後悔したってもう遅い
『カントーチャンピオンのサトシさんとシンオウチャンピオンのシンジさんが一緒に出かけていたのを目撃されて今日で一週間がたちました。
そして今日、新たに2人で仲睦まじく出かけているところが目撃されました。
熱愛報道についてお2人に聞いてみると
「詳しくは言えないが、近いうちに必ず報告する」
と詳しい内容は得られませんでした。
しかし、その時に、左手の薬指に指輪がはめられていたことから、もしかしたら近いうちに婚約発表が行われるのではないかという見方が広がっています。
続いて、次のニュースです。・・・』
とあるニュース番組の、とあるニュースキャスターが、以上の報道をした一ヶ月後、サトシとシンジは婚約したことを公に発表した。
2人の仲はトレーナーの間では以前からうわさになっており、本人たちもそれを隠しているわけではなかったので、周囲はやっと婚約したのか、とむしろ呆れ気味であった。
呆れ気味、と言っても、それは表面上のもので、心の中では2人を祝福していた。
一部の男女はさめざめと涙を流していたが、それでも2人の幸せを願っていた。
けれどもそんな中で、声を荒げるものがいた。
「納得いかないわ!」
それはソウリュウジム・ジムリーダーとなったアイリスだった。
彼女はパートナーのキバゴをオノノクスにまで育て上げ、シャガに勝利したことにより、その実力を買われ、ジムリーダーに就任したのだ。
彼女はサトシとともに旅をしていたときから、ひそかに彼に想いを寄せていた。
いきなりの婚約発表に納得できないのも当然である。
「そうよ!どうして教えてくれなかったの?」
次に声を上げたのはベルだ。
彼女は通信交換により進化したシュバルゴに感動し、通信交換により進化するポケモンの研究者になるために、アララギのもとで研究員見習いをしている。
自分のために父とバトルをしてくれたサトシに胸を打たれ、その時からサトシを好いていた。
彼女もまた、2人の婚約に納得していないうちの一人である。
「僕の方が、僕の方が、貴女を想っているのに・・・っ!」
絞り出すように声を出したのはシューティーだ。
イッシュの旅を終え、イッシュを出た彼は、シンジと出会った。
そして見た彼女のバトルは、自分の理想で、シューティーは彼女に憧れた。
その憧れがいつしか恋に変わり、その想いはイッシュチャンピオンとなり、彼女と同じ立場にたった今でも募るばかりだ。
それが、自分のライバルと一緒になるということに、彼は衝撃を受けた。
眼に涙をためた彼は、苦しそうに喘いでいる。
そんな3人に詰め寄られたサトシとシンジは、顔を見合わせた。
2人はどうやら式を上げる式場の下見に行ってきたのだろう。2人の手には式場のパンフレットが握られていた。
その左手に輝く銀色に、アイリスが嫌悪感をにじませた目でシンジを睨みつけた。
その視線に気づいたサトシが、そっとシンジを後ろにかばう。その動作にアイリスがカッと頭に血を登らせた。
「どうして、どうして私を選んでくれなかったの!?私たち、いいコンビだったじゃない!」
声を荒げてサトシに詰め寄るアイリスに、サトシは眼を瞬かせた。
訝しげに眉を寄せ、サトシが後頭部に手を当てた。
「アイリスって、俺のこと好きだったの?
ずっと、子供とか言われて、俺には無理だとか馬鹿にされて、否定されて、俺のこと嫌いなんだと思ってたよ」
知らなかった、というように、きょとんとした表情を浮かべるサトシに、アイリスは愕然とした。
自分たちはいいコンビだったはずだ。時にはけんかもしたけど、仲直りだってできたし、デントからも仲がいいと評されていた。
そんなデントの評価に、サトシも満更ではなかったはずだ。
それなのに、どうしてこんなに冷たい目を向けられているんだろう?
「わ、私とも仲良かったよね!?」
サトシの冷たい目に、耐えられないとばかりにベルが声を上げる。
サトシは自分のために父と戦ってくれたし、きっと自分のことは嫌っていないはず。
そう思ってサトシに声をかけるが、サトシは片眉を跳ね上げてベルを見つめた。
「俺たち仲良かったっけ?」
心底わけがわからないというような表情を向けられ、ベルが目を見開いた。
「嫌だっていうのに交換しろとか言われて、挙句に川とか噴水とかに突き飛ばされて、一体何の嫌がらせだろうって思ってたんだけど・・・」
違うの?
不思議そうに首をかしげられ、ベルは立ちつくした。
確かに少々強引に交換を迫ったことはあったが、しぶしぶながら引き下がれば、サトシは笑っていた。
ぶつかってしまった時も、サトシは許してくれていた。
決して、嫌われてはいないと思っていたのに。
呆然とサトシを見つめる2人の目に、紫色が飛び込んでくる。
サトシに溶かされてしまいそうなほどに熱い視線を向けられる少女が。
ああ、この少女が奪ったのか。自分の最愛の男性を。
自分がはめるはずだった指輪を。
自分がいるはずだった彼の隣を。その位置を。
この少女が自分からすべて奪ったのだ。
2人の憎悪に燃える瞳の強さに気づいたのか、シンジの目が2人の目をとらえようと動く。
しかし眼が合う前に、それはサトシによって阻まれた。
「シンジにそんな目向けるなよ」
シンジを自分の胸に抱き、冷ややかな視線でアイリスとベルを見つめる。
凍てついたサトシの声に、2人の肩が大きく跳ねた。
「2人が俺を想ってくれてるってことはわかったよ。でも、俺の心はシンジのものだから、2人を好きになることは、一生ないよ」
底冷えするような冷たい声。
敵とみなされた、突き刺さるような鋭い目つき。
完全に嫌われてしまったと。お前に向ける感情は敵意しかないと、そう突き付けられた。
シンジに向けるような、優しげな声と、愛しげな眼は自分に向けられることはない。
そう理解してしまった2人は、膝から崩れ落ちた。
サトシはそんな2人に目をくれることもなかった。
「どうして・・・」
口を開いたのはシューティーだった。
うつろな目には、涙の膜が張っている。
どこか呆然とした様子でシューティーは言葉を紡いだ。
「どうして・・・、どうしてサトシなんだ・・・。どうして、よりにもよって・・・。僕の方が、僕の方がシンジさんを想っているのに・・・っ!」
ついに、シューティーの瞳から、耐えきれない、とばかりに涙がこぼれた。
シンジが、サトシの胸を軽くたたき、自分の胸に押さえつける手をどけさせる。
凪いだ瞳がシューティーを射抜く。
シューティーはそれでも、シンジを見つめた。
「自分の故郷を田舎だと馬鹿にするやつに、好意を持てという方が無理な話だ」
「!でも、それは・・・っ!」
「そうだな。もう改心している」
けれども、事実だ。
そう言ったシンジの言葉にシューティーが唇をかみしめた。
シューティーは他地方に出て、イッシュでは学べなかったことをたくさん学んだ。
確かにイッシュよりも自然は多かったが、イッシュよりも発展した分野があることは確かで、シューティーは他地方を田舎だと見下していた自分を恥じた。
それからは他地方を侮辱する発言はしなくなったが、過去は消えない。
彼女の故郷を田舎だと罵ってしまったのは事実だ。
後悔しても、過去に行った言葉は消えない。消えてくれない。
「そのことについては、これ以上言うつもりはない。反省している相手を追い詰めようとは思わない。けれど、一つだけ言いたいことがある」
シンジの言葉にシューティーが彼女を見つめる。
まっすぐに自分を見つめる目に、シューティーは、こんな状況ながらも、幸せを感じていた。
「思いのたけは人それぞれだ。比べることなんてできない。もしかしたらお前の方がサトシよりも私を好いているのかもしれないし、私よりこの2人の方がサトシを想っているのかもしれない。
けれど、これだけははっきりと言える」
シンジの言葉に、涙にぬれたアイリスとベルが顔を上げる。
シンジは目の前のシューティーだけを見つめて、言い放った。
「私を幸せにできるのはサトシ以外にはありえないし、サトシを幸せにできるのは私を置いて他にはいない。もしいるというのなら、ぜひともお目にかかりたいものだ」
自信に満ち溢れた、堂々とした宣言だった。
力強く、まったくブレのないまっすぐな言葉に、シューティーはゆるゆると目を伏せた。
勝てるわけがない。
自分の最愛の女性にここまで言わせる相手になんて。
ゆっくりとまぶたを持ち上げると、視界は涙に歪んでいた。
「・・・サトシ」
「・・・ああ」
「僕の最愛の人にここまで言わせたんだから、幸せにしなかったら、許さないからな・・・!」
「分かってる。ちゃんと2人で幸せになるよ」
涙で見えなかったけれど、おそらく2人は笑っていた。
事実として、2人は幸せそうに微笑んでいた。
シューティーは口元に笑みを浮かべて、深く深くうなずいた。
それからシューティーは、座り込んだまま動かないアイリスとベルの肩をたたいた。
「ほら、行くよ、2人とも」
「引っ張らないでよ!」
「自分で立てるよ・・・」
2人を半ば無理やり立たせ、シューティーはサトシとシンジを振り返った。
そして、今できる精いっぱいの笑みを浮かべた。
「幸せになってね」
「「ああ!」」
2人の力強い返事に、シューティーは踵を返した。
アイリスとベルの背中を押しながら、シューティーは2人の前を立ち去った。
さようなら、僕のライバル。
さようなら、僕の最愛の人。
シューティーは、2人の幸せを想うと、胸が張り裂けそうだった。
どこまで歩いただろうか。
ただ呆然と歩いてきたシューティーたちは、誰ともなく、ゆっくりと足を止めた。
振り返っても、2人の姿はとうの昔に見えなくなっていた。
けれども、誰もが後ろを振り返ることだけはしなかった。
「・・・ねぇ、」
「・・・何?」
「もし、もしもよ?もしも・・・私たちが、もっと相手を思いやれる人だったら・・・何かが変わっていたのかな?」
アイリスの震える言葉に、シューティーは空を見上げる。
その問いに返せる答えを、シューティーは持ち合わせていない。
青い青い空が目にしみる。
幾ら言葉を探しても、アイリスの言葉への返事は見つからなかった。
それはベルも同じだったようで、彼女はずっと地面を見つめていた。
もしも、自分がもっと相手を思いやれる人間だったら、
もしも、自分がもっと誠意をもって接することのできる人間だったら、
もしも、自分がもっと広い世界に目を向けることのできる人間だったら、
何かが変わっていたかもしれない。
けれども、後悔したってもう遅い。
最愛の人は、生涯を添い遂げたいと思えるパートナーを見つけてしまっているのだから。
3人は、声をあげて泣いた。