頭が痛いシンジの話






サトシとピカチュウは森の中にいた。
ポケモンセンターで宿を取ってから買い出しに出かけたシトロンたちと別れ、特訓のためにポケモンセンター近くの森にやってきたのだ。


「よし、ここら辺にするか」


少し開けた川辺は特訓には丁度いい。
ケロマツたちをボールから出し、今日の特訓内容を告げようとすると、ふとケロマツがきょろきょろと辺りを見回した。


「ケロマツ?どうした?」
「ヤッコ?」
「ぴか?」


何かの気配を感じたらしいケロマツが、そちらに向かって飛び跳ねていく。
それに驚いてサトシたちは慌ててケロマツを追う。
そう進まないうちに、彼の足は止まった。


「どうしたんだよ、ケロマツ。急に走りだして」
「ケッロォ」
「ぴかっちゅう!」


ケロマツの視線をたどったピカチュウが驚きの声を上げる。
その声につられてサトシはピカチュウを見た。
ピカチュウは茂みの向こうを覗き込んでいた。

視線の先にはシンオウの初心者用ポケモン・ナエトルの最終進化形のドダイトスと、紫の髪の少女がいた。
紫陽花を思わせる髪の少女は樹にもたれて座り込んでおり、ドダイトスはその少女に寄り添うようにして隣に座っている。

その少女を、サトシは知っている。


「シンジ!?」


驚きのあまり声を上げたサトシに気づいたドダイトスが、少女を守るように彼女を背に前にたつ。
声の主を見やり、彼は眼を瞬かせた。


「ドッダァ・・・」


驚き呆然として、それからほっと息をついた。
久々に再会したライバルにピカチュウが駆け寄る。
ピカチュウもドダイトスも嬉しそうだ。


「シンジたちもカロスに来てたんだな」


そういいながら茂みを飛び越えると、ヤヤコマたちが不思議そうにサトシを見上げた。


「こいつは俺のライバルのシンジ。で、こっちが相棒のドダイトスだよ」
「ドーダ」
「ケロォ」
「ヤッコ!」


サトシの紹介に、ポケモンたちは気さくにあいさつを交わす。
それを見守って、そっとシンジを見つめた。


「それにしても、シンジの奴、寝てるのか?」


これだけ会話をしているのに顔をあげないシンジを不思議に思い、サトシがドダイトスに尋ねる。
するとドダイトスは困ったような表情をした。


「シンジ、どうかしたのか?」
「ドダァ・・・」


人間で言うなら眉を八の字にしたようなドダイトスの表情に、思わず不安が掻き立てられる。
心配そうな表情でシンジを見つめるドダイトスに習い、サトシも彼女を見つめた。
そしてぎょっとした。
ただでさえ白いシンジの肌が、さらに色を失っていた。


「し、シンジ!?」


これは本当に生きているのかと尋ねたくなるような、陶磁器のような白さだ。
青を通り越している。
驚きの声を上げたサトシの方を見て、シンジの顔色に気づいたピカチュウたちも目をむくほどだ。
血の気を失った頬に触れて、サトシの指先がびくりと震えた。


「つ、つめた・・・!」


予想外の(今の顔色からすれば妥当な温度だが)冷たさに声が漏れる。
少しでも温かみのある場所はないものかと額や首筋に触れてみるが、やはり冷たい。
さすがに首筋はほんのりと暖かかったが、それでも自分とは比べ物にならない。


「シンジ、具合悪いのか?」


聞かなくてもサトシ自身、そんなことはわかっていた。
青を通り越した青白い顔色。冷や汗のにじんだ額には眉を寄せ、苦しげな表情をかたどっており、深いしわが刻まれている。
それでも尋ねれば、ドダイトスは神妙にうなずいた。


「んぅ・・・」


小さな身じろぎとともに、長い睫毛がふるりと揺れる。
ゆっくりと持ち上がったまぶたが2,3度瞬きを繰り返す。
どうやら、シンジが目を覚ましたらしい。


「・・・ドダイ、トス・・・?」


寝起きだからか、わずかにかすれた声でシンジがつぶやく。
まだ覚醒していないのか、呆然とした風だった。
ドダイトスがシンジに擦り寄り、その存在を主張すると、シンジはぽんとドダイトスの額に手を置いた。


「シンジ、」


サトシがシンジに声をかけた。


「シンジ、俺だよ、わかるか?」
「・・・?」


サトシがたずねると、ゆっくりとシンジが視線だけをサトシによこした。
それからゆっくりと、顔ごとサトシに向ける。
頭を揺らさないようにしているかのごとく、慎重な動きだ。
そしてサトシと視線がぶつかった。


「サ、トシ・・・?」


軽く首を傾げたシンジにサトシがそう、と言ってうなずいた。


「シンジ、大丈夫か?」
「・・・あたま、いたい・・・」


いつになく素直に告げられたシンジの声は、低く呻いていた。
虚勢を張るのも億劫なのか、その表情は痛みに歪んでいる。


「具合悪いなら、とりあえずポケモンセンターに行こう。すぐ近くにあるから、な?」



そう言って刺激しないように髪をなでる。
普段こんなことをしようものなら手を払いのけられるか、鋭い眼光でにらみつけられることだろう。
(そもそも彼女の髪に触れたこと自体初めてなのだが)
あくまで予想の範囲だが、今日はそれらがない。それだけ具合が悪いのだろう。

サトシのシンジが何事かを呟く。しかし小さすぎて聞こえない。
声を聞き取ろうと顔を近づけて、ようやく聞きとることができた。


「あたま・・・ゆれると、もっと、いたくなる、から・・・やだ」


そう言ったシンジの声は震えていた。
よく見れば、シンジの瞳はうるんでおり、水の膜が張っている。
それほどまでに頭痛がひどいのだろう。
シンジが涙目になることなど、よほどのことがない限りありえない。


「でも、いつまでもこんなところにいたら風邪引くし、もっと辛くなるんじゃないか?」
「ぴーかちゅーう」


サトシの隣に駆け寄ったポケモンたちも、心配そうな声を上げる。ドダイトスもサトシに同意するが、シンジは「うごきたくない・・・」と消え入りそうな声で呟くのだった。


「じゃあ、俺が出来るだけ頭揺らさないようにして連れて行く。それならいいだろ?」
「やだ・・・。おまえに、かかえられたく、ない・・・」
「じゃあ、自分で歩くか?」


シンジがサトシの言葉にうなずき、足に力を込める。
そして立ち上がろうとした瞬間、急激に襲った激痛に頭を抱え、うずくまった。
それと同時に口元に手を当て、耐えるようにぎゅっと目を閉じた。
けれども耐えられなかったのか、川の方へと向かう。
そして、川に向かって、


「お゛え゛・・・っ」


吐いた。


「シンジ!!」


サトシが慌ててシンジに駆け寄る。
どうやらすでに何度か吐いているらしく、伊の中には何もないようだ。
今吐いたのは黄色がかった透明な液体、つまり胃液だ。

ぜぇぜぇち喘ぎ、咳き込むシンジは見るからにつらそうだ。
肩で息をするシンジの背中をなでていると、シンジが顔を上げた。
大きな目から、はらはらと涙があふれ、花弁が散るように滑らかな頬を流れていく。
それを見て、サトシはぎょっとした。
まさかシンジの、あのプライドの高いシンジの涙を見ることになろうとは!


「あたま、われる・・・。も、やだ・・・」


はらはらと流れ落ちる涙に、らしくない弱音。
ライバルのこんなに弱弱しい姿を見るのは初めてだった。


「ほ、ほら、無理すんなって!俺が連れて行ってやるから!な?」


らしくない姿に、サトシはたじたじだった。
どう対処すればいいのかわからず、どう接すればいいのかもわからず、ただ困惑する。
とりあえず、心得のある人に診せればいいということはサトシにもわかった。


「サトシぃ・・・」


すがるようにシンジが手を伸ばしてくる。
絞り出すような声に、ぎゅうと心臓を握られたような気がした。

震える細い手を握ると、弱い力でシンジも握り返してくる。
そのまま体を引き寄せ、自分に身を預けさせた。
髪をなでながら、サトシは思案する。


「(おんぶ・・・は、背負うときに頭が揺れちゃうし・・・。抱っこもそうだよな・・・)」


担ぐなど、もってのほか。
シンジを抱える方法は思いついているのだが、その方法は少しだけ戸惑われた。
しかし、苦しそうなシンジを見ていると、悩んでいる間、放置していることの方が酷なことのように思える。
意を決してサトシがシンジに言った。


「シンジ、俺の首に手をまわしてくれるか?」


握った手を肩口に置くと、シンジは意外にも素直に首に腕をからめた。
そのことにわずかに驚きながらもほっとして、背中に手を添えた。
それからひざ裏に手をさしいて、ゆっくりとシンジを抱きあげた。


「ひっく・・・あぅ・・・うぅ・・・」



ぐっと近づいたことにより、サトシの耳にシンジの声が入ってくる。
痛みに耐えるようなうめき声にサトシが眉を寄せた。


「シンジ、すぐ連れて行ってやるからな?」


出来るだけ刺激しないように優しく囁く。
そしてゆっくりとたちあがり、足元にいるピカチュウに声をかけた。


「ピカチュウ、シンジの荷物、頼んでいいか?」
「ぴかっちゅ!」


ケロマツと協力し、ピカチュウがシンジの荷物を抱える。
そして荷物を持ったピカチュウたちを、ドダイトスが背に乗せた。
ピカチュウたちはそのことに驚くが、ドダイトスは構わずに歩き出す。


「ドーダ」


サトシの横につき、ドダイトスが横目でサトシを見上げる。

信用はしているが、信頼はしていない。主がその身をゆだねたから許してやるが、主の苦痛を少しでも悪化させてみろ、容赦はしない。

隠しもしない敵意にも似た感情に、サトシが苦笑する。


「ん、任された」


そう言って、揺らさないよう、細心の注意を払って歩き出す。
シンジの口からは、ひっきりなしにうめき声が上がっている。


「シンジ、大丈夫か?」
「だい、じょぶ、じゃ、ない・・・。あたま、わって、なかみ、ぶちまけ、たい・・・」
「そんなにつらいんだな、頭痛って、」
「う゛ー・・・」


しゃくりあげながらうめき声を上げる。
涙は止まったものの、苦しそうな表情はいつまでたっても変わらない。

押し黙ってしまったシンジの腕に、力がこもる。
首の後ろで布をつかみ、痛みに耐える手は震えている。


「シンジ?」
「・・・あめ・・・」
「あめ?あめって・・・空から降る雨のことか?」


シンジの変化に、サトシが思わず足を止める。
シンジの声に耳を傾けると、彼女は「あめ、ふる・・・」と震えた声で言った。
怯えるような、弱弱しい声だった。


「雨?こんなにいい天気なのに?」


サトシが空を見上げると、空は快晴と言って遜色ない天気だった。
しかし、これから向かうポケモンセンターの方角には、分厚い雨雲が今にもしずくをたらそうと企んでいるようだ。
サトシの口から、あ、と声が漏れた。


「あめ、ふると、もっと、いたくなる、から、つらい・・・」
「そう、なんだ・・・」


これからおそってくる痛みにおびえるように、シンジの顔が歪む。
これから猛威をふるってくる地獄の痛みを思い受けベ、この世の終わりを見たような、絶望した表情を浮かべた。
再び流れ落ちる涙が、より一層悲壮感を漂わせている。


「ぴかー・・・」
「ヤッコ・・・」
「ケロォ・・・」


ピカチュウたちも心配そうにシンジを見やる。
ドダイトスも表情は変わらないものの、その目は不安に揺れている。

肩口に顔を埋めるシンジをあやすようにそっとなでた。


「・・・もうすぐ、ポケモンセンターにつくから、ジョーイさんに診てもらえるから安心しろよ、な?」


なだめるような優しい声でサトシが言えば、シンジは消え入りそうな声で「・・・うん」とうなずいた。

ポケモンセンターは、もうすぐそこだ。




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