カリムに成り代わった姐さん
ジャミル・バイパーから見て、主人であるカリム・アルアジームは自身の主足り得る人物だった。
彼には人の上に立つ素質があった。
寛大だが、間違ったことは間違っていると諭すことの出来る公平さ。愛情深く、相手に精一杯寄り添おうとする姿勢。
その反面、大切なものを傷付けられたときには、凍てつくような冷たさを持って、“敵”に対処する冷酷さを持ち合わせている。
けれど、普段の彼には足りない部分が多くて、誰かが補ってあげなければ立っていることすらやっとの様子で。誰の目から見ても、彼はどうしようもなく手のかかる人間だった。
それらは万人受けするような性質ではないだろう。王のように、慕われるものではないだろう。ともすれば、弟や我が子のように思ってしまうような人間だ。
そんな男ではあったが、それでも確かに、彼には敬愛を持って接したくなるような何かがあるのだ。
それは一体何なのだろう、と幾度となく考えるけれど、その答えは一向に出てこない。かれこれ十年以上も考え続けて出てこないのだから、もしかしたら一生見つからないかもしれない。それでいいような気もするが、それはそれで悔しい気もするのだから困ったものだ。
「ジャミル」
ほんの少し困った様子で、件のカリムがジャミルのもとを訪れた。手には今日の課題が握られている。
彼の成績は決して悪くない。アジーム家の嫡男としてはもう少し華が欲しいところであるが、平均して、上の中辺りに位置している。世界有数の魔法士養成学校として名高いナイトレイブンカレッジでこの成績を保持しているならば、愚かとは言えない。他の一般的な学校であったならば、もっと上位に食い込むことが出来るだろう。
けれどたまに、何故そのような答えに辿り付いたのかと問いただしたくなるような答えを導き出してくるのだ。
以前、愛の妙薬―――――いわゆる惚れ薬を魔法薬学で作ったときがいい例だ。彼は完成した魔法薬を見つめながら、「首を括る人間が出そうだな」と宣ったのだ。曰く、歪められた心が正常に戻ったとき、人はそれまでの行いに耐えられるのか、ということだった。好きでもない人間に愛を囁いたり、体を重ねるようなことをして、そのことに嫌悪しない人間はどれほどいるのだろうか。きっと、心を壊してしまう人間も出てくるだろう、と。
そのようなことに考えが及ばない者が多く、その場に居た教師を含めたほとんどの生徒達が青冷めていたことをはっきりと思い出せる。酷い者だと、吐き気を堪えて廊下に飛び出す者も居たくらいだ。
彼はそういった、人とは一線を画す感性を持っている。
それもまた彼の魅力であり、人を惹き付ける要因なのだろう。それが少しばかり物騒なのが玉に瑕であるが。
閑話休題。
「どうした、カリム。課題で躓いたのか?」
「ああ。魔法薬学で少し。これとこれって効能が同じだろう? なのに、どうしてこちらの薬草ではだめなんだ?」
眉を下げ、小首を傾げる。まだ幼さの残る見た目に反して大人びた言動を取ることの多いカリムだが、ふとした仕草が驚くほど幼いときがある。そのあざとさとも稚さとも取れる行動が、庇護欲なり何なりを掻き立て、放っておけなくさせるのだろう。
ずるい奴だよなぁ、と内心で苦笑しながら、詳しい解説を述べる。最初こそ不安げな顔をしていたものの、理解が追いつくにつれ、その顔は明るいものになっていく。そして解説を終える頃には、尊敬の念だけを詰め込んだ、宝石のような赤い瞳がジャミルを見つめていた。
「ありがとう、ジャミル。やっぱり、きちんと理解していると、説明も具体的で分かりやすいものになるんだな」
「どういたしまして。他に躓いているところはないか?」
「ああ、今日の課題で分からなかったところはここだけだよ。夜に魔法解析学の予習をしようと思うんだが、そのときに分からない箇所が出てきたら、質問しに行ってもいいか?」
分からないところを理解して、上機嫌になったカリムの笑顔はやっぱり幼く見えて、普段の彼はどうしても弟のように思えてしまう。支えてやらなければ、とついつい考えてしまうのだ。
従者として、主人の言うことには従わなければならない。けれど、それを無しにしても「是」と応えてしまうのだろうな、と思いながら「もちろん」と深く頷いた。
カリムは嬉しそうに微笑んで、自室への道に足を向ける。けれど、歩みは止まり、ジャミルを振り返った。
「そうだ、コーセムが小テストで満点を取ったんだ。声をかけてやってくれ。彼は君に憧れているから、君から賞賛を受けたら、“次も頑張ろう”という気持ちになるだろう。それと、象の餌やり当番を交代してくれたんだってな。マーフィーが助かったって言ってたよ。私からも礼を言うよ、ありがとう」
それだけ言って、もう一度微笑んだカリムは今度こそ自室へと向かって歩み出した。残されたジャミルは、一瞬息を止め、それから盛大に息を吐き出した。
カリムは、自分が大切だと思った相手のことを、とてもよく覚えている。どんな些細なことでも、どうでもいいことなどないのだと言って、くだらない雑談の中で落とされた一言だって記憶しているのだ。特に、ジャミルのことに関しては、本人が覚えていないようなことまで、大切な思い出として取っておくのだ。
嬉しいような、気恥ずかしいような。何だかとてもくすぐったい心地になって、それを振り払うように「やれやれ」と首を振った。
カリム・アルアジームという男は、間違いなく人の上に立つ才覚を持った人物だ。けれど、それと同時に、どうしようもない一面を持った、非常にやっかいな人間でもあるのだった。