恋は戦争






 カロス地方のとある街。太陽が真上に登った午後のこと。サトシ達は街の中の公園で昼食を取っていた。
 今日は天気も良く、屋内で昼食を食べるのはもったいないと、軽食を買い、公園で食べることにしたのだ。
 昼食が終わり、そのまましばらくは公園で過ごすことになったサトシ一行は、各々好きに過ごしていた。
 そんな中で、ユリーカはサトシとシンジに頼んでポケモンたちの世話をさせてもらっていた。


「はーい、ピカチュウ、できたよー」
「ぴぃかっちゅ」
「どういたしまして!」


 ブラッシングをして艶々になったピカチュウの毛並みに、ユリーカが満足げに頷く。その出来栄えにピカチュウもご満悦だ。
 嬉しそうに笑うピカチュウに、ユリーカも満面の笑みでこたえた。
 膝から降りたピカチュウは、先にブラッシングを終えたデデンネの元に駆けていく。その様子を見送って、次のポケモンは、と辺りを見回して、ユリーカは優しげに微笑んだ。
 ピカチュウの次に順番を待っていたのは、つい最近サトシとシンジがそろってゲットしたイーブイたちだった。このイーブイは恋人同士で、サトシはオスのイーブイを、シンジはメスのイーブイをゲットした。
 そしてサトシがゲットしたオスのイーブイは、珍しいことに色違いだった。
 そんな二色のイーブイたちが楽しそうにじゃれ合っているのだ。微笑ましくて、思わず顔が綻ぶのも納得の光景だった。


「次はイーブイだよー」
「「ブイ!!」」
「わぁっ?」


 ユリーカが、微笑ましい光景を壊さないように、穏やかに声をかける。すると、一緒に遊んで順番を待っていたイーブイたちは嬉しそうにユリーカの膝に飛び乗った。二匹同時に。
 まさか二匹がいっぺんに来るとは思っていなかったユリーカは、慌てて両手を広げて受け止めた。


「えっと、サトシのイーブイを呼んだつもりだったんだけど……」
「ブイ?」
「ブイイ?」


 二匹のイーブイは首をかしげて顔を見合わせている。そんな二匹を見て、ユリーカが両手で頭を押さえた。


「あーん、もう! ややこしいよぉ!」


 突然大きな声を出したユリーカに視線が集まる。
 両足をばたつかせて頭を抱えるユリーカに、膝の上に乗ったイーブイたちが心配そうに顔を覗き込んだ。
 サトシ達もユリーカのそばにしゃがみ込み、その顔を見つめた。


「どうしたんだ、ユリーカ。急に大声出して」
「何かあったんですか?」


 近寄ってきたサトシ達を見上げて、ユリーカが困ったように眉を下げた。
 サトシのイーブイを抱え、サトシに差し出す。サトシは不思議そうにしながらもイーブイを受け取った。


「今ね、サトシのイーブイを呼んだんだけど、シンジのイーブイも一緒に来ちゃったの。どっちもイーブイだから、ややこしくて」
「確かに、同じポケモンだものね」


 ユリーカの膝で不思議そうに首をかしげるイーブイの頭をセレナがなでる。
 同じようにややこしく感じていたのか、セレナの表情も困り果てていた。
 そんなセレナたちを見て、サトシとシンジは顔を見合わせた。


「でも、俺たちが呼ぶとちゃんと聞き分けるよな?」
「……ああ」


 自分たちのトレーナーであるからか、イーブイたちはサトシとシンジの声だけは、どちらを呼ぼうともきちんと聞き分けるのだ。しかし他の人間が『イーブイ』と呼ぶと、自分のことだと思ってしまうようで、聞きわけが出来ていなかった。
 そのためサトシ達は困ってはいなかったのだが、確かにこれから先都合の悪いことも出てくるだろう。どうしたものか、とサトシとシンジは首をひねった。


「名前をつけてはどうでしょうか?」
「名前?」


 シトロンの提案に、サトシが首をかしげる。不思議そうな顔をするサトシに、シトロンは頷いて見せた。


「ポケモンに名前をつけるトレーナーもいるでしょう? それにならって2人も名前をつけてはどうですか?」
「名前、かぁ……」


 今まで出会ったトレーナーの中にも、ポケモンにニックネームをつけているトレーナーは何人も見かけた。しかしサトシはポケモンに名前をつけたことはない。
 シトロンの提案に、サトシは難しい顔をした。
 難しいと感じているのはサトシだけではない。シンジも同じだった。眉を寄せて考え込み、その困難さを如実に表している。

 ――パシュン、
 ボールからポケモンが出てくる音が聞こえた。
 音源はシンジからだ。


「マニュ~」


 出てきたのはマニューラだった。普段はクールなマニューラだが、シンジには甘えたな一面を見せる。
 出てきたマニューラは、クールさをかなぐり捨てて、甘えを全面的に押し出してきた。
 ぐりぐりとシンジの腹部に顔を押し付けいやいやと首を振る。幼子がぐずっているかのような仕草にシンジは困惑した様子を見せた。


「マニューラ? どうしたんだ?」
「マニャア……」
「……もしかして、嫌なの?」


 マニューラの隣に並んだユリーカが、マニューラの顔を覗き込む。拗ねたような顔を見て、ユリーカが優しく笑った。


「マニューラはシンジが大好きなんだね」
「マッニュ、」
「ふふふ、」


 困惑するシンジたちが、一人訳知り顔のユリーカに注目する。
 ユリーカはシンジに向かって微笑みかけた。


「ユリーカ……?」
「あのね、マニューラはイーブイが名前をもらうのが嫌なんだって」
「は?」
「羨ましいのよ、イーブイが」


 ユリーカの言葉にシンジがマニューラを見れば、マニューラはより強くシンジに抱きついた。ユリーカの推察は正しかったようで、シンジは困ったように眉を下げた。
 考えてみれば、確かにそうかもしれない。今までゲットしたポケモンには名前をつけていなかったし、これからもつけない気でいた。けれどイーブイは名前がないと不便で、突然名前をつけることになったのだ。ポケモンたちからしたら、何故イーブイだけ、と考える者もいるかもしれない。現に、マニューラがそうなのだ。他にも同じように考えるポケモンがいてもおかしくはない。
 どうしたものか、と考え込むシンジに、サトシがそっと笑いかけた。


「ならさ、俺のイーブイに名前をつけてくれよ」
「え?」
「そして、俺がシンジのイーブイに名前をつける。それじゃ駄目か?」
「マニュ……」


 サトシがマニューラのそばにしゃがみ込み、マニューラに尋ねる。
 イーブイには名前が必要で、名前がなければみんなが困ってしまう。そうなればシンジもおのずと困ることになるだろう。
 けれど、マニューラはシンジに名前をもらえるイーブイが羨ましい。自分だって特別がほしい。
 そこでサトシは、だったらといったのだ。自分のイーブイではなく、別のトレーナーのポケモンならば、羨ましさは半減するだろう、と。
 マニューラは少し考え込んで、それからゆっくりと頷いた。完全には納得していないようだったが、これ以上シンジを困らせたくもなかったようで、しぶしぶといった体で。
 妥協することでこの話は決着がつき、マニューラはボールの中に戻って行った。


「助かった……」
「おう。それにしても、シンジはポケモンに愛されてるなぁ」


 なんだか妬ける、とシンジにしか聞こえない声量で囁くサトシに、それをお前が言うのか、と悪態をつきたくなった。
 嫌味か、と吐き捨てたかったが、サトシには悪気も自覚もない。そうとわかっているものの、何だか煮え切らない者を抱えてしまって、つくづく自分はひねくれているな、とシンジは自嘲した。
 顔をしかめたシンジに、サトシが首をかしげる。けれどシンジが何でもないという風に首を振り、サトシはそれ以上何も聞かなかった。


「まぁ、いいや。とりあえずよろしくな、シンジ」
「は……?」


 満面の笑みで灰色のイーブイを差し出され、事の次第を思い出した。
 そうだ、サトシの提案で、お互いのイーブイに名前をつけることになったのだ。
 更にハードルが上がったではないか、とシンジが呆然とサトシを見やる。差し出されたイーブイを反射で抱きかかえれば、色違いのイーブイは嬉しそうにシンジに擦り寄った。
 サトシが抱えたシンジのイーブイも、サトシに懐いているようで、主人ではないサトシに名前をつけられることに不満はないようだ。
 腕の中にいるサトシのイーブイも同様であるようだった。


「良い名前付けてやるからな~」
「ブイー!」
「ユリーカも手伝う!」
「私も!」
「じゃあ僕はシンジを手伝いますね!」
「あ、ああ……」


 自分一人を置いてどんどん先に進んでいく仲間達に、シンジは顔をひきつらせる。そんなシンジの味方は足元で苦笑するピカチュウだけのようで、シンジはうなだれた。


「う~ん、でも名前なんて全然思い浮かばないなぁ……」
「あ! 私、図書館で名前を決めるときのアドバイスが書いてある本とか、名前辞典とか見たことあるよ!」
「そんな本もあるんだ! じゃあ、図書館行こうかな」
「シンジとお兄ちゃんはどうするの?」
「私は……しばらく街の中を歩いてみようと思う」
「そっか。じゃあ俺たちは図書館に行ってくるな!」
「じゃあ、名前が決まったら合流しましょうか」
「おう!」


 図書館へと向かったサトシ達を見送り、シンジはため息をついた。勝手にすすめられただが、どうせ名前はつけなければいけなかったのだ。それが自分のポケモンではなく、サトシのポケモンになっただけ。
 シンジは腕の中のイーブイを見つめた。イーブイはクリクリの黒眼をシンジに向けて笑っている。


(こいつに、名前をつけるのか……)


 改めてイーブイを見つめて、シンジは気が引き締まる思いだった。
 愛しい人の大切なポケモン。自分にも懐いてくれている、愛らしい子。きちんとした、いい名前をあげたい。


「じゃあ僕たちも行きましょうか」
「ああ」


 シンジとシトロンは街へと繰り出した。カロス指折りの観光名所となっている街だけあって、その風景は素晴らしい。その美しい町並みから何かいい発想は生まれないものかと期待したのだが、今一ピンと来るものがない。
 深く考え込むシンジに、イーブイがシンジの顔を覗き込む。けれどもそれにすら気付かないシンジに、シトロンが声をかけた。


「シンジ、」
「ん……?」
「何かいい案は思いつきましたか?」
「いや……」
「そうですか……。名前をつけるのって、思いのほか難しいんですね」
「そうだな……」


 ゆっくりと息を吐くシンジに、シトロンが苦笑する。
 疲れたような色を乗せたシンジの顔を見て、安易な提案だったかな、とシトロンが僅かばかり後悔する。それを読み取ったシンジがゆっくりと首を振った。疲れた表情を浮かべているのは、名前が思い浮かばない焦りときちんとした名前をつけてやらなければならないという使命感からだ。
 シトロンが安堵の笑みを浮かべたと同時に目を見張った。


「あ、」
「ん?」


 シトロンが自分を見て、正確には自分の腕の方を見て、小さく声を漏らす。どうかしたのかと声をかけようとした時、くん、と髪が引かれた。


「ブイッ! ブイ~!」


 腕の中で、イーブイがいつの間にか仰向けになり、前足でシンジの横髪を捕まえたり離したりして遊んでいた。
 髪を捕まえて擦り寄ってみたり、前足ではたいて揺らしてみたり、シンジの髪を気に入ったのか、イーブイはシンジの髪にじゃれついていた。
 やめさせようかとも思ったが、イーブイは実に楽しそうにしている。やめさせるのは忍びないと感じたシンジが、しばらく放置することに決め、また美しい景観の中を歩きだす。
 シトロンは微笑ましげにイーブイを見つめながら隣をついてきた。


(そう言えば、サトシもよく髪に触れるな……)


 サトシはよくシンジに触れる。スキンシップはイメージよりもずっと少ないが、自分にだけはかなりの頻度で触れているように思う。特に髪に触れる機会は多く、まるでとても大切なもののように優しく扱うのだ。
 そのときの感触を思い出し、シンジは頬が熱くなるのを感じた。


(ああ、もう……、あいつがあんなに優しく触れるから……)


 きっと真っ赤になってしまっているんだろうな、とどこか他人事のように思いながら、シンジはそっと嘆息した。


「シンジ?」
「っ! な、何だ?」
「いえ、ぼうっとしていたので……。疲れました?」
「ああ、いや、大丈夫だ」
「そうですか、」


 よかったです、と言ってシトロンが笑う。
 シンジは頬の赤みがばれていないことにほっとした。


「そう言えば、シンジの髪って、何だか紫陽花みたいですね」
「は?」
「紫陽花ってきれいな紫色をしているでしょう? シンジの髪も、綺麗な紫色をしているから、何となく思い出すんです」


 にこにこと笑うシトロンに、シンジは首をかしげている。褒められているのはわかるが、なんだか釈然としない。


「確かに紫陽花には紫のものもあるが、紫陽花と言えば青だろう?」
「え? 僕は紫や赤みの強いものをよく見かけますが……」


 今度は2人そろって首をかしげた。
 そんな状況になっても、イーブイは変わらずにシンジの髪にじゃれついている。
 髪に擦り寄ってきたことでそれに気づいたシンジが、イーブイの背中をそっとなでた。


「紫陽花、か……」


 イーブイがじゃれつくものだから、視界には紫があふれていた。




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