右大将リリア×姐さん
リリアは街の中心から離れた、裏通りにひっそりと開かれた寂れたパブに来ていた。竜の卵を孵す方法を探す旅。欲しい情報を得るために、彼はあらゆる場所に潜り込んでいた。
パブのような酒を提供する場所は、酒気や場の雰囲気に飲まれて、皆口が軽くなる。そのため意外と重要な情報が転がっていたりするのだ。故にリリアは行き詰まったとき、パブに入る。どんな些細なことでも構わない。噂話程度でも、今の彼には希望の星となるのだから。
カウンターに座り、一番安いエールを頼む。一口飲んで、外れだな、と内心で舌を出す。香りは悪くなかったが、エール独特の深いコクとフルーティーな味わいが一切感じられなかったのだ。値段に見合った一品は、はっきり言って不味かった。
不味いエールを飲みながら、頬杖をついた。つまらなそうな表情を作りながら、さっと店内に視線を走らせる。汚い服装をした男達が、顔を赤らめながら大口を開けて笑い合っているばかりだった。
その中で、一回り線の細い背中が目についた。厚手のローブを羽織っているために、性別の程は分からない。けれど静かに、ごく自然に場に馴染んでいるのが窺える。ふと、リリアの視線に感づいたのか、細い背中が彼を振り返る。まさか気付いたのか、と不自然にならないように視線を逸らす。すると、相手は少し考えるような素振りを見せて、そっと席を立った。
「あん? 帰るのか?」
「いや、彼に誘われたから、そちらで飲むよ」
「ちぇっ、やっぱ若い女は若い男がいいもんなのか? 俺だって悪かねぇだろ?」
「はは、一緒に飲む分には悪くないが、一夜を共に過ごすのは御免だな」
後ろ手にひらりと手を振って、赤ら顔の男を袖にする。双方共に本気ではなかったのか振られた男は大袈裟に嘆き、仲間の笑いを誘っていた。
女が、リリアの隣に腰を下ろす。背の高い女だった。
席に着き、女が注文したのは、2番目に安いワインだった。
「やぁ、同胞。まさか、こんなところで同胞に出会うとは思わなかったよ」
深く被ったローブを、ほんの少しずらす。白い肌に、尖った耳。リリアの目が驚愕の色を浮かべると、女はすぐにローブを被り直す。女は、リリアと同じ妖精族だった。
女が届いたワインを口に含み、舌を湿らせる。そんな様子を見ながら、リリアも不味いエールを流し込んだ。
「…………何故、同胞だと気付いた?」
「魔力と、故郷のにおいで」
「…………お前も谷の出身か」
「ああ、よろしく。外で同郷の者と出会うなんて珍しい。今夜は一緒に飲まないか?」
口角を上げながら、グラスを掲げる女にリリアの口元にも笑みが浮かぶ。
一部の地域以外で、妖精族は色眼鏡で見られている。茨の谷の外で同族に出会うことは極めて珍しいことだった。向けられる差別の眼差しに疲れていたリリアは、己を同胞と呼ぶ女の笑みに癒やされた。
掲げられたワインに、自分のエールを軽くぶつける。軽い音が鳴って、女がますます笑みを深めた。
「へぇ、あんたも探し物をしてんのか」
ツバキと名乗った女と酒を酌み交わし、言葉を重ねていくと、二人には共通点が多いことが分かった。その中でもお互いに興味を引いたのが、双方共に、目的を持って旅をしているということだ。
不味い酒だが、肴がうまいと進むものだ。流石に飲み過ぎたと、リリアがチェイサーを頼む。新しいグラスに口を付けながら、リリアが口の端にニヒルな笑みを浮かべた。
「ああ。当てのない旅をしている」
「はは、俺と同じか。お互い、苦労してるな」
「ふふ。でも私は、自分が好きでやっていることだから。それに………」
「それに?」
「それに、見つからないことが分かっているから、希望が何一つなくて、逆に気楽なものだよ」
「―――――……」
ツバキは朗らかに笑っている。清々しいほどにあっけらかんとした顔だった。いっそ怖気を感じるほどに、何でもないことのように彼女は己の絶望を笑ってみせた。
逆に、リリアの顔から笑みが消える。彼は言葉も出なかった。
リリアの旅の目的は、確かに当てのないものだ。生まれることを拒否するように閉じ籠もったドラゴンの卵を孵す方法など、存在するかどうかも分からない。途方もなく、終わりも見えない旅だった。そんな旅でも、“あるかもしれない“という希望はあるのだ。マッチ一本分の光ではあるけれど、それでも手元を照らし、暖めるだけの力はある。
わずかな、けれど確かな希望を持って旅をするリリアでも、心が折れてしまいそうになることがある。けれど、ツバキの旅には、そんな些細な光すらない。それはあまりにも絶望的だった。
リリアが黙り込んでしまったことに気付いたツバキが、困ったように眉を下げる。
「ああ、気に病まないでくれ。そうと分かっていて、諦めきれないだけなんだ。ただの私のわがままだよ」
「…………絶望、しねぇのか」
「―――――ははっ」
リリアの吐息のような微かな言葉に、ツバキが笑う。ぞっとするほど、乾いた笑みだった。
「そんな感覚、もうとっくに忘れたよ」