恋は戦争
サトシ達は図書館に来ていた。読書を楽しむために作られたスペースの一角で本の山を作り、読みふけっている。それらはすべて名前を決めるためのアドバイスが書かれているもので、なかなかに分厚い本が多い。
「う~ん……、なかなかいい名前が思いつかないな……」
「確かに、これっていうのがないわね……」
「名前を決めるのって難しいんだね」
サトシに協力するセレナとユリーカも、なかなかいい案が浮かばず、眉を下げている。
イーブイはそんなサトシ達を不安そうに見つめていた。そんなイーブイにピカチュウが笑いかけるが、困ったような表情はなかなか変わらない。
名前をつけるというのは存外難しいのだ。全てのポケモンにニックネームをつけているトレーナーは凄いな、とサトシは長く息を吐きだした。
そんな中、ユリーカが明るい声を上げた。
「ねぇねぇ! イーブイの好きな物の名前をイーブイにつけてあげたら? イーブイも自分の好きな物の名前をもらえたらきっと嬉しいと思うの!」
「そういうのもありだよな」
「でも、何が好き、とかわからないよね」
ユリーカの案にサトシ達の顔が一瞬明るくなるが、イーブイとの付き合いはまだまだ短い。何が好きで嫌いかなんて、まだまだ知らないことだらけだ。セレナの言葉に、またサトシ達は俯いた。
すると今度はセレナが声を上げた。
「あ、そうだわ! 花の名前なんかどうかしら?」
「花の名前?」
「イーブイは女の子だもの、きっと好きよ!」
「ユリーカもお花だーい好き!」
「花の名前かぁ……」
セレナの案に、サトシがイーブイを見やる。イーブイはなんのことかわかっていないのか、首をかしげている。ただ、サトシ達の顔が明るくなったから、同じように顔を輝かせているようだった。それに先程からイーブイを笑顔にしようとしていたピカチュウがほっと胸をなでおろした。
(花、か……)
花を綺麗だとか、かわいいと思う感性は、サトシにも備わっている。花は見ていると和むし、落ち着くから花が好きだというのもうなずける。
それはシンジも同じだろう。花を見つめるシンジの瞳は常よりも幾分か柔らかい。シンジが花が好きなのは一目瞭然であるし、イーブイも女の子だ。綺麗なものは嫌いではないだろう。
「それいいな! じゃあ花の図鑑も見てみようぜ!」
「じゃあ私、あっちを探すね!」
「ユリーカもー!」
「頼むぜ、2人とも!」
セレナとユリーカが花の図鑑を探しに本の森に消える。
サトシはその間にピカチュウとともに名前辞典を抱え、もとの棚に戻していく。隣をついてきたイーブイが、不思議そうにサトシを見上げた。
「イーブイ、ちゃんといい名前付けてやるからな~?」
「ブイ~!」
サトシの言葉に嬉しそうに笑って、イーブイが足にじゃれつく。本を片し終え、足に擦り寄るイーブイを抱えるとイーブイは嬉しそうに頬に擦り寄った。
「サトシ! 図鑑見つけたよ!」
「お、サンキュー、ユリーカ!」
「こっちにもあったよ!」
「セレナもありがとな!」
サトシはユリーカたちが見つけてきた植物図鑑を広げた。色とりどりの植物の写真に、イーブイが興味を示す。
イーブイもやはり女の子。華やかで美しい花の写真に見とれていた。
「お、イーブイ、花が好きなのか?」
「ブイ!」
「じゃあ、気にいった花があったら教えてくれよ?」
「ブイ!」
「世界の珍しい植物図鑑」
セレナが見つけてきた植物図鑑だ。名前の通り、珍しい花々を集めた図鑑だ。見たこともないような奇妙な花や、美しい植物が目―時を埋めている。
イーブイはサトシがページをめくっていくのをじっと見つめていた。美しい花々に目を輝かせているが、どれも今一ピンとこないらしい。ページは残り少なくなっている。
「なかなか気にいる花がないみたいね」
「そうだなぁ……」
「まだ他にも花はいっぱいあるし、大丈夫よ!」
とうとう一冊目の本に気にいる花はなかったらしく、サトシは二冊目にうつった。
ユリーカが見つめけてきた、子供向けの草花図鑑だった。ポピュラーなヒマワリや朝顔。一般的に雑草と呼ばれる花が取り上げられている。
あまりぱっとしない草花ばかりで興味をそがれるかと思ったが、身近にある植物の方が見慣れているからか、先程の図鑑よりも真剣に見入っていた。
どうも奇抜な植物ばかりだったので、植物に見えていなかったのかもしれない。物珍しさはあったようだが、一体何なのかわからないものを見ても面白くなかったようだ。
「イーブイ、どれが気にいるかなぁ?」
「やっぱり優雅なバラかしら? ガーベラなんかも可愛いわよね」
「ユリーカはタンポポとか黄色いお花が好き!」
イーブイと一緒に図鑑を眺めるセレナたちが楽しげな声を上げる。楽しそうな女の子たちを見つめながら、サトシも淡く微笑んだ。
「イーブイ、めくってもいい?」
「ブイ!」
セレナがイーブイの確認を取りながらページをめくっていく。ページをめくる音を聞きながら次に現れる花を待っていると、唐突にイーブイの耳がピン、と立ち上がった。
「ブイッ! ブイイ!」
「え? どうしたの、イーブイ?」
イーブイが図鑑に駆け寄り、ページの隙間に頭を入れようと四苦八苦する。それに驚き、セレナが困惑する。
図書館の本は公共のもの。本が破けてはいけないとサトシがイーブイを制した。
「コラ、駄目だろ、イーブイ。見たいページがあるんなら開いてやるから」
「ブイ」
サトシに制され、イーブイが本のわきにちょこんと座る。それを見届けて、サトシは1ページずつ本をめくっていった。
「ブイ!」
数ページ本をめくると、イーブイがページを押さえてサトシを止める。それにうなずいてサトシがページを開き、イーブイに見やすいように本の向きを変えた。
「ブイ! ブイイ!」
「この花が気にいったのか?」
「ブイ!」
イーブイが示した花はスミレの花だった。紫色が美しい、小さくかわいらしい花だ。イーブイが目を輝かせるのを見て、サトシが優しく微笑んだ。
「スミレの花かぁ、可愛い花だな」
「ぴゃあ!」
「イーブイはこの花が好きなんだな」
「ブイ!」
サトシがスミレの花に目を落とす。ふと、何かを見つけたらしく、ゆるりを目を見開いて、それから淡い微笑みを浮かべた。
サトシがイーブイを手招く。ピカチュウと合わせ3人で集まり、サトシが図鑑の一点を示す。
「これ、凄くいいなって思わないか?」
文字の読めないポケモンたちのために、こっそりと耳元でささやく。イーブイが目を輝かせ、ピカチュウが目を瞬かせた。
3人だけの秘密の会話に、セレナたちが顔を見合わせる。イーブイは何度もうなずいてサトシに同意し、ピカチュウは苦笑しつつも同じようにうなずいた。
「なら決まりだな、『スミレ』」
「ぴゃあ!」
サトシがイーブイを見つめて『スミレ』と呼びかけると、イーブイは眼を輝かせてサトシのに擦り寄った。頬を上気させて笑うイーブイに、サトシも嬉しそうに笑う。
「あ! 決まったの?」
「うん、こいつの名前は『スミレ』だ」
「素敵な名前ね!」
「だろ?」
セレナたちにも好評な名前に、サトシが口角を上げる。
得意げに笑ったサトシはどこか男を感じさせるものがあり、セレナはひどく胸を高鳴らせたのだった。