祝福する唇
齢たった17の少年がポケモンマスターに就任する。
そのニュースは瞬く間に世界中に広まった。
まだ17の少年が、トレーナーの最高峰の称号を得るなんて、という人間はもちろんいた。
チャンピオンが持ち上がりでその称号を得た、というわけではない。
世間からすれば、ぱっとでの少年が、その称号を得たのだ。
不信感が全く生まれないわけがない。
けれども彼を知る人間には、ああ、やっとか、と思わず微笑みを漏らしたという。
ようやく長年の夢をかなえたのか、と。
ポケモンマスターという存在の定義は、極めてあいまいだ。
世間一般で知られている定義としては「最も強いトレーナー」のことを指す場合が多い。
次に多いのは「全てのポケモンに出会ったことのあるトレーナー」だ。
これらも決して間違いではない。
しかしそれはあくまで人間側の定義だ。
確かに強いトレーナーというのは、ポケモンにとっても魅力的だろう。
しかし、そこに愛情がなかったら?
そんな人間について行きたいとは思わないだろう。
ポケモンマスターとは、強さだけでなく、出会いの数だけでなく、もっともポケモンを愛し、最もポケモンに愛されているトレーナーのことを指す。
そして、この時代にその称号を得た少年の名は――――――マサラタウンのサトシ。
そして今日、マサラタウンのサトシは、ポケモンマスターの称号を授与された。
「おめでとう、サトシ!」
「おめでとう!」
ポケモンマスターの就任式は、戴冠式とよく似ていた。
豪華な王冠を載せられ、祝福の声を浴びるサトシは照れ臭そうに笑っていた。
夢をかなえた彼は、ひどく幸せそうで、式に参列した者たちも、同じような笑みを浮かべていた。
そんな中を、一人の少女がさっそうと歩いて行く。
何のためらいもなく人が気を通り越し、サトシの前にたつ。
紫のドレスに身を包んだ少女は、全地方最年少でシンオウチャンピオンに君臨したシンジだ。
「おめでとう、サトシ」
「ありがとな、シンジ」
2人が宿命のライバルであることは皆承知している。
2人が対面した時は口を挟まない、というのが暗黙の了解となっていた。
「今日はスーツじゃないんだ。いつもこういうときスーツで来るのに」
「馬鹿を言え。他でもない、お前を祝福する日だ。多少、格好付けないとな」
「何だよ、それ」
にやりと笑ったシンジに、サトシがおかしそうに笑う。
合えば喧嘩ばかりしていた2人の笑い合う姿に、彼らを温かく見守っていた者たちが微笑ましげに顔を見合わせた。
「それにしても、やっぱりシンジは紫が似合うな」
「髪が紫だからな」
「ああ。でも、青でもよかったんじゃない?」
さらり、とサトシがシンジの髪をなでる。
にやりと口角を上げたサトシに対し、シンジは肩をすくめて笑った。
「次の機会にはそうしよう」
「うん。是非そうして」
2人に視線が集まった。
ライバルと言うにはどこか男と女を感じさせるような、そんな熱を言葉の端から感じ取ったのだ。
そんなまさか、と思いつつ、それでも意識はそちらに向いた。
「ああ、そうだ。忘れるところだった」
「ん?」
「今はもうなくなった儀式だそうだが、なくなったからと言って、やってはいけないというものではないだろう?」
「うん?」
「もう一度言う。おめでとう、サトシ」
踵を地面から話、つま先だけでたったシンジは、サトシの胸に手を置き、大きく背伸びをした。
行くらシンジが長身の女性だと言っても、男の長身と女の長身は違う。
つま先で立つことで、ようやくサトシの額にシンジの唇が届く。
そして、その唇を、シンジは優しく額に寄せた。
――――――ちゅう、
ささやかな、花弁が落ちたようなキスだった。
しかし、それは絶大な威力を持って、会場の音を消しさった。
口づけた本人と、口づけられた本人だけは、平然としていたのだけれど。
「昔は『祝福の口付け』という儀式があったらしい。時代が変わって、今はなくなったそうだが、」
「へぇ、そうなんだ。シンジ、詳しいなぁ」
「お前の式典だろうが、お前が興味を持て」
「相変わらず手厳しいなぁ」
あれ?今のは幻?
たった今起こった出来事は夢だったのか?
そんな風に想わせるくらい、いつも通りのやり取りがそこにはあった。
「でも、口じゃないのは残念だなぁ・・・」
「キスの格言を知らないのか、お前は。口づける部位によって意味が異なる。『祝福』は額だ」
「そうなんだ。あ、そうだ、シンジ」
「ん?」
「祝福、ありがとな」
――――――ちゅう、
今度はサトシがシンジの頬にキスを落とした。
本日二度目の口づけを見てしまった周囲の面々は、いつの間にやら男と女の関係になっていたらしいライバルたちに、この世のものとは思えない絶叫を上げるのだった。
ちなみにどうやらこのおめでたい式典では、二度の絶叫が上がったらしい。
一つは上記に記したことだが、もう一つは定かではない。
でも、どの証言でも一致しているのは、2人の左手の薬指に、輝く銀色が飾られていたということだった。