SOS信号






シンオウリーグを終え、再会の約束を取り付けて交換したポケギアの番号。
普段は使用せず、ポケモンセンターの固定電話で、顔を見ながら通話をするのが好きだと言っていたから、そうそうかかってこないだろうと思っていた。
けれども予想に反して、サトシからの連絡は案外すぐに届いた。

自分も当面の目標としていたジンダイに勝利をおさめ、そろそろサトシに連絡を入れようと思っていたところだったので、これは丁度いい、とシンジはすぐにポケギアを手に取った。


「もしもし、」


ポケギアを手に取り、通話ボタンを押して、サトシの声を待つ。
けれども、サトシからの返事はない。
何となくの気配で、サトシがポケギアの電話口にいることはわかっているのだが、サトシは言葉を発しない。
いつもならヒマワリを背負ったような笑みで笑い、たとえ電話口でもそれを想像させるほどに明るい声で自分の名を呼ぶはずなのに。


「サトシ・・・?」


シンジの眉間に、訝しげにしわが寄る。
すぐそこにいるのに、手が届かないような、そんな不安を感じさせ、シンジのポケギアを持つ手に力がこもる。
せめて、返事くらいしたらどうだ!


「おい、サトシ。聞こえているんだろう?おい、」






『・・・しんじ・・・』
「!!」


今にも消えてしまいそうな、か細い声が耳を打つ。
シンジの耳はそれを聞き逃さず、しっかりとサトシの声を拾った。


「どうした、サトシ。何かあったのか?」
『・・・聞いてくれるの・・・?』


心底驚いたような声がした。
また、シンジの眉間にしわが寄る。
話ならいつも聞いてやっていただろう。
忘れたとは言わせない。
シンオウでぶつかり合った日々のことを。
お互いの信念を主張し合い、傷つけあったことを。
その果てに、認め合って、また一つ大きく成長できたことを。
忘れたとは、絶対に言わせない。


『そう、だよな・・・。シンジはいつも、俺の話、聞いてくれてたよな・・・』


嬉しそうでいて、悲しげにも聞こえる声に、シンジは吐き気がこみあげてくる。
今話している相手は本当にサトシなのか?
そう疑ってしまうほどに、いつものサトシとはかけ離れていた。


「それで、お前はどうしてほしいんだ?めったに使わないはずのポケギアを使ってまで私に連絡を入れてきたんだ。何か、理由があるんだろう?」
『う、ん・・・。え、っと、その・・・俺の話、聞いてくれる・・・?』


サトシの遠慮がちな声に、腹立たしさが募る。
話ならいつも聞いてやっていた。わざわざお願いされるほど、私は話を聞いていないように見えるのか?
幼馴染として過ごしてきた数年間でも、サトシの話を無視したことはないはずだ。
ライバルとしてぶつかり合ったシンオウの旅では、多少つらく当たったこともあったが、それくらいだ。
こうやって何度も何度も話を聞いてほしいと頼まれる程のことをしてきた記憶はない。

シンジは、言い知れぬ不安を胸に抱いた。


「話くらい幾らでも聞いてやる。それとも何か?私を話も聞いてくれない非情な人間だとでも思っているのか?」
『そ、そんなことないよ!ただ・・・ちょっと、不安でさ・・・』


サトシが苦笑しているのが、機械越しに聞こえた。
無理をして笑っているのがわかる、ひきつった笑いだ。
乾いていて、何かを求めるような、迷子の子供のような、そんな笑い。
普段のサトシからは絶対に聞くことのできない、悲しい笑い声だった。


「なら、その不安ごと話せ。私に何が出来るかわからんが、まぁ、聞くことくらいはしてやれる」
『うん・・・。ありがとう、シンジ』


一つ、小さく礼を述べて、サトシはポツリポツリと話し始めた。




『俺さ、疲れちゃったんだ・・・』


『俺の主張を聞いて、おかしいって否定されて、俺のやり方は間違ってるって責められて、』


『俺だって、最初は反論してたよ。認められないことが悔しくてさ』


『シンジとのことがあったばかりだから特に』


『でも、シンジが俺を認めてくれたように、あいつらも俺を認めてくれると思って、俺は間違ってないって、ちゃんと言ってきたんだ』


『これが俺のやり方だって、』


『でも、それでも聞いてくれなくて、やっぱり間違ってるって責められて、』


『あいつらの中に、俺を認めるっていう考えはないのかな・・・?』


『あいつらと、分かり合えないのかな・・・?』


『俺、自信無くなってきたんだ・・・』


『あいつらと、分かり合える気がしない、』


『俺、もう辛いよ・・・』


『なぁ、シンジ、』


『俺が間違っていたのかな・・・?』




今話しているのは、本当にサトシなのだろうか?
今にも泣いてしまいそうな声で、サトシがシンジにこぼした心の声。
機械越しでもわかる。サトシは今、世界で一番似合わない顔をしているに違いない。
悲しみに暮れた、絶望にぬれた、そんな顔。
この世で最も似合わない、そんな顔をしている。
聞いているシンジまでもが、暗く沈んだ表情をしてしまうような、悲痛な声。
心からの叫びだった。

助けて、と叫ぶ声が、耳元で反響しているようだ。
かつての、”イッシュ”を旅していた自分の、断末魔にも似た、絶望の声が。


「なぁ、サトシ。お前今、どこにいる・・・?」


お前は違うところにいてくれ。そう願いながら、シンジは、神妙に言葉を紡いだ。
頼むから、あの絶望の地だけではないことを。
シンジは、祈るばかりだ。








































『・・・イッシュ、地方・・・』






絶望の底に、おとされた気がした。
まさか、お前もそこにいるなんて。
伝えておくべきだった。自分が変わってしまったきっかけの地方を。
そうすれば、サトシは苦しまずに済んだかもしれないのに。


『シンジ・・・?』


サトシの不安げな声に、我に帰る。
何でもない、とだけ言って、シンジは頭を振った。
今あの地にいるのは自分ではない、サトシだ。
自分の二の舞にさせるな。自分の大切な幼馴染を、自分を認めてくれたライバルを。
彼に絶望の底を見せるな。
思い出せ。あのとき、自分がほしかった言葉を。
彼を救える一言を。


「お前は間違っていない。何も、間違ってなんかいない」


あのときほしかった、たった一言。
けれども得られなかった、救いの言葉。
思い出して、泣いてしまいそうだった。
けれども泣いているのは、過去の自分と、今のサトシだ。
天瓶にかけて傾くのは、サトシの方だった。


「私が認めたお前を、お前自身が否定するな」


それは私への否定につながるのだから。


「不安なら、何度でも、何度でも、私がお前を、肯定してやる」


だから、お前だけはどうか、


『うん・・・。ありがとう、シンジ・・・』


泣き笑いのような声が聞こえてた。
嗚咽を噛み殺したような、笑いたいのを我慢するような、そんな声。
その声にはもう、絶望の色はない。


『ありがとう、シンジ・・・、なんか、楽になった気がする』
「そうか・・・」
『また、辛くなったら・・・連絡、してもいい・・・?』
「ああ、」


いつでもかけてこい。
ありがとう。
そんな言葉が交わされて、2人の通話はそこで終了した。

ポケギアからは、サトシに声は聞こえない。
わずかにだが明るくなった声が、シンジの耳にこびりついている。
彼に言った言葉が、自分にも掛けられていたら、自分は変わらずにいられただろうか。
過ちを犯さずに済んだだろうか。

その答えは、いくら自問自答しても出てこなかった。
ただ一つ言えることは、自分にも、たった一言でいいから、救いの言葉をかけてくれる人がほしかった。


苦しんでいるサトシには悪いと思うが、少しだけ、サトシがうらやましくなった。










どうして私には、救いの手を差し伸べてくれる人がいなかったのだろう?
その疑問に答えてくれる声は、やはり無かった。




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