線に触れる
ピカチュウがそれを見たのは偶然だった。
暇つぶしの散歩に出かけた先で見てしまったのだ。
草むらの向こうで、シンジが少女たちに囲まれている光景を。
シンジを囲む一般人の少女(手足に傷がなくきれいだったため、そう判断した)は3人。
ドラマなんかでよく見る光景に似ていた。
シンジは自分が囲まれている理由がわかっていないのか、眉間にしわを寄せている。
少女たちは不機嫌をあらわにし、シンジを睨みつけている。
何となく事態を察したピカチュウがため息をついた。
「あんた、サトシ君の何なの?」
「サトシ君に近すぎ」
「調子のんな、ブス」
やっぱりか、とピカチュウは呆れた。
トレーナーと違って、一般人はトレーナー事情に詳しくない。
サトシとシンジの連名と言えば”ライバル”という関係で有名だった。
けれども一般人は、自分が熱い視線を送る相手以外には興味がない。
(もちろん全員が全員そうではないが、今回の少女たちは確実ににわかである)
見た目につられたミーハーな少女たちからすれば、シンジは目当ての男に群がる害虫にでも見えるのだろう。
シンジを見る目には、明らかに嫌悪感がにじみ出ている。
『(しかし、あの子たちすごいな)』
シンジは現在、その実力だけでなく『男装の麗人』として、トレーナー界きっての美少女としても有名だ。
(ちなみに本人に男装している気はないのだが、服装はどう見ても男もので、こう呼ばれている)
すれ違えば振り返らずにはいられないと言われるその美貌をブス呼ばわりするとは!
最早好みの範疇を超えて振り返ってしまうような美しい顔を、よく貶せたものだ。
ピカチュウは怒りとか呆れを通り越して、感心すらしてしまっていた。
貶された本人たるシンジは、ぽかんとした表情で少女たちを見つめた。
普通なら間抜けにしか見えないが、シンジがやると愛らしい。
「どうせサトシ君にこびるためにトレーナーになったザコでしょ?そんな奴がサトシ君に近づかないでよね」
「サトシ君も迷惑してるの。サトシ君の前から消えてよ」
「あんたのことなんて、サトシ君は認知すらしてないわよ」
シンジも、にわかという存在がいるのは知っているし、こういう事態は何度も経験している。
そういう輩には何を言っても無駄だとわかっているが、ここまで侮辱されるとさすがのシンジも腹立たしいと思ったらしい。
眉間にしわを寄せた時の迫力が、さっきとは比べ物にならない。
美人が怒ると怖いというのは、通説でも何でもなく事実だったようだ。
「何よ、その目。気に食わないわね」
「気に食わないのはこっちの方だ。私がどうしようと私の勝手だ。お前たちに口出しされる覚えはない」
「サトシ君が迷惑してるのが見てられないから消えろって言ってるの!!あんたは黙ってサトシ君の前から消えればいいのよ!!」
何て恐ろしいことを言うんだろう?
ピカチュウは震えあがった。
シンジがサトシの前から姿を消せば、サトシがどうなるかなんて、長年連れ添った相棒であるピカチュウにも想像がつかない。
サトシはそれだけシンジに想いを寄せている。
そんな相手が消えてしまえばどうなるか、考えただけで気を失ってしまいそうだ。
「かりにサトシが私の存在に迷惑していたとして、それを何故お前たちが言うんだ?サトシに言って来いとでも言われたのか?私はあいつの口から消えろと言われない限り、私は何度でもあいつにバトルを申し込みに行く」
「っ!!!サトシ君を呼び捨てにすんじゃないわよ!!!!!」
バチィン!!!と乾いた音が響く。
少女がシンジの頬を張り飛ばしたのだ。
けれどもシンジは顔色ひとつ変えずに少女たちを見つめた。
「あんたなんかが知ったようにサトシ君を語るんじゃないわよ!!!」
「それはこちらのセリフだ」
シンジの低い声が響く。
少女たちはその声に肩を震わせた。
「お前たちがあいつの何を知っている。何も知らないくせに、勝手な幻想であいつを語るな」
「っ!!!」
シンジの怒りの表情に、少女たちは言葉もなく転がるように逃げだした。
一連の様子を見ていたピカチュウが、先程のおびえなど一切感じさせないたたずまいで、ばちりと頬袋から火花を散らせた。
『「あいつら殺す」』
『えっ』
重なった声に、ピカチュウが怒りを忘れて振り返る。
そこには、いつの間に現れたのか、サトシがいた。
サトシは素晴らしいまでの能面のような無表情を湛えていた。
「いた・・・っ」
シンジの小さな声に、バッとサトシとピカチュウがシンジを振りかえる。
振り返ってみると、シンジが唇に触れている。
どうやら切ってしまったらしく、唇からは血が出ていた。
ブチンッ
サトシから何かが切れる音が聞こえ、丁度サトシが手を置いていた枝がサトシによってへし折られたが、幸いにもシンジは気付いていないようだった。