カリムに成り代わった姐さん






 カリム・アルアジームには、前世とも平行世界の自分とも取れる、不思議な記憶を持っていた。審神者という職に就き、刀剣男士なる神々とともに歴史を守るために奮闘していた記憶だ。
 その記憶でのカリムは、“椿”という女性だった。無様で愚かで、誰かに支えられなければ立っていることすら出来ないような、本当にどうしようもない人間だった。
 椿は己の刀を愛していた。自分の命が彼らの糧となるのなら、何の躊躇いもなく差し出せるくらいに。その激情は輪廻の果て、あるいは世界を超えてなお色褪せることなく存在し続けている。
 けれど、彼らは失われた。触れたくてたまらなくても、もう二度と触れることは叶わない。すべてを“そこ”に置いてきた。置いてきてしまった。確かに彼らが己のものであったという記憶と、彼らに対する愛情だけを残して。

 彼らを諦めたくないという想いは確かに存在する。けれど、只人である己に、それを為すことは難しいと分かっていた。
 だからカリムは、彼らへの想いを大切に抱えたまま、今世で得た大切な存在を愛することに決めた。
 その記憶が何よりも大切なものであることに間違いはないけれど、それをすべてとするには、カリム・アルアジームには大切なものが出来すぎていたのだ。


「ああ、また負けちゃった……。やっぱりカリムはすごいなぁ」


 そう言って眉を下げたのは、カリムとして生きてから得た大切な存在の一人―――――ジャミル・バイパーであった。
 幼馴染みである彼は、アジーム家に使える従者一族の長男である。カリムと同い年ということもあって、カリムの身の回りの世話を任されることが多かった。カリム専属の従者といっても過言ではない。
 彼は幼いながらに酷く聡明で、年の割に大人の事情を汲むことが出来る我慢強い子供だった。今も、カリムの遊び相手としてマンカラで勝負していたのだが、彼はわざとカリムに勝ちを譲っていた。それも、あまりにも自然なゲーム運びで。カリムに椿の記憶がなければ、確実に見落としてしまっていただろう。
 カリムの生まれた熱砂の国では、従者は主人を立てるものだった。主人より目立ってはいけない。優れてはいけない。そのような考えが根付いているのだ。きっと、勝ちを譲るという行為も、そうしなければならないと理解しての行いだろう。
 ここでの正しい反応は、きっと“無邪気に勝利を喜ぶこと”だろう。嘘にまみれた虚しいものであっても、ジャミルの気遣いを尊重するならば。
 けれど、カリムは子供だった。椿としての記憶を引き継いでいるものの、精神は肉体に依存しているのか、はたまたカリムという今を生きる自分がそうさせるのか、大切な存在の才能を抑え付けるようなやり方に、憤慨してしまったのだ。


「ジャミル」
「なぁに、カリム」
「君と、本気の勝負がしたい」


 ひゅ、と息を呑む音がした。ザッと青冷めた顔は見ているだけで胸が苦しくなるほどに悲壮なもので、カリムは眉を下げて淡く微笑んだ。


「大丈夫、怒っていないから。だから落ち着いてくれ」


 そっと手を回し、優しく背中を撫でる。トントンと背中を軽く叩いたり、髪を梳いたりを繰り返していると、ジャミルが落ち着きを散り戻した。
 けれど、黒曜石のような瞳は、不安に揺れたままだ。安心させるように微笑むと幾分か和らいだものの、緊張感は抜け切れていない。


「な、何で気付いて………? 俺、うまくやれてなかった………?」
「いや。きっと、他の子なら気付かなかった。けれど、私はずっと君の優秀さを一番そばで見てきたから。だから、私では君に勝てないと分かっていたんだ」


 記憶が引き継がれているアドバンテージは確かにある。
 しかし、記憶にはなかった“魔法”という存在のせいで、椿の知る常識は殆ど役に立たない。また、かつて生まれ育った土地とは全く異なる風土に生まれ落ちたことも相まって、カリムは年相応の知識量に、ほんの少し色を付けた程度のものしか持ち得ていなかった。
 けれど、ジャミルは違った。カリムの視点から見ても、人生を駆け抜けた椿の視点から見ても、彼は賢い子供だったのだ。就学仕立ての幼い身の上でありながら、すでに光り輝くものが見えるほどに。
 椿の記憶というアドバンテージがあるカリムとは違う、生まれ持った才能という輝き。それを埋没させようという周囲の動きが、カリムにはどうしても許せなかった。


「………なぁ、ジャミル」
「…………なに?」
「私は自分より劣っているものに命を預けられるほど勇敢ではないんだ。だから、自分の従者は優秀であればあるほどいいと考えている」


 幾分か赤みの戻った顔を見つめ、カリムがゆっくりと告げる。ジャミルの心に染み込むように、丁寧に。


「だから君には、いつだって私の前を歩いてほしい」


 そう言って微笑むと、ジャミルはわずかに頬を緩ませた。
 けれど、その瞳の奥には諦めたような色が見える。カリムの言葉に喜ぶ心は在れど、どうにも出来ないことだと分かっているのだ。まだ幼い時分ですでに、彼は周囲から抑え付けられるような育て方をされ、それが覆ることはないと考えている。
 仕方ないことであるのは確かだ。幼い子供にとって、大人は絶対的な存在だ。彼らが世界のすべてで、自分には敵わないものだと思っている。特に、家族であるのなら、なおさら。
 彼はまだ、酷く幼い。だから、家族の言葉が絶対で、大人には従わねばならなくて。彼らがそう言うのなら、それが正しいことだと鵜呑みにしてしまっている。それが苦痛であるにも関わらず。
 彼がもう少し大人だったら、その苦痛ともうまく付き合えたかもしれない。もう少し素直に、カリムの言葉を受け止められたかもしれない。
 けれど、今の幼いジャミルには、カリムの言葉は届かなかった。


(ああ、いやだな)


 椿の記憶が色濃く残りすぎていて、カリムは自分の言葉を素直に受け入れてもらえないことが苦しくてたまらなかった。かつて愛した彼らは、椿の心を何の疑いもなく、ありのままを受け止めてくれたから。
 だから、大切な人の心に言葉が届かないというのが、こんなにも悲しいことだと言うことを、すっかり忘れてしまっていたのだ。
 故に、カリムはすぐさま行動に移した。子供であるということを加味しても浅慮な行いで、あまりにも傲慢な振る舞いだった。それを分かっていて、その上で幼さを盾に彼は父に言い放った。


「周囲の大人達が、私が子供だからと見くびっている」


 と。
 どういうことだと問うた父に、カリムは縺れそうになる舌を噛まないように、必死になって言い募った。
 自分に勝ちを譲るように言われて、本来の実力も出せずに抑え付けられているジャミルが見ていられない、と。あらかじめ用意された勝利なんて虚しいだけだ、と。そして何より、これを強調して言った。


「ジャミルの優秀さを見抜けない間抜けだと思われている自分が情けない」


 冷静でいようと努めていたものの、幼い身体故か、感情の高ぶりが故か、涙が溢れて止まらなかった。
 どれもこれも本心だった。ジャミルが空に向かって羽ばたくことを許さぬ周囲が許せないのも。譲られた勝利に価値を見いだせないのも。そうやってお膳立てされたもので喜ぶ阿呆だと思われている自分が情けないというのも。何もかもが悔しくて、苦しくて、惨めだった。


「…………そうか」


 アジーム家の当主たる男は泣きじゃくるカリムの頭を撫でて、口元を緩めた。それが何の意味を持つのかはカリムには分からなかったけれど、その日のうちにアジーム家における従者の在り方に対する改革が始まったので、カリムは幼い子供のふりをして、無邪気に微笑んだ。




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