あの子の行方






 シンジは長い回廊を歩いていた。この本丸に住まう刀剣男士達の顔を見るためである。
 回廊から見える庭はどこもかしこも枯れ木ばかりで、草木が腐敗している。池も濁っており、生き物の気配は感じられない。空は常に暗雲が覆い、まったくと言っていいほど日が差さない。鬱々とした庭を見つめながら、シンジはこれから対面することになった刀剣男士達を思い、深いため息をついた。
 こんのすけと共にまず何をするべきかを考えた時、真っ先に思い至ったのが刀剣達との顔合わせであった。元の世界に帰れるようになるまでの間、シンジはここで暮らさなければならない。
 現世の方が安全だとこんのすけは言う。しかし、シンジの生きてきた世界とは大きく異なっているらしい。シンジの持つ常識が通用しないこともあるという。
 シンジの世界の十歳は、確かに子供として認識されるが、法律で一人前と認められる年齢であり、自分の考えで行動することが出来る。しかしこちらの世界での十歳はまだ未成年とされ、何をするにも保護者の同意が必要とされるのだ。つまり、保護者の承諾がなければ住居を借りることすらできないということになる。
 (そもそも十歳児に一人暮らしなどさせられないため、例え現世で暮らせることになっても施設に入ることになるだろう。そんなことを、この世界に通じていないシンジは知る由もない)
 政府はシンジをこの本丸で働かせたいようであるため、保護者代理を立ててくれるようなことはないだろう。例え現世に行けたとしても、何かしらの後ろ盾がないと、常識すら危うい世界では生きてはいけない。つまりこの世界にて、シンジの居場所はここにしかないのだ。シンジに選択肢はない。選択肢がない以上、シンジはここで働きながら暮らすことを余儀なくされた。
 ここに住むと決めた以上、どんなに避けようとも刀剣男士と顔を合わせることになるだろう。相手は神で、自分の考えや言動が通じるかどうかは分からないが、礼を欠くことは出来ない存在であることは確かだ。それならばまずはあいさつと、ここに身を置かせてもらうよう説得しなければならない。了解も取らずに身を置けば、神の怒りに触れかねない。神の逆鱗に触れたらどうなるか、シンジはよく知っていた。


(直接関わったことはないが、何度か世界の危機に晒されていたしな……)


 シンジの瞳が風の無い海の様に凪いだ。それに気づいたこんのすけがシンジを見上げる。シンジはゆっくりと首を振った。
 しかし、とシンジは再び思考を巡らせた。相手は人間により手酷く傷つけられてきたという。人間である自分の存在を、そう簡単に許すとは思えない。
 シンジはトレーナーとして様々なものを見聞きしてきたから、人間に傷つけられたポケモンが、そう簡単に人間を信用できないことを知っている。けれど今から相対する付喪神は人の心と体を持っているという。同じ傷つけられた生き物でも、ポケモンよりは理性的な対応をしてくれるだろうというのが、シンジの考えだ。
 こんのすけ曰く、シンジほど幼い相手に危害を加えるほど堕ちてはいないだろう、とのことだ。
 こんのすけもこの本丸に来たのはここ二、三日のことであるから、報告書以上のことはほとんど知らないらしい。何でも、前任を担当していたこんのすけは審神者着任以降、一度も本部に戻っていないということだ。こんのすけはすでに、前任の審神者によって壊されていると、後釜に据えられたこんのすけは考えているらしい。
 普通怪しまれるのではないか、とシンジは思うのだが、まれに審神者との仲を深め友人の様になったり、審神者のサポートのため、あまり本部に顔を出さないこんのすけもいるようで、忙しさにかまけて特に問題視されなかったらしい。
 しかし、審神者からの定期連絡が途切れ、それでもこんのすけからの連絡はなく、ようやく異変に気付いた政府がこの本丸を訪れたらしい。その時にはすでに審神者は死亡しており、ついぞこんのすけの姿は発見されなかったという。
 前任の死因は病死であるという。動脈硬化による急性心筋梗塞で亡くなったということだ。
 あまりに突然のことで後任が立てられず、更にはその審神者が付喪神たちに無体を敷いていたことが明らかとなり、問題が大きくなった。『ブラック本丸』と認定されるべき本丸だったのだ。
 ブラック本丸とは、悪魔の様な所業が横行している本丸の蔑称で、現世のブラック企業が語源である。この本丸がブラック認定される所以は、幼いシンジにはあまりにも酷であるという理由からこんのすけにより伏せられており、シンジは詳細を知らされていないが。
 そんな場所にしか居場所を求められないシンジに、こんのすけはひどく同情的で、全面的にシンジの味方となることを宣誓した。
 別に構わないと言ったが、こんのすけは自分で決めたことだと頑なに譲らなかった。お人好し、と呆れながらもこんのすけの存在はシンジの心を軽くしていた。それはこんのすけの見た目がポケモンを彷彿とさせることに起因しているだろう。ポケモンと離れて数時間程しか経っていないはずであるのに、酷く懐かしい物の様に思える。そんなポケモンを彷彿とさせる姿をしているから、胸の辺りからじんわりと暖かいものが滲み出て、ほっと口元が緩むのだ。本人にはきっと、その自覚は無いけれど。


「審神者様、大丈夫ですか?疲れてはいませんか?」
「ああ、問題ない」


 この本丸がこんなにも不気味な外観をしているのは、前任の穢れによるところが大きいらしい。瘴気は人にも神にも毒であり、瘴気に晒され続ければ人は病に犯され、神は神格を堕として行く。しかしシンジには、その気配がまったくなかった。こんのすけ曰く、浄化の力が強いのだろうということだ。
 今までオカルト方面にはさっぱり興味がなかったシンジは、浄化の力が強いと言われても、それが何を示すのかも、意味するのかもまったく分からない。ただこの状況で自分に有利に働いているということだけは分かった。


(それにしても、"審神者様"か)


 神と交流する審神者と言う職で最も遵守しなければならないことの一つに『真名を教えてはいけない』というものがある。真名は魂に等しいもので、真名を知られるということは魂を握られることだという。そのためシンジは名乗ることも許されず、こうして"審神者様"と呼ばれていた。今まで名前で呼ばれていただけに、名前を呼ばれない感覚に、どうしても慣れない。


「審神者様?」
「っ、何だ」
「やはり、無理をしているのでは?」


 審神者としての仕事をしないという選択肢は無いけれど、味方であることを宣言しただけあって、こんのすけはシンジが無茶をすることは望まないようだった。少しでも歩みが遅れれば休もうというし、顔が俯けば励ましの言葉をかけてくる。幾ら何でも甘やかしすぎだと、自分にも他人にも厳しいシンジは顔を顰めた。


「審神者と呼ばれるのに慣れないだけだ」
「神が相手ですので、仕方ありません」


 神に真名を知られることは命を握られることと同義である。
 本来の、あるべき姿で運営される本丸でも、真名を奪われ神に隠されてしまうこともあるという。そう言ったことに真名が使用されるならば、この人間に恨みを持つ本丸の刀剣たちに知られればどうなるか、考えなくとも自ずと答えは見えてくる。自分を害するために使われることは明白だ。


「そんなことは、分かっている」


 吐き捨てるように言い捨てて、こんのすけに先を促す。こんのすけは耳を垂れさせて、こちらです、と案内を続けた。
 本丸の中は、行けども行けども薄汚れていた。庭には新鮮な草花など一本もない。これも全て、前任の悪行によるところが大きいらしい。これらは正常な気を持つ審神者がいれば改善されていくらしいのだが、あまりの荒廃ぶりに、その説の信憑性は薄い。


「着きましたよ、審神者様」


 案内されたのは荒れ果てていなければ庭が最も美しく見えたであろう、障子戸の前だった。この先には広間があり、この本丸の刀剣たちはここに集まっているという。障子戸の向こうには、確かに蠢く人の気配がした。


(刀の付喪神、刀剣男士、か)


 一つ息を大きく吸って、シンジは一歩を踏み出した。
 障子戸の向こうで、銀色の切っ先が迫っていることに、シンジはまだ気付けない。




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