ネメシスシンドローム






シンジは今、グラデシアの花が咲き誇る、秘密の花園にいた。
一面に広がる桃色の花が美しい。
シンジは、そんな美しい花をおもむろに手にとって、口に入れ始めた。
荒々しい所作で花を食べ始めるシンジに、近くで日向ぼっこをしていたドダイトスは、もったいないと肩をすくめた。

ポケモンの目から見ても、シンジは美しい容姿をしている。
花の映える少女であるのに、そんな乱暴なのはいただけない。
普段花を食んでいる姿はたとえようもない優美さを醸し出しているというのに。


「文句があるなら聞くぞ、ドダイトス」


シンジの言葉に、ドダイトスが首を振る。
長年連れ添っていると、不満が透けて見えるらしい。
こちらを見もせずに不満を感じ取ったらしいシンジに舌を巻く。
シンジはまた花を口に含んだ。


『人間は花を食べるんでしゅか?』


花園にいたシェイミが、シンジの膝に手をつき尋ねた。


「私だけだ」


ぶっきらぼうに答え、また花を詰め込む。
その様子を見て、シェイミが首をかしげた。


『おいしいんでしゅか?』
「ああ」
『じゃあ、もっといっぱい摘んでくるでしゅ!』


花なら周りにたくさん咲いているのだが、とシンジはグラシデアの花を摘みに行ったシェイミの背中を見た。
まぁ、せっかく集めてくれるというのだから、集めてくるまで待っていよう、とシンジは食休みをすることに決めた。







シンジが花を食む理由は、彼女もネメシスシンドロームに罹っているからである。
彼女の病名はネメシスシンドローム・花食病(はなはみびょう)
その名の通り、花を食むのである。
彼女がネメシスシンドロームだと判明したのは、彼女の自我が芽生える前のことだ。
まだ赤ん坊のころ、母親が目を離したすきに、近くに飾られていた花を食んでいたのである。
母親は誤飲したと焦り、すぐに病院に罹った。
その時は以上はないと判断されたのだが、以来花を食むことを覚えてしまったシンジは、以降もそれを繰り返したのである。
他のものは口にしないのに、花だけを口に入れるのだ。
シンジの家から、花という花がなくなった。

これで誤飲はなくなるだろうと母親は安心していたのだが、今度は何も食べなくなったのである。
他の物を食べさせても、すぐに吐き出してしまい、シンジはどんどん衰弱していった。
これは以上だともう一度医者に罹り、判明したのだ。ネメシスシンドロームであると。

それ以来彼女は花と水を与えられて育った。
もちろん他のものも食べられないこともないが、それは彼女に取って栄養にはならない。
花と水さえあれば生きていけるのだ。
彼女が気高く美しく、そして儚いのはそのせいではないかとドダイトスは考えている。
自分でもばかばかしい考えだと思っているのだが、意外にもその考えは仲間たちからの支持を大きく受けた。
彼ばかりがそういうふうに考えていたわけではないらしく、彼女のポケモンたちはシンジという花が枯れないように、彼女のために溢れんばかりの花を届けるのだ。
最初こそドダイトスが勤めていたそれを、今では皆が競うようにその役割を果たしている。
今も激しい争奪戦に勝ち残ったユキメノコが、シェイミとともにシンジのために花を集めているところだった。


『たくさん摘んできたでしゅよー!』
「メッノォ!」


丁度花を摘み終わったらしいユキメノコとシェイミが抱えきれないほどの花を摘んでシンジの元に駆け寄ってきた。
両手に抱えた花で顔の隠れてしまったユキメノコと、背中の花の上にさらに花を積んだシェイミ。
それを見て、シンジがおかしそうに笑い、2匹から花を受け取った。


「助かる。しかし、随分とたくさん摘んできたんだな」
『がんばったでしゅ!』
「メノォ!」
「そうか」


自分がおいしく食べれるようにと、できるだけきれいな花を摘んできたのだろう。
傷一つないまっさらな美しい花が、風に吹かれている。
今度は傷をつけないように、花弁一つ一つを丁寧に食べ始めた。
まるでお伽噺の挿絵を見ているような、美しい光景だとドダイトスは眼を細めた。
ユキメノコも頬に手を当て、うっとりと花を食むシンジを見つめていた。
シェイミも、自分が一生懸命積んできた花をおいしそうに食まれ、嬉しそうに笑っている。
ふと、シェイミがそう言えば、と声を漏らした。


『シンジ。シンジは何をそんなに怒っていたのでしゅか?』


シェイミの問いに、シンジは花を食んでいた手を止めて、シェイミを見つめた。
シェイミは不思議そうに首をかしげ、もっと花を食べるように促した。
シンジはもそもそと鼻を食べながら、その合間にぽつりと声を漏らした。


「・・・あの馬鹿がまたやらかしたんだよ」
『あの馬鹿って・・・サトシのことでしゅか?』
「そうだ」


ぶちり、とシンジが茎から花弁を食いちぎる。
荒々しくなってきたシンジに、ユキメノコが残念そうに肩を落とした。


『サトシがやらかすのは今に始まったことじゃないでしゅ。いちいち怒っていたらきりがないでしゅよ』
「それはわかっているんだが・・・」


むさぼるように花を食んでいたシンジの手が、ぴたりと止まる。
手元の花を見つめ小さく息を吐く。
そんなシンジを心配してユキメノコがもっと食べるように花を差し出すが、シンジは首を振って断った。


『もういいんでしゅか?』
「悪いな。あとで食べる」
『じゃあもっと摘んできた方がいいでしゅね!』
「頼む」
『任せて欲しいでしゅ!行くでしゅよ、ユキメノコ!』
「!!メノォ!」


シェイミに促され、ユキメノコが花畑の奥へと向かう。
それを見送って、シンジは眼を伏せた。

ここのところ、こういうことが多くなった。
彼女の宿命のライバルがピカチュウを助けるために、自分の命を顧みずにタワーから飛び降りた映像を、その目で見てしまってからは。
ライバルの命の危機など、見たくなかっただろう。
彼はそういう人間であるとわかってはいたが、実際に目にしたのは初めてで、その映像を見た後のシンジは、いつまでも呆然としていて、なかなか立ち直ることが出来なかった。
最近、もとより細かったからだが、更に細くなったように感じているのは、何もドダイトスだけではない。


『(我が主の心を乱す輩は、誰であろうと許さない)』


ドダイトスは、もし次に主の宿命のライバルに出会ったら、必ずハードプラントを喰らわせてやろうと心に誓うのだった。




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