サトシにかわいい服を着せるシンジの話
――――どうしてこうなったんだっけ。
ふわふわと揺れる黄色のスカート。さらさらと流れる黒髪のウィッグ。
清潔感あふれる白のブラウスに、襟元には淡い桜色のリボンが付いている。
愛らしいそれらを見事に着こなしたサトシが深い深いため息をついた。
「(何で俺が・・・。女の子なんだから、自分できればいいのに・・・)」
扉の向こうにいる少女を想い、サトシがまた重い息を吐いた。
始まりはいつだったか、はっきりとは覚えていない。
けれどもこうなったきっかけは、忘れることを許さないと誓わされているのかというほどはっきりと覚えている。
きっかけは1枚の写真だった。
メイドカフェ山小屋で女装したサトシを、いつ撮ったのかは不明だが、面白がったヒカリが写真に収めていたらしい。
現像されたそれを渡された時は気を失ってしまいそうだった。
サトシとしては今すぐにでも破り捨ててしまいたかったが、ヒカリに「捨てちゃだめ」と強く念を押され、結局捨てることはかなわなかったのだ。
そしてその写真は、リュックの奥底に押し込められることとなった。
そして始まりはここからだ。
写真の存在などすっかり忘れていたサトシが、荷物の整理をしていた時のことだった。
ぺらりと1枚出てきた写真に、一体何の写真だ、とリュックから出した時、神がかったタイミングで突風に見舞われ、写真が飛ばされてしまったのだ。
ひらひらと風に舞い、裏と表に宙返りする写真を見て、あれに映っているものが何なのかを思い出したのだ。
あんな痴態を誰かに見られるわけにはいかないとサトシは必死で後を追った。
しかし神様というものは存在しないのか、その写真はこの世で最も見られたくない相手の手に渡ってしまったのだ。
「し、シンジ・・・っ!?」
風に舞う写真を捕まえたのはシンジだった。
シンジはサトシが止める間もなく写真を見てしまっていた。
驚きに目を見開くシンジにサトシは膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
気持ち悪がられるだろうか。嫌われるだろうか。説明したら納得してもらえるだろうか。
距離を置かれたら立ち直れないかもしれない。
視界がぼやけてきたのは気のせいだろうか?
絶望に打ちひしがれる中、ぽつりとシンジが言った。
「・・・可愛いな」
「え?」
予想外の言葉に涙をぬぐい、顔を上げると、シンジは目をキラキラと輝かせて写真を見つめていた。
頬をバラ色に染めたシンジに、こんな顔もできるんだ、と自分でも驚くほど心臓が跳ねたのを覚えている。
それと同時にひどく安心したものだ。
彼女は自分になど興味を示さず(それはそれで悲しいが、この時限りはありがたい)メイド服を見て可愛いと言っている。
自分の黒歴史に対して何も言われなかったことと、彼女もやはり女の子なのだな、とサトシはほっと胸をなでおろした。
「・・・なぁ」
「な、何?」
「着て見せてくれないか?」
「え?」
「これ・・・」
そう言ってシンジは写真の中のメイド服を示した。
着てみたいではなく着てほしい?
サトシは耳を疑ったが、どうやら間違いではないらしかった。
おずおずと上目遣いで駄目か?と聞かれたサトシの心境は、恋をしたことがあるものならば言わずとも分かるだろう。
好きな人の願いをかなえたい。けれど自分にそんな趣味はない。
その服は借り物だから、と遠回しに、ものすごく遠回しに断って見たのだが、なら服は自分が用意するから、とより一層懇願されたのだ。
両手を握られ、じっと見つめられて、サトシの男としてのプライドはぽっきりと折れてしまった。
服を用意してくれるなら、と言って、サトシは女装を引き受けたのだ。
その時のシンジの顔は、花が咲いたようだったと、のちにサトシは語る。
そうして、シンジが用意した青いワンピースと、同じく青いパンプスを履いてシンジの前に出ると、シンジはまるで恋する乙女のように頬を上気させた。
そのとろけるような視線の熱さと言ったら、まるで恋人に向けるそれと同じだった。
そんな瞳で自分を見つめてくれるなら、とサトシはこの後何度も繰り返されるシンジの願いをかなえていった。
そしてサトシは今日も白いブラウスにそでを通したのだ。
「(でも、どうしてこんな趣味を持つようになったんだろう・・・?)」
サトシがシンジの用意した服を見るようになる前は、幼馴染の少女に着てもらっていたらしい。
しかし10歳になり、双方が旅に出て、それがかなわなくなったんだという。
そうしてサトシの女装写真の愛らしさにいてもたってもいられずに、サトシに女装を頼んだと、以前本人の口から聞いていた。
「(自分が着て、鏡でも見た方が手っ取り早いのに、)」
シンジは男らしい服装をしているが、愛らしい少女なのだ。
自分が少女らしい恰好をして鏡の前にたてば、きっと自分に見とれてしまうほど様になりそうなものだが、とサトシは首をかしげた。
「(まぁ、これでシンジが喜んでくれるなら、プライドなんて捨ててやるけどさ)」
ふう、と1つため息をついて、サトシはそっとドアノブに手をかけた。
***
少し、昔話をしよう。
シンジの昔話だ。
シンジは昔からボーイッシュな子供だった。どれくらいからだったかというと、幼稚園に通っていたときにはすでにそうだった。
男装の趣味があるわけではないが、自分には男らしい服装の方が似合っていると思っていたシンジは男らしい服装を好んでいた。
むろんスカートをはいたことがないわけではなく、普通に履いていたが、圧倒的にズボンの割合が高かったのだ。
しかし兄のレイジはそんなシンジを残念に思っていた。
女の子らしい服装の方が似合うし、本人は別段それに嫌がるそぶりを見せていない。
着てほしいと言って渡せば何のためらいもなく着てくれるのだ。
ただ汚してしまうのは忍びないと眉を下げるので本人が選んだ服を着せていただけだった。
しかしまぁお遊戯会くらいはおめかしさせてもいいだろうと、ふわふわのワンピースを着せたのだ。
想った以上によく似合っており、シスコンと言われても文句を言えないほどにほめちぎった。
けれども人は劣等感を持つ生き物である。
普段男らしく、自分より可愛くないと思っていた少女が、自分より可愛くなったら、妬んだり僻んだりする相手も出てくるのは必然だった。
人形のように愛らしくなったシンジに嫉妬した1人の少女が言ったのだ。
「似合わない」
――――似合っている
「可愛くない」
――――とても可愛い
「その服がかわいそう」
――――あなたのために作られたよう
想ってもいないことを並べ立て、少女は自分の言った言葉に傷つきながらその場を立ち去った。
それにシンジが想った事は「やっぱりそうか」という納得だった。
のちに少女が傷つかなかったのか、と問えば、自分でもそう思っていたから、とシンジは返したという。
それからシンジは男らしい服を着るようになった。
可愛い服はその服を着て可愛い子が着るべきだ。
似合うものが似合う服を着るべきだ。
そういう考えを持つようになったシンジは、それから一切女の子らしい服を着ることはなくなった。
シンジはそれに別段何も感じなかったのだが、悪口を言った少女は、男らしい服しか着なくなったシンジ強い罪悪感を抱いた。
「ごめんね?本当はとっても似合っていたよ」
そう言って謝った少女に返した言葉は「お前に似合いそうだな」だった。
可愛い服は似合うものが着るべきだと、そういう考えを持ってしまったシンジは、例のふわふわのワンピースをその少女にゆずった。
そうして着てもらったところ、その少女に作られたように似合っていて「可愛い服はその服を着て似合うものが着るべきだ」という考えを、より強固なものにしてしまったのだ。
可愛い女の子が可愛い服を着たら、こんなに愛らしくなるものなのかと、強く感動したシンジはそれ以来、それを眺めることが趣味になったのだ。
そしてこの少女こそが、シンジが旅に出る直前までこの趣味に付き合っていた幼馴染の少女である。
ちなみにこの少女、いやいやではなく友人としてシンジが大好きで、シンジの願いならばかなえたいと自分から進んで可愛い服を着るようになったという。
こういった経緯があってシンジがこのような趣味を持つようになったのだが、そんなことサトシが知る由もない。
「シンジ、着替えたぞー」
そう言ってドアノブを回すと、シンジがはじかれたように顔を上げた。
彼女の手の中にはたくさんの服が抱えられており、次の服を選んでいる最中だったのだろう。
まだやるのか、とサトシが疲れたような表情を見せるが、シンジのキラキラと輝く目を見てしまえば、疲れなんて吹き飛んでしまう。
本当はやめたくてやめたくて仕方ないが、いつもは仏頂面のシンジが頬を染めて嬉しそうに笑うものだからやめるにやめられない。
本当はシンジに着てほしいのに!そんな心の声は目の前の少女には聞こえない。
惚れた弱み。惚れたもの負けだ。
いつだか母が言っていたな、とサトシが肩をすくめた。
『恋はね、惚れたもの負けなのよ』
ああ、まったくもってその通りだ。
その時は言っている意味がわからなかったが、今なら分かる。
シンジに惚れてしまって、彼女にお願いされて、好きでもない女装をしている。
彼女のために、プライドなんて捨ててしまった。
惚れた弱みとは、惚れたもの負けとはよく言ったものだ。
「(いつか絶対、お返しもらってやろう)」
自分ではなくシンジにかわいらしい服で着飾ってもらって、自分がそれをうっとりと眺めるのだ。
それがウエディングドレスだったら最高だよな、とサトシはこっそりと口角を上げた。