聖母逆行






『希望の童』



 俺――シンジが病院を退院したのは1ヶ月後のことだった。(確かではないが)ジラーチの力により6歳のころに逆行した俺は少女として生まれ変わり、事故で眠っていたらしい。逆行前に密漁者の攻撃を受け死にかけた俺の傷は、逆行後にも持ち込まれたらしく、その理由づけに事故が使われたらしい。その時に頭をぶつけて記憶が混乱していると受け取ってもらえ、少しのへまなら許される状況にあり、非常に都合がいい。
 であるからして、この時期の自宅とは大きく異なる相貌の自宅に呆然としていてもおかしくはないのだ。


「シンジ? どうしたの?」


 俺の手を引いていた兄貴のレイジが、足を止めた俺を振りかえった。
 兄貴はどうやら、俺が事故に遭った(ということになっている)ことが相当堪えたのか、やたらと過保護になっている。それは別にいいのだが、俺の記憶が欠如していることにひどく不安を覚えているようで、兄貴はすぐに顔から血の気を引かせた。この時わからないことを隠すとさらに不安を覚えるようなので、わからないことははっきりと口にすることにしていた。


「兄貴は、トレーナーじゃなかったのか……?」


 この時期、兄貴はトレーナーとして旅に出ていた。家にいることの方が少なかったのを覚えている。だから、自宅が逆行前と同じように”育て屋”の構えになっていることに、酷く驚いた。
 そのことを正直に伝えると、兄貴は納得がいったように頷いた。


「そうだったけど、引退したんだ。今は育て屋だよ」


 俺が育て屋に転向したのはシンジが事故に遭う直前だったから、覚えてないのも無理ないかな、と言って兄貴は苦笑した。
 どうやら、過去が変わっているらしい。俺が女になっていることも含めて、異なっていてもおかしくはないのだが。
 兄貴に促されて家に入ると、内装も逆行前のもので、俺のよく知る自宅だった。違和感を覚えないでもないが、住み慣れた自宅のままで、安心感はあった。


「庭に出てみようか。かなり大きくなったんだよ」


 育て屋を営むにあたって広げた庭は相当な広さがある。兄貴のポケモンや預けられたポケモンのほかに、俺のポケモンも悠々自適に過ごせる広さがあるのだから。
 庭に通じる扉を開け放ち、庭に出る。そこにはすでに育て屋に預けられたポケモンたちがいて、初めてみるだろう俺を興味深げに見つめていた。
 一体一体に声をかけていく兄貴を見上げ、前は聞けずにいた疑問が頭をよぎった。聞いても大丈夫かどうかを考えあぐねていると、兄貴が不思議そうに俺を見やった。
 兄貴が体調でも崩したかと心配し始める前に、俺は口を開いた。


「なぁ、兄貴」
「ん? どうした?」
「――後悔、してないか?」


 俺の問いに、兄貴は一瞬言葉に詰まったように見えた。前と同じならば、兄貴はジンダイさんに敗北したことをきっかけにトレーナーを引退したのだ。挫折という、最悪の形で。
 逆行前は後悔している様子はおくびにも出さなかったが、家に帰るたびにバトルを挑まれたことから、トレーナーを諦め切れなかったのではないかと思う。いやいや育て屋を営んでいるようには見えなかったから、不幸ではなかっただろうけれど。それでも心のどこかにトレーナーへの憧れがあったように感じた。――結局は、何も聞けずにいたのだが。
 だからこそ、今度は聞いてみようと思ったのだ。トレーナーに未練はないのか、と。残酷な問いかけだとしても。
 兄貴が、俺と視線を合わせるように膝をつく。合わせやすくなった目をまっすぐに見つめると、兄貴が俺の頭に手を置いた。


「確かに、俺はトレーナーを挫折して、育て屋になった。でも、俺は新しい夢を見つけて、それを叶えたんだ。後悔なんてしてないよ」


 心配することはない、というように、兄貴が俺の頭を撫でる。
 兄貴は笑っていた。


「ほら、あそこに俺のポケモンがいるよ。無事な顔を見せてやって」


 兄貴のポケモンは大柄なポケモンが多いから、兄貴は病院にポケモンは連れてこなかった。確かに、心配をかけただろうことは認める。
 兄貴にせかされて、俺は兄貴のポケモンたちの元に向かった。


(――兄貴は気付いているだろうか)


 後悔していないといった兄貴の顔は確かに笑っていたが、目の奥は笑っていなかった。それが何を示すのか、それは俺にはわからなかったが、きっと俺はとても残酷なことを聞いたのだ。分かっていて、尋ねたのは俺だけれど。


(兄貴はどうしたかったんだろう。どうなりたかったんだろう)


 兄貴の言葉に偽りはないだろうが、それをそのまま受け止めていいものか。
 途方もないことを考えていると、俺に気づいた兄貴のポケモンたちが、一斉に駆け寄ってきた。ムクホーク、ビーダル、コロボーシ、ドラピオン、マルノーム。どれも覚えのあるポケモンたちばかりだ。
 どうやら兄貴にもポケモンたちにも相当の心配をかけてしまっていたようで、ポケモンたちが、俺の顔を見て相好を崩し、へたりと座り込んでしまった。


「お、おい……」


 突然のことに驚いていると、兄貴が苦笑した。


「みんな最近落ち込んでたもんなぁ。それだけシンジが心配だったんだよな?」
「ムクホー……」


 その通りだ、というように、ムクホークが頷く。へたり込んだままの状態で俺の足元に擦る寄ってきたコロボーシの目には涙が浮かんでいて、申し訳なくなる。


「ほら、もう大丈夫だって、安心させてやって」
「ああ」


 一体一体の頭を撫でてやって、もう大丈夫だと声をかける。そうすれば浮かべていた涙を引っ込ませて、ポケモンたちは笑った。


(そうだ、伝えなければ)


 こいつらのほかにも、俺は無事だと知らせなければならないやつらがいる。そいつらがこの世界に来ているかどうかはわからないが、一番心配をかけさせているのは、俺のポケモンたちだ。何せ、俺の死に際にそばにいたのだから。
 俺は生きていると伝えて、安心させなければいけない。


(あいつらは、この世界にいるのだろうか……)


 何度考えたかわからない。あいつらがこの世界にいるのかいないのか。自問自答を繰り返しても、答えなどわからないのに。


「あれ……?」


 不思議そうな兄貴の声に、自分が思考の海に沈んでいたことに気づく。兄貴の視線を辿っていくと、その先には一匹のポケモンがいた。


「ユキワラシなんて預かってたかな……?」


 そう言って首をかしげる兄貴の言った通り、視線の先には小さなユキワラシがいた。
 庭の囲いに半分身を隠すようにしてこちらの様子をうかがっている。
 兄貴には預かった覚えがないようで、しきりに首をひねっているが、俺には見覚えがあった。


(ユキメノコ……)


 見て、すぐにわかった。あれは俺のユキメノコだ。今は、進化していないからユキワラシであるが。


(懐かしいな……)


 出会った時の姿だ。すぐに進化させてしまったから、そう長い間見ていたわけではないが、それでも懐かしく感じる。
 不安げに俺を見つめているユキワラシに、俺は直感した。――あいつは記憶を持っている、と。


「ユキワラシ」
「! ユッキ!!」


 懐かしい呼び名で呼ぶと、ユキワラシは嬉しそうに駆け寄ってきた。溢れんばかりの笑顔に、ほんの少しだけ涙を浮かべて。
 きっとこいつには俺の死ぬ間際の記憶がある。その記憶を持って、俺とともにこの世界にやってきたのだ。
 いつからこいつがこの世界にいたのかはわからない。けれど、酷く心細かっただろう。好かれているかどうかはわからないが、トレーナーの死を見て、いきなり過去の世界に飛んだのだから。
 俺は大丈夫だと、生きていると伝えたかった。安心していいと、そう伝えたい。
 手を広げてやると、ユキワラシは酷く驚いていたが、それ以上に喜びをあらわにして、俺の腕の中に飛び込んできた。
 冷たいのに、なぜだかひどく温かい。その体温が、ユキワラシが存在しているという何よりの証明だった。


(また会うことができた)
(きっと、他の奴らもこの世界にいるだろう)







(とりあえず希望が見つかった)


 ちなみにこのあと、新参者に俺を取られたと思った兄貴のポケモンたちが俺に一斉に抱きついてくることになるのだが、それはまた別の話だ。




5/7ページ
スキ