SOS信号






辺りがすっかり暗くなったころ、シゲルはマサゴタウンの郊外にいた。
シゲルはナナカマド研究所に研修に来ており、その下宿先として使っている宿に帰るためだ。
街外れにある宿は格安だが、少し古いからか、宿泊客はほとんどいない。
たしかにあまりきれいな外観はしていないが、そんなことも気にならないくらいには居心地のいい宿だった。
主人の老夫婦はまだ幼いシゲルには孫に接するように親切にしてくれていたし、帰りの時間がまちまちでも、必ず待っていてくれて、温かい夕食を提供してくれた。
何も自分だけが贔屓されているわけではない。
自分たちにできることなら、老夫婦は何でも、誰にでも優しくしてくれた。
こんなに至れり尽くせりの宿なのに、客が来ないのが不思議でならない。


「(みんな見てくれで判断しすぎだよ)」


シゲルが肩をすくめて宿のある方角を見つめた。
まだ距離はあるが、小さな明かりが見えてきた。
今日の夕飯は何だろうな、と少しだけ気分が浮かれた。


「あれ・・・?」


宿に帰る途中にある自分の背丈の半分ほどの大きな岩の上に、見慣れない影が一つ。
ポケモンだろうか、と首をかしげるが、月明かりで地面に伸びた影を見るに、どうやらそれは人のようだった。
そして、それを人だと認識すると、どことなく見覚えがあることに気がついた。


「・・・・シンジ?」


数日前に、数年ぶりの再会を果たした幼馴染の女の子。
性格や考え方は自分の知っている彼女とは異なる部分もあったが、顔を見たときに溢れてきた懐かしさに、すぐにシンジだとわかった。
そしてすんなりと受け入れられた。
受け入れられたことにシンジはひどく驚いていたが、すぐにうっすらと、懐かしい笑みを浮かべた。
(変わってしまった理由について聞こうとしたらはぐらかされてしまったので、そのことが妙にひっかかったけれど)
そんなシンジが、どうしてこんなところにいるのだろう?
当面の目標だったジンダイというフロンティアブレーンを倒し、新たな目標に向かって、もうすでに旅立っていると思っていたのに。


「シンジ!」
「シゲル、」


慌てて駆け寄って、声をかけると、シンジはゆっくりと顔をあげ、岩から飛び降りた。


「どうしたの、こんなところで。しかも、こんなに夜遅くに。危ないだろう?シンジは女の子なんだよ?」


自分でも説教臭いことを言っているのはわかっているが、もう一人の幼馴染であるサトシが、これまたトラブルメーカーの困ったちゃんで、事あるごとにトラブルに巻き込まれるのである。
口には出さないものの、幼馴染でライバルの彼を、シゲルは大切に想っている。
そんな彼と同じカテゴリーにいる大切な女の子を、心配しないという選択肢は、シゲルの中には存在しない。
余計な御世話かもしれないが、言わせてもらう。


「せめてポケモンと一緒に行動してよ。何かあってからじゃ遅いんだよ?」
「・・・次からはそうする」
「そう?ならいいんだけど、」


「もう、遅いかもしれないけれど、」


「え?」


今、何と言ったのだろう。
シンジは虚ろな顔をしていた。
何もなかったとは、とても言い難い顔。
何か、誰かにひどい目にあわされたのか。
シゲルは自分の頭に、カッと血が上るのを感じた。


「ちょっと、待って。今のどういう意味?何かあった?」
「・・・私が、じゃない。サトシだ・・・」
「サトシ・・・?」


出てくるとは思わなかった名前に、シゲルが訝しげに眉を寄せる。
彼は今、イッシュというここからは遠く離れた、海を越えた地方で旅をしていると聞いた。
そんな彼の名前が、シンジの口から聞かれた。
また何か、彼はトラブルに巻き込まれたのだろうか。


「・・・あいつが、弱音を吐いた、」
「何だって?」


サトシに弱音。
にあわなすぎる単語だ。
諦めない、根性、そんな言葉が似合うサトシには、正反対の言葉だ。


「否定を繰り返され、自分を見失いかけている」


昔の、イッシュを旅していたときの、私のように、


「っ!!まさか君は、イッシュで・・・!!」


シンジは、自嘲するような笑みを浮かべて、そのことについてはそれ以上何も語らなかった。
きっと、彼女は思い出したくもないのだろう。
聞いても語らなかったのは、おそらくそのせい。
気付かずに聞いてしまった過去の自分を殴りたい。
そして、力になれなかった自分のことも。



「あの地方は、他の地方とは考え方が異なる。特に、ポケモンとともに歩むことを重んじるカントー・・・引いてはマサラとは対極と言ってもいい」


シンジが、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

ポケモンとともに歩む、とは、お互いを尊重し合う考え方のことである。
逆にイッシュは、トレーナーに決定権があった。
そうなると、やはりトレーナーは、勝ちにこだわるようになる。
ゆえにより確実に相手に勝利する方法として相性を第一に考えるバトルスタイルが主流となっている。
基本に凝り固まった考えが、根づいてしまっているのだ。
そして発展した地方ならではの、心に余裕がないという問題も合わさり、合理性を求める考えは加速した。
そして今の、基本を重んじるイッシュが生まれてしまったのだ。


「そして、たちの悪いことに、イッシュは発展しているが故に、他の地方を見下している節がある。自分たちこそが優れていて、正しいのだと、そう考えているものも少なくはない」
「・・・・・」
「特に、あいつの考えは受け入れられないだろう。イッシュの考えは基本に忠実。そんな奴らからしたら、あいつの考えは規格外すぎる」


けれどもそれは仕方がないことだとも思う。
人には人の考えがあって、イッシュの人間も、それを主張しているだけだろう。その結果、サトシがひどく心を痛めてしまっているのだけれど。


考えというものは、ひどくあいまいだ。
場所や時代、その時に好きな物事、他者からの影響により、天気よりも簡単に移り変わる。
それほどまでにおぼろげなもの。
それはわかっているが、サトシを傷付けたことはもちろん、シンジには一つだけ、許せないことがあった。


――――サトシのバトルスタイルの否定


それは彼のこれまでの努力を否定することと同じだ。
同じ地獄を味わったシンジならわかる。
努力の否定が、どれほどまでに辛いものか。






――――だから、私と同じようにあいつを狂わせるというのなら、私はイッシュ地方を許さない




「私は、イッシュに行く」




シゲルにそう告げたシンジの言葉は、宣言のようでもあり、過去の自分との決着の覚悟のようにも聞こえた。




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