真白の微笑み
サトシたちは、とある町に来ていた。花に囲まれた、美しい街だ。
その町は祭りでもあったのかというような、興奮冷めやらぬ雰囲気で、街ゆくトレーナーらしき少年らは、皆浮足立っていた。
そんな中を、サトシたちは不思議そうな表情で歩いていた。
「何かあったのかな?」
「さぁ・・・」
首をかしげながら、サトシたちはポケモンセンターに向かう。
その途中、ひときわ大きな声で話す少年の言葉が、耳に入ってきた。
「お前らは行ったか?オーキド博士のポケモン講座!」
その声にサトシたちは足を止めた。
盗み聞きはよろしくないが、オーキドは研究界の権威である。
昔、優秀なトレーナーだっとこともあり、研究員を目指すものだけではなく、チャンピオンやポケモンマスターを目指す少年少女にとってもあこがれの存在なのだ。
そんなオーキドが話題に上っているのだ、足を止めるのが自然というもの。
少年の話を要約すると、どうやらこの町でオーキドがポケモン講座を開いたというのだ。
そして、オーキド自らが1人のトレーナーを紹介したという。
そのトレーナーはオーキドも認めるほどの腕を持っていた。
そのトレーナーがバトル講座を開いたのだが、バトルスタイルなどはまさに自分の理想だという。
興奮からか少年は頬を上気させていた。
「そんなすごいトレーナーがイッシュに!?」
「話を聞く限りでは、講座は終わってしまったようだけど、運が良ければオーキド博士に会えるかもしれないね」
「オーキド博士かぁ・・・。会いたいなぁ・・・」
少年と同じように頬を上気させるアイリスとデント。
彼らはもしかしたらオーキドたちに会えるかもしれないというわずかな可能性に期待しているらしい。
上機嫌に笑い合っている。
一方でサトシは懐かしげに眼を細めていた。
思い出をいつくしむような穏やかさで静かに微笑んでいる。
サトシをよく知るものが見たら、ドキリとするだろう。
らしくないと不安になるような、大人になったと寂しく思うような、そんな笑みだった。
「あ、サトシ!」
ふと思い出に浸っていたサトシの意識を浮上させるものが現れた。
沈みかけていた思考を慌てて救いあげ、声の方へと振り返る。
そこにはくすんだ金髪の少年がいた。
その少年は、サトシの良く知る少年で、彼のライバルである。
いつもはすました顔をした彼が、この日に限っては満面の笑みを浮かべていた。
「シューティー?どうしたんだい?」
彼の呼びかけに答えたのは、名を呼ばれたサトシではなく先に振り返ったデントだった。
サトシは返事を返しそびれたが、シューティーはそれに気にも留めずに興奮気味に言った。
「デントさん!デントさんはオーキド博士のポケモン講座はご存知ですか?」
「もちろん知っているよ。残念ながら参加できなかったけれど。シューティーは?」
「僕も残念ながら・・・」
シューティーが浮かれたように尋ねた。
シューティーの質問に残念そうにデントが首を振り、今度はデントがシューティーに問いかけた。すると意外なことに、参加していたと思われたシューティーも眉を下げた。
「え?シューティーも参加できなかったの?」
「ああ。講座は昨日行われていたんだけど、僕がこの町に着いたのは昨日の夕方。もう終わっていたよ」
アイリスの問いかけの答えに、サトシたちはさらに意外な思いでシューティーを見つめた。
几帳面で神経質な一面を持つシューティーは、無駄なことを嫌う。
自分に必要がないと思ったことがらは、バッサリと切り捨てるタイプだ。
そんなシューティーが講座の終わったこの町にとどまっていることが不思議だったのだ。
そんな疑問はシューティーの次の言葉で解決された。
「でも、どうやらオーキド博士はしばらくここに滞在されるらしいんだ!」
なるほど、とサトシは思った。
シューティーが滞在するだけの理由があった。
それにしても昨日か。
本来、ここにつくのは昨日のはずだった。
しかし、ロケット団に邪魔されてそのまま野宿し、今ここに来た。
もしかしたら会えたかもしれないのに。
少しだけロケット団が恨めしくなる。
しかしまだ、この町にいるというのなら会える可能性はある。
「それで、もしオーキド博士を見かけたら教えてほしいんです」
「もちろんだよ!僕たちも今から探しに行こうと思ってたんだ!」
自分が物思いにふけっている間に、そんな話の流れになっていたのか。
サトシはデントたちを見た。
するとシューティーの後方から、ぱたぱたと走る足音が聞こえてきた。
「おーい、シューティー!見つかったかー?」
赤い髪にタンクトップの体格のいい少年――ケニヤンが、大きな手を振りながら、こちらに向かって駆けてくる。
その後ろにも、数名の少年少女らがおり、どうやら彼らもオーキドを探しているようだった。
「そんな簡単に見つかるわけないだろ?今、デントさんたちに会ったから協力を仰いでいたところさ」
「そりゃそうだよな」
シューティーの言葉にケニヤンが苦笑して見せた。
唐突に影が落ちる。
突然落ちた影に驚き、サトシたちが空を見上げた。
そこには、サトシを見降ろす漆黒のポケモンがいた。
大きな翼を湯っ口ははばたかせ、風邪を仰ぎ、サトシの頭上にとどまっている。
デントたちは呆然と見上げているが、サトシにはそのポケモンに見覚えがあった。
「ど、ドンカラス・・・?」
「ア゛アー!!」
漆黒のポケモンは、サトシの呟きに肯定するように一声鳴いた。
「サトシ?あのポケモンを知ってるの?」
「うわぁ、綺麗な翼~!」
ラングレーのいぶかしげな声とベルの感嘆の声に、サトシが我に帰る。
しかし、サトシの意識はドンカラスに向いており、ラングレーの言葉に返事をすることはなかった。
「お前・・・あいつのドンカラスなのか・・・?」
こくりとドンカラスがうなずく。
驚きと呆然で間の抜けたサトシの表情が一変し、真剣なものになる。
「あいつが・・・あいつが、この町にいるのか?」
「ア゛アー!」
「案内してくれ!」
サトシが走り出す。
ドンカラスは彼を置いていかない程度の速度でユウユウと羽ばたく。
いきなり駆けだしたサトシに驚き、制止の声がかかったが、サトシには聞こえていなかった。
人込みをかき分けサトシが走る。
人にぶつかりかけたりぶつかったり。おざなりにはなるものの、謝罪の言葉を投げかけひた走る。
走りずらそうなサトシを見かねてか、目的の人物がそちらにいるのか、ドンカラスが進路を変えた。
路地裏へと消えたドンカラスを追い、サトシが路地裏へと飛び込んだ。
入り組んだ路地を走り抜けると、そこには庭園へとつながる橋があった。
その庭園は、この町で最も大きく、最も美しいと有名で、街の中心に作られている。
はっと息をのむような美しい花園。サトシは乱れた息を整えながら、その庭園へと足を踏み入れた。
庭園は花が咲き乱れており、たくさんのポケモンたちの憩いの場となっていた。
「ア゛アー!」
少し先をいくドンカラスが一声鳴いた。
その声に反応してか、隣を歩くピカチュウの耳がぴん、と立ちあがり、それからゆっくりと垂れた。
ドンカラスの声に、サトシはもうすぐ会える、と目を細めた。
自分に向けられていた、どこか高圧的な声とは違い、喜びと誇らしさが入り混じったような声。
心の底からトレーナーを敬愛しているのだとわかる、そんな声だ。
ドンカラスが庭園の中央に流れる川のほとりに降り立った。
非の光に照らされた水面がきらきらと光り、ほとりに咲く紫陽花の花まで輝いて見えた。
そんな中で、一等輝く紫色が、サトシの目に飛び込んでくる。
美しい花々も、輝く水面も、その紫を前にすれば、色あせて見える。
隣に降り立ったドンカラスをなで、彼をねぎらう優しい手。
白く細い手は触れたら溶けてしまいそうだ。
黒い羽毛が白さを際立たせている。
柔らかく黒をなでていたゆくのような白い手が、ぴたりと止まった。
こちらに気づいたらしいアメジストを思わせる紫の瞳が、驚きに見開かれる。
丸くした目が、ゆっくりと弧を描く。
形のいい唇の端がゆっくりと持ち上がり、ささやかだが笑みをかたどる。
白い頬を薔薇色に染め、少女がサトシを見つめ、微笑んだ。
たまらずに、サトシが駆けだした。
愛しい恋人が、幸せそうに微笑んでいるのだ。その美しい瞳に自分を映して。
隙間など作りたくないというように、サトシがシンジを抱きしめた。
決してやさしいとは言えない抱擁だった。飛びつくようにかき抱き、細い体を強く強く自分の方へと引き寄せたのだから。
それでも彼女はそのしなやかな腕に背を回し、その抱擁を受け入れた。
「(シンジ!シンジ!シンジ!)」
愛しくて愛しくてたまらない。この腕の中でなら死んだって本望だ。
昔「愛してる」を「死んでもいい」と訳した小説家がいたそうだが、まさしくその通りだ、とサトシは思った。
「サトシ」
「ん?どうした?シンジ」
「・・・・会いたかった」
いつもの凛とした声とはかけ離れたか細い声だった。
意地っ張りで素直とはとても言えない性格のシンジだ。この言葉を言うのがどれほど恥ずかしかったか、自分にはわからない。
肩口に顔をうずめ、それきり黙りこんでしまった愛しい人に、サトシは心臓をわしづかみにされた気分だった。
愛しくて愛しくてたまらない。
このいじらしい恋人になら、殺されたって恨めはしないだろう。
むしろ、それでもいいかもしれないなどと頭の片隅で考えてしまったサトシは、もう末期だ。
首筋まで赤く染め上げてしまったこのかわいらしい恋人を、腕の中に閉じ込められる自分は、もしかしたら世界一幸せなのではないかとサトシは思う。
これ以上の至福の時はないというような、幸せそうな表情で、サトシはシンジの髪をなでた。
この時が永遠に続けばいいのに。そう思ったのははたしてどちらだったか。
あるいは双方だったかもしれない。
「サトシー!」
しかし、幸せとは長くは続かないものである。
いつもなら気にならない仲間の高い声が、少々煩わしく感じる。
するりとシンジの体を開放すると、彼女はわずかに寂しそうに表情を曇らせた。
しかしサトシは、プライドの高い彼女の名誉のためにも、その表情には気づかないふりをした。