劣等感
シンオウ地方は歴史のある地方である。古い文献にもかなり最初の頃から存在している。その分資料も多く、たくさんの図書館や資料館が存在する地方だ。
私――ヒカリはコンテストの歴史についてまとめた資料を集めるためにシンオウで一番大きな図書館に来ていた。
イラストや写真の少ない本を読むのは苦手だけれど、もっとコンテストを好きになりたくて本を手に取ってみることにしたのだ。そしてよさそうな本を見つけたのだけれど……。
(と、届かない……っ!)
一番大きな図書館だけあって、本の量も多く、棚も高い。決して背が低いわけじゃないけれど、踏み台がなければ届かない高さがある。けれどその踏み台も、誰かが使っているのか、近くにはないようだった。
誰かに取ってもらおうにも、この図書館は広く、人を探すのも一苦労だ。
もう一度だけチャレンジして、それでも無理だったら、踏み台か人を探そう。そう思って手を伸ばすが、掌もう一つ分、背が足りなかった。
「はぁ、やっぱり駄目かぁ……」
ため息をついて手を降ろそうとした時、横から一本の手が伸びてきた。自分が届く高さの約10センチほど上に届く手が。
その手が、私が手を伸ばしていた本を掴み、ゆっくりと降ろされる。そして、目の前に差し出された。
「これか?」
差し出された手の先を見ると、涼やかな紫色の瞳が目に入る。冷たいほどに澄んだ声に聞き覚えがあり、自分の目が限界まで見開かれたのがわかった。
――だって、予想外の相手だったんだもの。
「シンジ!?」
予想外の相手――シンジが顔をしかめる。おい、というとがめる声に慌てて口元を覆った。
そうだった。ここは図書館だった。騒げば迷惑になる。
口元を押さえ、そっとシンジを見上げる。シンジは相変わらず人形のように綺麗だけど無愛想だった。――せっかく綺麗なんだから、もっと笑ったらいいのに。
「おい、」
「な、何?」
こっそりと見惚れているときに声をかけられ、動揺する。
――見惚れてたのがばれたかな、と恥ずかしくなって目をそらす。すると、顔の前に何かを突き出された。
「これでいいのか、」
「え?」
突き出されたのは本だった。シンジが不機嫌そうに本を突き付けてきていたのだ。
そうだった。私が本に手が届かなかったから、シンジが取ってくれたんだった。
――意外。シンジなら見なかった振りでもしそうなのに。そう思いつつ、せっかく取ってくれたのだから、とありがたく受け取ることにした。
「ありがとう、シンジ」
「別に、」
私の感謝の言葉には特に興味を示さずに、シンジは本棚に手を伸ばす。さすがに踵を浮かせていたけれど、私が届かなかった棚に軽々と手をかけるシンジに首をかしげる。
――シンジってこんなに背が高かったっけ? そう言えばさっきも、シンジを見上げていた気がする。気になって足を地面につけたシンジを見れば、シンジの目の位置は私よりずっと上にあって、少し驚いた。
多分、10センチは高い。そして今までそれに気づかなかった。どうしてだろう?
シンジは私の視線に気づいているのかいないのか、お目当ての本を見つけてさっさとその場を去ろうとする。いつものようにポケットに手を突っ込んで。
「あ!」
思わず大きな声が出た。シンジが不機嫌そうに横眼で私を振りかえる。私が駆け寄ると、シンジは更に顔をしかめた。
「さっきからうるさいぞ。場所を考えろ」
「ごめん。でも、猫背が気になっちゃって」
そう。私が大きな声を出してしまった原因――猫背。
シンジは猫背だったのだ。それも重度の。
普通にしているときは背筋がしゃんとしていてかっこいいけれど、ポケットに手を入れると、とたんに猫背になるのだ。だから私はシンジが背が高いことに気付けなかったのだと思う。
多分、癖なのだろう。ポケットに手を入れると猫背になるのは。
「その癖、直しなよ。かっこ悪いよ、猫背」
「お前には関係ないだろ」
「確かにないけど、その言い方はないでしょ!」
良かれと思って注意しているのに、関係無いとは酷いではないか。
背が高くて細身で、おまけに顔も綺麗。モデルでもやっていけそうなのに、猫背なだけでだらしなく見えて、もったいない。そうよ、もったいないのよ。
「折角背が高くてかっこいいのに、もったいないわよ」
――ピタリ、
私の言葉に、シンジが動きを止めた。
シンジがゆっくりと私の方を向き、私はシンジに見下ろされる。瞳の色がさっきよりも冷えた気がして、少し背筋が冷たくなった。上から見下ろされているから、その威圧感が怖かったのだろうか?
「……お前が小さいだけだろ?」
「んなっ……!?」
無表情にそう言われて、顔がカーッと熱くなる。確かにシンジよりは背が低いかもしれないけれど、一般から見れば決して低い身長ではないのだ、私は。
「べ、別に小さくないんだから! むしろ私は平均ですぅ!」
「その大きさでか?」
嘲笑するようにシンジが鼻で笑った。
――どうしてこの子はこんなふうにしかものが言えないのよ!
「別に小さくていいわよ! 小さい方が可愛いんだから!」
シン、と辺りに沈黙が落ちる。ずっと静かだったけど、この言葉だけはやけに響いた。
その静寂で我に返り、慌てて押し黙る。
さっきから苛々させちゃったから、怒らせたかもしれない。そう思ってシンジの顔を窺うように上目で見ると、シンジは予想外の表情をしていた。
大きな目を見開いて、一見驚いたような表情にも見える。でも、それはきっと違う。苦しくて悲しくてたまらない顔。
けれどもそれは一瞬で、すぐにいつものすまし顔に戻ってしまった。
「……お前は本当に騒がしい奴だな」
それだけ言って、シンジはくるりと踵を返した。
いつもなら憤慨しただろう言葉に、私は何も言えなかった。
丸まっているシンジの背中が、より一層小さくなった気がした。