恋は戦争






 夜。
 ポケモンセンターの宿泊スペースの一室を借りたサトシ達は、眠りについていた。
 外からは夜行性のポケモンたちのかすかな足音や、風のざわめきが聞こえる。
 サトシ達は眠っているから、もちろんそれらには気づかない。けれどもシンジは、唐突に頬にひやりと冷たいものを感じた。


「ん……、」


 頬への冷たい感触に目を覚ましたシンジは、ゆっくりと身を起こした。
 頬を濡れたりはしていない。何かが触れたような感触もない。一体なんだろう、と視線だけを動かし、ハタ、と目を覚まし、覚醒した。


(セレナ……?)


 隣のベットで寝ているはずの少女がいない。ベッドはもぬけの殻で、シーツに触れてみても、暖かさは失われていた。


(一体どこへ……)


 疑問を抱えて部屋の中を見回すと、テラスへと続く大窓のカーテンが揺れていた。





「はぁ……」


 セレナはテラスで、一人嘆息した。
 夜の冷たい空気が頬をなでる。カロスは暖かい地域だから寒さは感じない。心地のいい冷たさだ。
 けれどもセレナはそんな夜の風にも心を癒されないでいた。
 眠れないきっかけはハルカとシュウとの出会いにある。


「夢、か……」


 サトシはポケモンマスター。シトロンは発明家。シンジの夢はわからないが、さらなる高みへと上り詰めようと、リーグ優勝を目指している。今日出会ったハルカとシュウも、トップコーディネーターを目指して邁進している。
 しかし自分はどうだろうか?目的を持たないまま旅を続けている。
 バトルだってしたことがないし、今現在持っているポケモンだってプラターヌ博士より譲り受けたフォッコだけ。このままだらだらと旅を続けていても、成長できないことはセレナにもわかっている。
 しかしサトシは言ってくれたのだ。「ゆっくりでいい」と。だからセレナは自分の夢について深く考えずにここまでの道を歩んできた。
 けれども今日会った2人にも夢があり、サトシ達は目標に向かって確実に進んでいる。日々進化している。
 夢を見いだせていないセレナは、そのことがコンプレックスになりつつあった。


(私は、どうして旅をしているんだろう……)


 ただサトシに会いたくて、深く考えもせずに家を飛び出して。彼に会う目的は達成された。
 今は一緒に旅をして、彼に言われたとおり、旅の中で自分なりの目標を見つけられたらいいと思いながら彼について旅をしている。


(私、サトシの言葉に甘えてるんじゃないかな……。私がしたいことって、一体何なんだろう……?)


 もう一度嘆息して、セレナは手すりに肘をかけ、頬づえをついた。


「おい……?」
「きゃっ!?」


 唐突に背後からかけられた声に、セレナがびくりと肩を震わせる。
 盛大に悲鳴を上げかけ、現在が真夜中だということを思い出し、慌てて口をふさぐ。そして恐る恐る振り返って、大きく息をついた。


「な、何だ、シンジか。びっくりしたぁ……」


 恐ろしいものが待っている心持で振り返ると、そこにはラフな格好をしたシンジがいた。ぱちくりと目を瞬かせる様子はどことなく幼く見えた。
 自分が声をかけたことで驚かせたらしいと察したシンジは、ばつが悪そうに視線をそらした。


「すまん、驚かせたか?」
「ううん、大丈夫。こっちこそごめん。起こしちゃったね」
「いや。それより、どうしたんだ? こんな時間まで……」
「うん、ちょっと……」


 セレナが気まずげに視線をそらしたことに、シンジが訝しげに眉を寄せる。
 シンジからは深く踏み込む気はないようだが、そらされることのない視線には心配とも取れる色が浮かんでいる。
 恋敵なのに仲は悪くないんだよなぁ、私たち、とセレナは少し気分が浮上するような気がして、でもやはり笑えず、ゆっくりと目を伏せた。


「ねぇ、シンジ。シンジはリーグ優勝を目指してるんだよね?」
「……ああ、」


 当然の問いに、シンジは片眉を跳ね上げてセレナを見た。けれども何も言わず、ただ問いの答えを返す。
 セレナは伏せていた目をそっと持ち上げて、ゆっくりとシンジを見やった。


「じゃあ、リーグで優勝したら?」


 シンジは考えるそぶりを見せて、ゆっくりとした動作でセレナの隣に並ぶ。そのままセレナを見ずに、虚空を見上げたまま言った。


「特には……ないな、」
「え?」


 意外、と呟いて、セレナが目を見張った。
 シンジは同い年の中でもしっかりとしたトレーナーだと思う。自分の考えや意見を持っていて、確固たる自信と実力もある。
 リーグ優勝というきちんとした目標も持ち合わせていて、てっきり夢に向かってひたすらに進んでいるものだと思っていた。
 ――意外だ。


「確かに、リーグ優勝は一つの目標だ。けれど、それは最終的な目標じゃない」
「最終的な、目標……?」
「お前が『夢』と呼んでいるものと、同じと思ってくれてかまわない」


 虚空に背を向けて、シンジが手すりに身を預ける。セレナも同じようにして、静かにシンジの言葉に耳を傾けた。


「サトシはポケモンマスターを目指しているだろう? その通過点としてリーグ優勝を目指している。私も一つの課題としてリーグ優勝を目指してはいるが、その先にある”夢”を見つけてはいないんだ」


 より高みを目指して日々努力を繰り返している。
 では、その高みとは、一体なんだ?


「とある人に言われた――”何のためにポケモンとともに歩むのか”、その答えを、私はまだ、見つけられずにいる」


 見つけられずにいる、というけれど、その目に焦りはなく、一点の曇りもない。強く強く、輝いている。


「――サトシとのこの旅で、見つけられる気がするんだ」


 シンジはこの時、ようやくセレナと目を合わせた。自信と誇りに溢れた、美しい笑みを湛えて。


(凄い……。私と同い年の子たちが、みんな夢を持って旅をしている。シンジはまだ夢を見つけてないっていうけれど、きちんとした目標を持ってる……)


 この分ならきっと、シンジが夢を見つける未来も、そう遠くはない。
 けれど、先程の様な不安はなかった。
 きっと、シンジが笑っているからだ、とセレナは思った。
 眩しいばかりの太陽ではなく、闇を照らす月のような、柔らかい笑みを浮かべて、シンジが笑っているからだ。
 不安な心を包み込むような微笑みを浮かべられるシンジに、セレナはひどく憧れた。


「私も……!」


 声を振り絞るようにして、セレナは言った。


「私も見つけたい……! 私の、私だけの夢! サトシやシンジたちとの、この旅で!!」


 セレナの力強い言葉に、シンジはわずかに瞠目した。けれど、それはすぐに微笑みに変わる。
 お前なら見つけられる――そんな風に優しく励ましてくれる、優しい笑みだった。




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