右大将リリア×姐さん






 リリアは頭を抱えていた。数日後に控える、結婚記念日のプレゼントが全く思い付かないからである。
 妻のツバキはイベント事に執着がない。出来たらするけれど、それ以上に優先するものがあるのなら、そちらを優先するタイプだ。そもそもとして、彼女は季節の移ろいを楽しむような、些細なことが好きだった。大きなイベントを盛大に執り行うことも吝かではないけれど、日常に取り入れやすい行事などを細々と行うことを好んでいる。
 そんな彼女だが、誕生日と結婚記念日だけは決して忘れないのだ。ツバキの中で、「これだけは譲れない」という線引きを、その二つは超えているのだろう。どんなに離れた場所を旅していようとも、この日だけは谷に帰ってくる。何かしらのトラブルがあって帰れないときも、手紙やプレゼントの類いだけは谷に届くのだ。
 お互いに、心の一番奥底に譲れない想いを持った二人だ。故に始まりは恋ではなかったし、愛に似たものはあるけれど、友愛を少し踏み越えたような思いだった。けれど、この二つの大切な日を彼女が祝うのは、確かな情を持ってリリアと一緒になったのだと、彼に伝えるためなのだ。言葉で、態度で、心を示すのだ。そんな風に、彼女が想いを伝えてくれるから、リリアもこの日を大切に過ごしたい。だからこそ、それにふさわしい贈り物を探しているのだが、これがなかなか難しいのだ。


「一年の半分くらいは旅に出てやがるし、実用性のあるもんか、身につけられるもんがいいか……?」


 リリアも長く旅をしていたため、旅に必要なものはいくらでも思い付く。けれど、どれもこれも妻に贈るにはあまりにも無骨すぎて、その案は即座に却下された。振り出しに戻って、再び頭を抱える。
 アクセサリーの類いを身につけるところは見たことがない。宝石の類いを美しいと評価する感性はあれど、欲しいと願うほどの価値を見出してはいない。
 髪飾りや、旅の無事を祈願するアミュレットの類いはすでに何度も贈った。どれもこれも壊れるまで大切に使ってくれていた。今回もそれらにするべきか、と思案するも、あまりに同じ贈り物を繰り返すのは思考停止と同じなのではないか、という考えが脳裏を過ぎる。少し考えて、これも却下した。


「…………無難に花でも贈るか……?」


 生活を彩るものとして、ツバキは花を生ける事があった。窓辺や玄関、食卓の隅だったり、ふと顔を上げると目につくような場所に、季節の花を飾るのだ。それを見て、「ああ、この季節か」と感慨深くなるような花を。
 花になど興味を持たなかったリリアが季節を感じられるまでになったのも、ツバキが花で生活を彩ってきたからである。それほどまでに、ツバキと花は切っても切り離せない。
 このチョイスは悪くないのではないか、と気分が上向く。花はプレゼントの定番である。定番であるということは、それだけ愛される贈り物であるということだ。何より、ツバキは花が好きだった。
 そうと決めたリリアは早速花屋に向かった。花に詳しいタチではないため、ツバキが好みそうなものを選んで、記念日当日に合わせて花束を注文した。他にも何か、と色々と考えを巡らせてみたけれど、花束以上のものは出てこず、結局は花束のみということにした。下手に何かを添えても、きっと良いことはない。それならばシンプルに決めた方が良い。


「ただいま」


 ツバキが帰ってきたのは、記念日の前日だった。記念日のご馳走を作るための食材を買ってきたのか、両手で荷物を抱えている。
 記念日にはちょっとお高いレストランに行ったり、いつもは出掛けないようなところに出掛けたりするような夫婦が多いだろう。そういう風に過ごすのも良いけれど、顔を合わせたくない者が多い二人には、家で穏やかな時間を過ごすのが丁度良いのだ。そもそも、格式高い店の料理はリリアの舌に合わない。ツバキの作る何でもない料理の方が、ずっと舌に馴染んで、美味しく感じられるのだ。


「おかえり。ほら、重いだろ。こっちに渡せ」
「ありがとう。助かるよ」
「キッチンに持って行けば良いか?」
「ああ、頼む」


 明日は何を作るのだろう、と材料に目を通す。珍しい食材は特になく、いつもとさほど変わらない。リリアとしてはツバキの料理は何でも美味しいと思うので、別にどんな料理でも構わない。
 (そもそもリリアは舌の許容範囲が他より広いので、見た目に現れない程度の失敗ならば気付かずに食べてしまうだろうけれど)
 これが胃袋を掴まれるということなのだろうか、とツバキに気付かれないように苦笑する。
 一緒に荷物を片付けて、二人で飲み物を入れる。ソファに座って、今回の旅の成果を聞く。そんな普通の事が、酷く幸せだった。


「今回は夕焼けの草原の付近を旅したのだけれど、渡り鳥が海へ旅立つ瞬間に立ち会ったんだ」
「ほう。そりゃ、さぞ見応えのある光景だったんだろうな」
「ああ。夕焼けの草原はその名の通り、夕焼けが美しい国だろう? その夕焼けの中に消えていく何万という鳥たちは圧巻で、しばらく言葉を失ってしまったよ」


 キラキラと目を輝かせて、その瞬間の素晴らしさを語るツバキに口元が緩む。
 彼女の瞳に映る世界は、酷く美しい。彼女は悪いところよりも良いところに目を向けて、どんなものだって賞賛してみせる。リリアだったら斬り捨ててしまうようなものにも価値を見出して、宝石を見るような目で見つめるのだ。
 彼女はいつだって、どんな些細なことにだって希望を見出して、常に明るい方を見つめ続ける。そんな風に、光ある方へ進んでいくツバキだから、ここまで心折れずに生きてこられたのだろう。
 世界中が戦争の残り香を漂わせる中、迫害を受けながらも旅を続けるのは、相当は気力を要する。そんな中で、見つけられないと分かっているものを、それでも諦めずに居られたのは、そういった気質のおかげだろう。そんな彼女の強さを、リリアは一等愛していた。


「それで、君にもその瞬間を見せたくて、そのときに付けていた髪留めに時止めの魔法を掛けて持って帰ってきたんだ。うまくいくか分からないけれど、君のユニーク魔法なら、もしかしたらと思って」


 そう言って、ツバキが布に包まれた髪留めをリリアに差し出す。それはリリアが彼女の誕生日に贈った、スズランの花がモチーフになった髪飾りだ。ツバキの黒髪に似合いそうだと思って選んだもので、アクセサリーの類いを贈ったのが初めてだったこともあってか、彼女は酷く驚いていた。その後、ゆっくりと笑み崩れていく様子は、今でもはっきりと覚えている。
 ちなみにツバキが何故それほど驚いていたかというと、リリアのセンスは割と壊滅的なので、予想外にかわいらしいものをプレゼントされて驚愕していたのだ。リリアは知るよしもないが。
 閑話休題。
 離れた国に居ても、自分のことを考えてくれているのかと、リリアの胸に熱いものが込み上げる。少しは自分も、彼女の心に根付いたと言うことだろうか。


「…………時止めの魔法なんて、どこで知ったんだよ」
「とある国の禁書庫で。気分転換に読んだものだったんだが、なかなかに興味深い魔法がたくさん載っていてな。使えそうなものだけ覚えておいたんだ」
「お前な……」
「ふふ、悪用する気はないから、見逃してくれ」


 基本的には善人なのだが、悪いことだって出来るのがツバキという女だった。動乱の世をその身一つで生き抜いてきたのだから、そのくらいの強かさを身につけているのは当然とも言えた。怪しげな色を湛えた瞳で笑うツバキに、きゅんと胸が高鳴る。たまに見せる冷徹な部分を嫌悪するものも居るけれど、ただの良い子ちゃんにはないスパイスは、リリアの瞳には魅力的に映るのだ。
 ほら、と再度髪飾りを差し出される。逡巡して、その手に重ねるように手を置き、髪飾りに魔力を込めた。


「全ては過ぎ去る日のように。どこへ向かうも瞬きの間よ。―――――遠くの揺りかごまでファークライ・クレイドル


 魔法を発動させた瞬間、世界が真っ赤に染まった。
 地平線に沈みゆく夕日。茨の谷では見られない、大きな光の塊。世界の果てに向かって、懸命に羽ばたく何千何万という渡り鳥。それは、えも言われぬ美しさだった。
 ああ、ツバキは、この景色を見たのか。この美しいものを見つめながら、己のことを想っていたのか。それは、なんて幸せなことだろう。


「―――――ああ、美しいな」


 思わず、感嘆のため息が漏れた。美しい景色と、この夕日をリリアにも見せたいと思ってくれた、ツバキの心根に感動したのだ。
 夕日に照らされたツバキが、嬉しそうに目を細める。リリアを見つめる瞳が、星のように輝いていた。


「良かった、うまくいって。私が美しいと思ったものを君にも見て欲しかったから」
「ああ、ありがとう、ツバキ。すごく、綺麗だ」


 魔法の効果が切れる。目の覚めるような赤で彩られていたツバキの色彩が、徐々に見慣れたものに戻っていく。
 夕日に照らされたツバキも美しかったが、茨の谷の柔らかい日差しに照らされたツバキの笑みも、変わらずに美しかった。



***



 結婚記念日の料理は、全てツバキが作ることになっている。ツバキは料理を作るのも、美味しいものを食べるのも好きなのだ。旅先で見つけた珍しい料理だとか、美味しかったレシピを自分で再現することもある。本人的には「ちょっと違うな……」と首をかしげることが多いけれど。
 リリアは手伝わないのか、という話であるが、下拵えくらいは手伝うことはある。けれど、ツバキの料理に自分が手を加えるのが何だか勿体なくて、ツバキが料理をするときは、リリアは基本的に手を出さない。その代わり、皿洗いなどの片付けを一手に負うことになっている。
 ツバキが料理を作っている間、リリアはテーブルの準備を行う。テーブルクロスを掛けて、見栄えが良いように花を生けたりするのだ。


「すまん、ツバキ。少し出てくる。すぐに戻る」
「ん、分かった。気をつけて」
「ああ」


 注文した花束を受け取りに、リリアが街へと駆けていく。花屋は希望通りの花束を作ってくれていた。赤を基調とし、白と淡いピンクの花がわずかに添えられている。
 女性の好みそうな、淡い色合いの花で作っても良かったけれど、ツバキには鮮烈な赤が一等似合うのだ。リリアとしては、赤色を外すわけにはいかなかった。


「うん、悪くない」


 夜のような黒髪と、雪のような白い肌に映える出来栄えに、リリアは満足そうに微笑む。やはり、赤を選んで良かった。きっと、ツバキによく似合う。


(この花が枯れるまでは、うちに居てくれたら良いんだが……)


 それは流石に贅沢か、と肩を竦め、花が傷まないようにそっと抱えながら、リリアは帰路に着いた。



***



 リリアが家に帰ると、リリアがドアに手を掛ける前にドアが開く。気配でリリアの帰還を感じ取ったらしいツバキが、彼を出迎えたのだ。


「おかえり、リリア」
「ああ、ただいま」


 リリアを出迎えたツバキは、彼が大きな荷物を抱えて帰ってきたことに不思議そうに首を傾げていた。出し渋るものでもないので、花束をツバキに差し出す。ツバキはきょとんと目を瞬かせて、花束とリリアを交互に見つめた。


「これは………?」
「結婚記念日の贈り物だ。……まぁ、その、何だ。女が喜ぶものなんて分からなくてな。花は、お前が好きだから、選んだんだが……」
「…………そっか」


 花束を受け取ったツバキは、それを殊の外喜んだ。花束よりも輝くような笑みを浮かべ、そっと抱きしめる。見ているこちらの方が、気恥ずかしくなってくる喜びようだった。


「…………気に入ったか?」
「ああ、とても……! ありがとう、リリア……!」


 嬉しそうに花束に頬を寄せる少女のような姿に、リリアの口元が緩む。こうやって笑み崩れる姿を見るのも、久しぶりのことだった。もっと自分の傍で、そんな風に笑って欲しい。けれど、それは彼女の心を傷付けることになる。彼女が旅に出るのは、胸の一番奥底にあるものを、心のよりどころとして存在するものを、諦めきれないからに他ならないからだ。それを止めて欲しいというのは、生きる意味を捨てろということ。似たようなものを抱えるリリアには、それだけは口に出来なかった。
 だから、このままでいいのだ。年に数度、心からの笑みを見つめることが出来れば、それだけで十分なのだ。
 眩しいものを見つめるように目を細めていると、ツバキが猫のような笑みを浮かべた。悪戯を企む子供のような、ツバキにしては珍しい表情だった。


「でも、生花なんて珍しいじゃないか。いつも、実用性のあるものが多かっただろう?」
「あー、まぁ……趣向を変えてみるのも良いかと思っただけだ……」
「おや。この花が枯れるまで、私にここに居て欲しいのかと思ったんだが」
「んなっ……!?」
「あはは、冗談だよ」


 リリアをからかったツバキは、いつになくご機嫌な様子で笑っている。
 ツバキは、自分のことを思って渡したものならば、何でも喜んでくれる。特に、日常的に使えるようなものを喜ぶ傾向にあった。けれど、特別な日に特別なものを受け取ったという事実が、思いのほか彼女を喜ばせたようだった。
 これからは、もう少し特別に感じられるようなものを贈るべきか。今回は取りやめにしたアクセサリーの類いを頭に思い浮かべる。どれがいいかを今から考えていると、ツバキが花びらを撫でながら呟いた。


「でも、今回はちょっと長く滞在しようかな。折角君がくれた花束だもの。最期まで見届けないなんて勿体ない」


 ドキリ、と心臓が大きく跳ねた。
 なんて心臓に悪い女だ、とリリアが胸を押さえる。何故この女は、こうも的確なのだろう。確かに、花が枯れるまでは傍に居てほしいと思っていたけれど、まさか彼女がそのように考えてくれるとは思わなかったのだ。
 何となく恥ずかしくなって否定しようと思ったけれど、こんな日に素直にならなくてどうするのだ、と緊張を隠しながら首を振る。ツバキはいつだって、言葉を惜しまないのだ。妻にばかり言葉を尽くさせるのは面目が立たない。意を決して、リリアが口を開く。


「………………いや、そのつもりだった」
「え?」
「まぁ、その……たまにはゆっくり過ごしていけ。お前の家でもあるんだから」


 もっと良い言葉があっただろう、と自分の不甲斐なさに頭を抱えそうになる。もっと素直になるべきだろう、と。
 花束を渡したときに見せた笑みを、もっと見たいだとか。ここに居る間は、自分の傍で笑っていて欲しいとか。伝えるべき言葉は山ほどあるのに、それらは何一つ形にならない。ただ、ツバキを大切に想っているのだと伝えるだけで良いのに。たったそれだけのことがこんなにも難しい。ままならないものだな、とリリアは苦笑した。
 ツバキの様子を伺うと、ツバキは驚きの表情を浮かべていた。リリアと花束を交互に見比べて、口元に手を当てる。


「…………そっか」


 ふわりと、ツバキの顔に笑みが咲く。


「ふふ、愛されてるなぁ、私は」


 そう言って花束を抱きしめる姿に、リリアの胸に熱いものが込み上げる。何だか無性にツバキを抱きしめたくなったが、その理由が分からなくて、リリアは自分の髪を掻き乱した。その感情を人は“愛しい”と表現するのだが、そのときのリリアには、その感情の正体に思い当たりはしなかったのだ。いつだったか話した事もあったけれど、深酒で記憶が飛んでいたリリアには、知るよしもない。
 結局ツバキを抱きしめられなかったリリアは翌日、少しでも長く花が美しく在り続けるように、こっそりと保護魔法を掛けたのだった。それは妻にも言えない、彼だけの秘密である。




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