決して甘くはないけれど






「俺たちって恋人っぽくないの?」


 そう言って首をかしげたのは黒髪の少年――サトシだった。少年の前には少女が居り、少女は読書に勤しんでいた。
 少女は、少年に声をかけられたことにより顔をあげ、サトシを見やった。


「……いきなりどうした」


 少女――シンジは呆れたような目をサトシに向ける。下らないことなら読書に戻りたい、という目をサトシはさして気にも留めない。いつものことなのだろう。
 サトシはシンジの視線には気づかなかったようなふりをして、話を続けた。


「いや、カスミがもっと恋人らしくしなさい! って怒鳴ってきたから」
「そうか」


 カスミ、というのはサトシの旅仲間であった少女で、姉のような存在だ。カスミもサトシを弟とも後輩とも思っており、何かをサトシの世話を焼く。今回もその一環だろう。
 あいつ恋人いないのにな―、とサトシがどこか不機嫌そうに頭を掻いた。


「恋人がいないから、恋人というものに夢を見ているんだろう」


 そして一番近くにいる恋人を持つ存在が自分達。自分達の関係を良好にさせたいのと、恋愛はいいものだという夢を壊してほしくないという思いからくるおせっかいだろう、とシンジは結論づけた。
 そんな結論に至るほど、彼らは恋人らしくないのだ。自分達で納得してしまうほど。
 彼らは元はライバル同士であった。それは恋人となった今でも変わらない。
 そうであるからして、彼らはポケモンが関わると恋人から一転、負けたくない相手へと変わる。そしてポケモンが中心である生活を送っているから、常がそうなるのだ。その結果が『恋人らしくない恋人同士』である。恋に恋する少女たちにとっては、夢壊れる関係であるのだ、サトシ達の恋人関係は。


「あー、なるほど……」


 確かにカスミや他、ともに旅をした少女達は皆恋に焦がれていた節があった。恋はいいものだ、と語っていたものもいる。
 恋は甘く優しいものだと夢見る少女たちからすれば、もっと恋人らしくして欲しいと思うかもしれない。自分達はこれでいいと思っているから、変えるつもりも変わるつもりもないのだけれど。


「って、それ本人に言うなよ。顔真っ赤にして怒りだすから」


 カスミは自分より先にサトシに恋人が出来たことを心底悔しがっていた(それと同じくらい喜んでもいたけれど)そんなカスミに『恋人がいないから、』などといえば怒りだすのは目に見えている。
 頼むからそんな面倒な事態にはするなよ、とサトシがシンジに牽制するような目を向けた。


「そんな馬鹿正直に本人に言うわけないだろう」


 そんな面倒くさい。そう言ってシンジは本に目を落とした。


「……お前って意外と世渡り上手だよな」


 サトシが呆れたように嘆息した。
 確かに愛想は良くないうえに口も悪いが、引き際を弁えているのだ。これ以上踏み込んだら取り返しがつかなくなるという一線が、シンジには見えているのだ。
 これで愛想がよかったら、本当の世渡り上手だよな、とサトシは頬杖をついた。


「シンジって損してるよな」
「そうかもな」
「笑ったらモテるのに」
「お前以外にモテてどうするんだ?」
「ごめん、ちょっとときめいた」
「そうか、何よりだ」


 そこまでテンポよく会話を進め、二人揃って口元を押さえる。押さえた口元からは息が漏れ、肩は小刻みに震えている。笑っているのが一目瞭然だ。


「何この会話」
「下らない掛け合い」
「それも思った以上に」
「本当にな。ところで話が脱線しているが」
「あ、ホントだ」


 こほん、とサトシが一つ咳払いを落とした。
 真面目な顔を作り、改まったようにシンジを見つめるが、シンジはどうせ下らないことだろうな、と本の表紙を指でなぞった。


「えーと、あ、そうだ。恋人っぽくないって言われたのが悔しかったから、恋人っぽいことしようぜ!」
「どうしてそうなった」
「だって俺たち付き合ってるじゃん」
「まぁそうだが」
「だからなんかムカついた」
「そうか……」


 予想以上に下らないことだった。さっきの掛け合いと同等レベルで。
 サトシはこうあるべきだ、と型にはめられることが嫌いだ。自分達の在り方も間違っていないだろうに、もっとこうした方がいい、と言われて腹が立ったのだ。相手も納得しているのに、これが最良だと考えているのに、もっと違う形があるはずだ、と言われて。これでいいのだ、と意固地になるのではなく、こうなったら徹底的に模索してやろう、という方向で。
 サトシは頑固な割に柔軟な考えが出来る人間である。自分達の関係が良好になるのならば、それを探ってみようじゃないかと、そう考えたのだ。


「お前馬鹿だろう」


 シンジは容赦なく、呆れを隠さずに思ったままを口にした。
 シンジは悪い意味で正直者だ。包み隠さず本音がその目に出てしまう。正直面倒くさい、心底面倒くさい、という本音をすべてその目が雄弁に語っている。
 それを隠さずにサトシを見つめるが、サトシは頑なに譲ろうとはしない。ああ、これは折れないな、と長年の付き合いで理解してしまうくらいには頑なに。
 シンジは呆れてため息をついた。けれども話を聞く態勢に入るために読んでいた本を脇にどけた。


「しかし、恋人らしく、とはどうするんだ?」
「俺もそれがよくわかんないんだよな」
「おい」


 自分から言い出したのだから、何か案くらい用意しておけ、と悪態をつく。けれどサトシがそんな案が用意できたらカスミに文句言われてないだろ、と返してきたので、思わず納得した。
 確かにそうだ。そんな案が用意できたのならば、それを実行すればいいだけの話だ。深く納得すると、納得すんなよ、とサトシが不機嫌そうに睨みつけてきた。が、スルーした。


「お前が考えろよ」
「シンジも協力しろよ」
「言い出しっぺの法則というものがある」
「ちくしょう」


 分かったよ、もう。でもシンジのその非協力的な態度も恋人らしく見えない原因だからな、多分。そう言って腕を組んで考えるサトシを見つめながら、シンジは思う。――ああ、早く本読みてぇ。


「う゛ぅ~ん……。あ、」
「何か思いついたのか?」
「うん。なぁシンジ、キスマーク付けていい?」
「はぁ?」


 本の内容に飛ばしていた意識が、一気にサトシの方に向く。そして呆けた。
 お前キスマークなんて知ってたんだなとか、その思考回路の意味不明さに一度頭の中を覗いてみたいなとか、現実逃避をしながら。


「……どうしてそれに思い至った」
「前にドラマか何かでキスマーク付けてた人が『恋人いるの!?』とか騒がれてたから」


 だからキスマーク付いてたら恋人っぽいのかなって。そう言って我ながら妙案だ、と笑うサトシにシンジが頭を抱えた。
 ――こいつ馬鹿だ。正真正銘の。いや、前から知っていたけれど。改めて再確認した。


「いい?」
「別にかまわないが……やはり首か?」
「首かなぁ?」


 首を触られるの嫌いなんだがな、と思いつつ、サトシの好きにさせる。もう本当に面倒くさい。あと早く本が読みたい。
 サトシが首にかかった髪を払う。そして露わになった首に顔を埋めた。
 くすぐったい。軽く首筋にキスを落とすサトシの髪を引っ張った。するとあっさりとサトシが離れていき、おや? と目を瞬かせた。


「あれ、痕ついてない……」


 あと痛いから髪引っ張るなよ、とサトシがシンジの手を外させる。
 シンジの首筋を見て不思議そうに首をかしげるサトシに、シンジは白い目を向けた。――そうだ、こいつピュアだった。
 そんなんで男として大丈夫か、と頭を抱えそうになった。そろそろ頭痛がしてきそうだ。


「当たり前だろ。口紅をつけてるわけじゃないんだぞ」
「キスマークってキスしたらつくんじゃないんだ」
「軽く吸えばつくらしい」


 したことがないから本当かどうかは知らないが、と言いつつ、シンジは自分の腕を軽く吸った。うっすらと痕がつき、サトシが目を輝かせる。
 何しているんだ私たちは、とはもう考えないようにした。きっと後悔する。


「本当だ。でも薄くてすぐに消えそうだな」
「確かにそうだな」
「あ、俺いいこと思いついた」
「あ?」


 再度、サトシがシンジの首筋に顔を埋めた。
 サトシの発想は突拍子がなく、バトルでも日常でも、よく苦しめられている。嫌な予感がする、とシンジが身構えた。ら、首筋にわずかな痛みが走った。


「痛い」
「でも、こっちの方が消えにくいだろ?」


 得意げに笑うサトシに、シンジが自分の首に指を這わせる。そこにはわずかな凹凸が出来、歯形をつけられたのだと悟った。
 まぁこちらの方が消えにくいだろうな、とシンジが頷いた。
 だがしかし、


「噛まれたこっちはたまったもんじゃない」
「う、え?」


 襟をつかみ、シンジがサトシを引き寄せる。ガブリ、と自分より深く痕が残るように、シンジがサトシの首に噛みついた。口の中に広がる鉄の味に顔をしかめながら。


「い゛っ……たぁ!!」
「だろうな。噛みつかれたんだから」
「仕返しにしても容赦なさすぎだろ! うわ、血ぃ出てんじゃん……」
「口の中が気持ち悪い」
「自業自得だろ」


 お互い様だ、とシンジが嫌味を口にする。
 そんなシンジの唇は赤く染まっている。口紅みたいだ、とサトシが興味深げにシンジの唇を見つめた。
 唇は不機嫌そうに歪められており、サトシはもう一度「自業自得だ」と呟いた。
 そう言いつつ、自分のジュースを分けてやるためにたちあがるのだから、二人はなんやかんや言いつつも、相性は悪くないのかもしれない。





カスミ「ちょっと……何その歯型……」
「「恋人らしくしようしとた結果」」
カスミ「あんた達、ホント意味わかんない!」




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