回は何を詰めてくれるのだろうか。そわそわしながら調理器具を洗っていると、ツバキがくすくすと笑った。
「中身はきちんとお弁当を食べた人だけが知れます」
だから今は秘密だよ。そう言ってツバキがふわりと笑う。花が咲いたような笑顔がかわいくて、イデアは思わず皿を取り落とした。