カロス到着時
「うおおおおお! カロス地方ー! マサラタウンのサトシが来たぞー!」
「ぴかっちゅー!」
カントーから飛行機で丸一日かけた海の上にカロス地方は存在する。そこに到着したサトシは、新たな冒険の舞台を視認して、興奮のままに叫んだ。
サトシに伴うピカチュウも、サトシの肩の上で高らかに鳴いた。
「うるさいぞ、お前たち」
「どうしたの、急に」
凛とした冷たい声がサトシに投げかけられる。それと合わせて楽しげな声も。
デコロラ諸島からの同行者であるパンジーと、機内で偶然はち合わせたシンジの声だ。
「カロス地方にあいさつだよ! これ降りたらカロス地方記念すべき第一歩だぜ?」
「ぴぃーかぁ!」
嬉しそうなサトシに毒気を抜かれる。呆れたようにシンジはため息をつき、パンジーは微笑ましげに笑った。
「あ、見たことないポケモンがいる!」
「ぴっかぁ!」
「……はしゃぐのはいいが、前を見ろ」
「え?……え、うわ、うわあああああああああああああああああああああ!!?」
階段を降りようと足を踏み出したサトシが、楽しげな声を上げる。
上を向いたサトシは足元を見ていない。あれは落ちるな、と思ったシンジが声をかけたのだが、案の定、サトシは派手な落ちを立てて階段の下に転がり落ちた。
ちなみにピカチュウはちゃっかりとシンジの肩に飛び移っており、ことなきを得ている。
「ちょ、ちょっと、大丈夫?」
「まったく、お前は……」
「いてて……、ありがとう、シンジ、パンジーさん」
心配そうに眉を下げるパンジーと、うんざりしたように顔をしかめるシンジが階段を下りる。
2人が手を差し出せば、サトシは苦笑しながら手を取って立ちあがった。
「ぴかぴぃ……」
「大丈夫だよ、ピカチュウ」
「ぴぃかぁ……」
シンジの肩から降りたピカチュウが、心配そうにサトシを見上げる。
大丈夫だと繰り返して頭をなでてやると、ピカチュウは安心したように笑った。
しかし、次の瞬間、硬直した。
「ぴゃあ!!?」
「えっ? ピカチュウ!?」
べしゃ、と音を立てて、ピカチュウがサトシの顔に張り付く。何とか引きはがしてなだめるように背中をなでると、ピカチュウがサトシの胸に顔を埋めながら周囲を覗き見ていた。
「どうした?」
ピカチュウの悲鳴にシンジがピカチュウの頭に手を置く。パンジーもピカチュウのしっぽをなでて心配そうに眉を寄せた。
「何か怖いものでもあったのかし、らぁ!?」
「「え」」
ピカチュウの視線を追いかけたパンジーが、驚愕の声を上げた。
それにつられるようにしてサトシとシンジもパンジーの見つめる方向を見て、びくりと体を震わせた。
見られている。注目されている。凝視されている。サトシはおろか、シンジでさえもたじろぐレベルで。
「……おい、どういうことだ、これは」
「お、俺に聞かれてもわかんないよ」
「しかし注目されるようなことをしたのはお前だけだろう」
「確かにそうだけど……」
叫んだり階段から落ちたり。注目するには十分な要素だ。だがしかし、ここまでの視線を集めるほどの出来事ではない。
思わずじりじりと後ずさる。
「……トシだ、」
「え?」
一人がぽつりと呟きを落としたのをきっかけに、周囲が沸き立った。
「サトシだ―――――――!」
「本物だああああああああああああああああああああ」
「シンジもいるうううううううううううううう!!!」
「きゃああああああああああ! サトシ様―――! シンジ様―――!!」
「サインして―――――!!!」
「俺とバトルしてくれえええええええええええ!!!」
「「!!?!?」」
悲鳴とも絶叫ともとれる声をあげ、サトシ達を凝視していたトレーナーたちが一斉にサトシ達めがけて走り出す。
その勢いに恐怖を感じた2人は、持ち前の身体能力をフルに発揮し、全力で逃げ出した。
「待ってー、サトシ様―――! シンジ様―――!」
「握手だけでもおおおおおおおおおおおお!!!」
「2人のバトルが見たいの―――!!」
「シンオウリーグ見ましたあああああ! サインして―――!!」
「何これ何これ何これえええええええええええ!!?」
「知らん! 無駄口を叩いている暇があったら走れ!!」
片や狂喜乱舞。片や顔面蒼白。阿鼻叫喚とした光景の中を、2人はひたすらに走り抜ける。
そんな中、気にかけることすらされなかったパンジーは、一人納得がいったようにうなずいた。
「……あの2人、自分の知名度を知らないのね」
現在一番注目されているトレーナーだというのに。
パンジーはファンのトレーナーが落とした雑誌を拾い上げ、ひっそりと苦笑した。
――拾い上げた雑誌には、サトシとシンジの名前がでかでかと掲載されていた。
こいつらが無名だなんてありえない