本音がぽろり
――どん、
木漏れ日が美しい森の昼下がり。シンジはゆったりとした歩調で道を歩いていた。
温かくて、眠ってしまいたくなるような陽気の中、唐突に腰に衝撃が走る。
攻撃を受けたとか、そういうものではなく、抱きつかれたようだった。
「……?」
自分に抱きついてくるなんて、なんて奇特な、と振り返ると、そこにいたのは小さな子供だった。
自分の半分くらいの年齢の子供は、シンジのものよりも大きいサイズの服を着ており、裾を引きずっていた。
目には涙がたまっており、迷子か何かであることが推察された。
「……は?」
シンジはひどく驚いた。
自分に抱きついていたのが子供だったからでも、その子供が泣いていたからでもなく、子供の顔を見て。
「……サトシ?」
思わずつぶやいた名前に、少年は花が咲いたように笑った。
(冗談だろ……?)
まさかそんな。これがサトシなはずがない。彼は同い年で、兄弟もなかったはずだ。自分が呼んだ名前に反応したのはきっと偶然にも名前が一緒だったか、自分が反応したからだろう。
冷静になろうと、シンジは深く息を吸っては吐いた。
「サトシ―――!」
少女の声が聞こえる。少年がそれに反応し、顔を上げた。
やはり、名前は『サトシ』と言うらしい。
「あ、いました! あそこです!」
「誰かに抱きついてるよ!」
「ちょ、何やってるの!?」
駆け寄ってきた少女たちが、慌ててサトシを引き離す。
サトシは一瞬何が起こっているのかわからなかったようでぽかんとしていたが、シンジと引き離されたとわかった次の瞬間、火がついたように泣きだした。
「やぁだあああああ!」
「こら、暴れないで」
少女があやすように頭をなでるが、一向に泣きやむ気配はない。
「すいません、ご迷惑をおかけして……」
「いや……」
申し訳なさそうに頭を下げる少年に首を振り、ちらりとサトシを見やる。
彼は必死に自分に向かって手を伸ばしており、何だかとてもいたたまれない気持ちになる。
そんな風にしてなく彼に、一匹のピカチュウが駆け寄ったのを見て、シンジは驚きに目を見開いた。
「ピカチュウ!?」
「ピ? ピカァッ!!?」
あんぐりと口を上げるピカチュウに呆然と眼を見開くシンジ。2人のただならぬ様子に、幼い少女がシンジを見上げた。
「ピカチュウを知っているの?」
「あ、ああ……」
「もしかして、サトシの知り合いですか?」
「じゃあ、そのちびは……」
「はい、サトシです」
自分で聞いておいてなんだが、シンジは眩暈のようなものを感じた。
だっておかしいだろう。ついこの間までライバルとして壮絶なバトルを繰り広げた相手が、幼くなっているなんて。
「僕はシトロン。妹のユリーカと、友達のセレナです。僕たちはサトシと旅をしているのですが、その途中でサトシの知り合いと出会ったんです。魔法使いのリリィというんですが、知っていますか?」
「いや……」
魔法使いを自称するような怪しい知人はいない。
「その人と偶然歳かして、その記念に薬をもらったんです。それを飲んだら、サトシが小さくなってしまって……」
「……さっぱりわからないんだが、」
「僕もです」
鬼気迫るような表情で同意され、シンジはうなだれた。
そんな怪しい人物からもらった薬など飲むな、と説教でもしてやりたい。
ちらりとサトシを盗み見れば、サトシはピカチュウになだめられてだいぶ落ち着いたものの、その目の中心にはシンジがいた。
「それで、小さくなっても一応記憶はあるようなんですが、中身が完全に子供に戻ってしまっていて、ずっとある人を呼んで泣いていたんです」
「ある人?」
「”シンジ”っていう名前の人です」
「……は?」
神妙な顔で告げられた名前に、シンジはぽかんと口を開けて目を瞬かせた。
心当たりはないか、とシトロンに尋ねられ、シンジは心当たりも何も、と言葉に詰まる。
自分を呼んで泣いていたというサトシに目を向ければ、サトシは顔をほころばせて自分を見やってきて、不覚にも動揺した。
「心当たり、あるんですか?」
黙り込んだシンジを見て、シトロンが真剣なまなざしを向ける。
彼はいつも笑っているサトシの涙を見て、いつもとのギャップに辟易していたのだ。
シンジは、いを決してシトロンの目を見つめた。
「……そいつに他に同じ名前の知り合いがいなければ、シンジというのは……私だ」
「……え、」
サトシの仲間達の絶叫が、森一体に響いた。
「シンジ~」
「……何だ」
「えへへ~」
「…………」
見た目だけでなく、中身まで幼児退行したサトシに、シンジは頭を抱える。しかも何故か、やたらと懐かれているようで、離れる気配がない。
彼の仲間だというシトロンたちは、泣き喚くサトシに辟易していたようで、泣かないに越したことはない、というスタンスを貫いている。
「……おい、これは戻るのか?」
「薬の効果は一日から数日で切れるそうですよ」
元に戻りはするが、その期日がわからないとはっきりと告げられ、シンジはうなだれた。
自分が離れれば泣き喚いて追いかけてくる。つまりは元に戻るまで一緒にいなければならないわけで、彼の旅仲間もシンジが逃げることを許しはしないだろう。
そのことを考え、嘆息が漏れた。
「シンジ~」
「だからなんだ」
「大好き!」
「!?」
突然の告白に、シンジは眼を剥いた。
しかし、すぐに思いなおす。彼は今、自分の半分ほどの年齢しかない子どもなのだ。
「なぁなぁ、シンジは?」
「は?」
「俺のこと好き?」
俺は大好き! と言って抱きついてくるサトシに、シンジはじわじわと顔が熱くなるのがわかった。
――落ち着け。これは子供の戯言だ。
「なぁなぁ、シンジは~?」
「き、らいじゃ、ない……」
「じゃあ好き?」
「…………っ」
何でこんなに恥ずかしいんだ。俯けばうつむくほど体を密着させて顔を覗き込んでくるサトシに、思わず彼を突き飛ばしたい衝動にかられる。
けれども子供にそんな狼藉を働くわけにはいかず、シンジは口元を押さえながら、小さく、
「好き、だ」
と、呟いた。
「じゃあ、両想いだな!」
ぱあっ、と顔を輝かせて笑うサトシに、シンジは羞恥で目に涙を浮かべる。決して流しはしないけれど。
嬉しそうに笑うサトシは、ポケットの中をあさる。目的のものを探し当てたのか、サトシの顔がよりいっそう輝いた。
「じゃ~ん!」
取りだしたのは一本のリボンで、長さはさほどない。
シンジの左手を取り、5本の指のうち、一本にあてがった。
「よーやーくっ!」
嬉しそうに左手の薬指にリボンを巻いていく。
好きだ、とほぼ言わされる形で言ってしまったシンジは、羞恥でサトシが何をしようが気にしていなかった。
完成、と言われて、ようやく自分の手を見やった。
「これでシンジは俺のお嫁さんだな!」
左手の薬指は不格好ながらもかわいらしくリボンで飾られている。
二カッと笑ったサトシに、シンジは顔を覆った。
(こ、こいつはこんなに幼い時からたらしだったのか……!)
顔を隠したシンジの頬は、真っ赤に染まっていた。
後日談
「シンジ、何でまだ外してないの?」
「…………っ」
シンジの手を掴みながら問いかける。
サトシの捕まえている左手には、幼くなったサトシがくくりつけたリボンがいまだに存在していた。
――すぐに外して捨ててしまうと思っていたにもかかわらず、だ。
そのことを指摘すると、シンジの顔に朱が散った。
「は、はずそうとしたら幼いお前が泣くから、そのままにしていただけだ。戻ったならさっさと外せ」
シンジは幼い子供に甘い。優しいとも言える。それは幼くなったサトシにも適応され、今以上に子供に戻ったサトシのわがままにも付き合ってくれていた。
サトシは素直な性分を残しながら成長して、けれど幼いころとは違い、全てにおいて素直ではなくなっていた。
彼女に対する告白も、まだずっと先のことだと考えていたのだが、常よりも素直になってしまって、本音がこぼれてしまったのだ。
――告白された相手は、本気になどしていないのだけれど。
本気だったんだけどなぁ、と思いながら、サトシは素直にリボンを解いていく。
恥ずかしがり屋なシンジが今日までリボンを巻いてくれていた方が奇跡で、それだけで”今は”満足だ。
何より、嫌がっているものを無理にしてもらうほど悪趣味ではないし、いつかは本物を渡したいと思っている。そして、生涯その薬指を独占したいとも。
(だから、今はまだ、何もつけなくていい)
リボンが解かれていき、あらわになってくる白い指を見つめながら、サトシは将来に想いを馳せる。
本物の指輪を渡した時、シンジはいったいどんな顔をするのだろう。こっそりと顔を盗み見て、サトシはハタ、と目を瞬かせた。
(え、嘘……)
シンジは眉を寄せ、解かれていくリボンをじっと見つめていた。
その顔は名残惜しいとも、寂しいともとれる表情で、胸が締め付けられる。――サトシがシンジの唇を奪ってしまうのも仕方のない顔をしていた。
(な、何をするんだ!!!)
(今のはシンジが悪い!!!)
(はぁっ!?)
(ああもう、シンジ可愛すぎ! 大好き!)
(!!?!?)
ちなみに魔法使いのリリィはアニポケに出てくる登場人物です。
オリキャラじゃないんですよ!サトチュウ回を見れば分かります!