恋は戦争・番外編






「サトシー!」
「サトシー! ユリーカー!」
「ルカリオ―! セレナー!」
「ぴーかちゅー!」


 シンジ、シトロン、コルニ、ピカチュウの4人は洞窟の中で叫んでいた。
 彼らはメガシンカ時のルカリオの某王を制御するためにコンコンブルに新たな試練が与えられていた。
 その試練を受けるためにムスト山に向かっていた。
 その途中近道となる洞窟へと足を進めたのだが、そこでトラブルに巻き込まれたのだ。
 サトシ一行は興奮状態のオンバットに襲撃され、慌てて光の方へと逃げた。
 何とかオンバットの群れから逃げ出すことに成功したのだが、一行は洞窟の中で道を違え、離れ離れになってしまっていた。


「返事をしろ、サトシ!」
「ぴかっちゅーう!」


 反響する洞窟の中で、シンジとピカチュウがさらに声を上げる。岩肌に跳ね返って帰ってきた声は、何だか悲鳴のように聞こえた。


「ちっ……! おい、サトシ! 聞こえないのか! おい……っ! ゲホッゲホッ!」
「ちょ、シンジ、大丈夫ですか!?」
「シンジ!」
「ぴかっちゅー!」


 普段声を荒げることのないシンジが声を張り上げたため、のどに負担がかかったらしい。背中を丸め、激しくせき込んだ。
 慌ててシトロンたちが駆け寄り、その小さい背中をさすった。


「あんまり叫んだらのどを痛めますよ」
「そうだよ、シンジ! 呼びかけは私たちに任せて!」
「ぴかっちゅう!」
「……いい。喉を痛めない程度にする」


 シトロンたちの言葉にシンジはゆっくりと声を振る。大声を出したばかりだからか、少しばかり声がかすれていた。
 心配そうに眉を下げていたシトロンが、眉間にしわを寄せてシンジを見つめた。


「シンジ。サトシたちが心配なのは分かりますが、のどを痛めては元も子もありません。それに合流した時にシンジの声が出なかったら、きっとサトシが心配しますよ」


 そう言ったシトロンの眉間には深いしわが刻まれた。自分で言っておいて、鳩尾の辺りが鈍く痛んだ。
 サトシの名前を出せば、彼女は引き下がる。彼女の声を守るためとはいえ、シンジの無茶を止められるのがサトシだけであるという事実はひどく胸が痛む。
 そんなシトロンの胸中をシンジは察することが出来ない。シンジはしぶしぶとうなずいた。
 つきりと、胸にとげが刺さった気がした。


「大丈夫だよ、シンジ! 私声大きいから、きっとサトシ達に声が届くよ!」


 そう言って励ますように笑ったコルニにシンジもうっすらと笑みを浮かべてうなずいた。
 コルニは気付いていないようだったが、その笑みは少し複雑なものだった。
 自分を励ますコルニへの純粋な感謝と喜び、そして不服。
 きっとコルニの声ではなく、自分の声がサトシに届いてほしいと、そう思っているのだろう。
 こういうときのシンジの胸中は、手に取るように分かる。だって自分がそうだから。


「次は外を探してみましょう。もしかしたらサトシ達も外に出たかもしれませんし」
「うん、そうだね。行こう、シンジ、ピカチュウ!」
「ああ」
「ぴかっちゅう!」


 シトロンの提案に一行はまた光を目指す。先程まで白かった光が今は赤い。夜が迫っていることがうかがえた。

 洞窟の周りは森で囲まれている。
 夜の森は昼間に活動しないポケモンたちが活発になり、危険だ。
 幼いユリーカもいるため、できるだけ早く合流して集団で行動したかった。
 外に飛び出してみても、サトシ達の気配が感じられないから、それはかなわないだろう。


「おーい、サトシー! ユリーカー! 返事をしてくださーい!」
「ルカリオ―! 聞こえてるー!?」
「ぴかっちゅーう!」


 わんわんと森に声がこだまする。
 帰ってくるのは風の音ばかりで、自分たちの目的とする相手からの声はない。
 もうすぐ日が暮れる。


「……ちっ」


 シンジが舌打ちを一つこぼして洞窟に足をかけた。勢いをつけてシンジが洞窟を作り出す岩壁に登った。自身の身長の3倍ほどの高さまで上り詰め、シンジが辺りを見回す。
 しかし険しい表情は晴れず、一層厳しい顔を作り出した。


「……はっ! ちょっと、シンジ! 危ないでの降りてきてください!」
「そうだよ、シンジ! 怪我でもしたらサトシ達を探せなくなっちゃうよ!」


 あまりに鮮やかな動きに見とれ、シトロンとコルニはしばし呆然としていた。
 しかし改めてみたシンジのたち一の高さにギョッとして我に返った2人が、慌ててシンジに降りるように呼び掛けた。
 その言葉を受け、シンジは未練がましくあたりを見回し、トン、と岩壁から飛び降り、華麗な着地を決めた。


「危ないことはしないでください!」
「しかしもうすぐ日が暮れる。サトシ達が全員一緒にいるとは限らない。夜の森で単独でいる方が危険だろう」


 身体能力はこの中で、サトシ達を合わせた中でも1番高い。慎重な一面も持ち合わせているから、早々怪我は負わないだろう。
 けれど万が一がある。
 好きな相手に怪我など追って欲しくないから、シトロンはシンジの両手を強く握って、まっすぐに紫陽花色の瞳を見つめた。


「それはわかっています。でも、それがシンジの無茶をしていい理由にはならない。だから無茶しないでください」
「…………っ」


 真剣なまなざしで言われた言葉に、シンジが目を見開いた。


(今、サトシに言われたような、気がした……)


 予想だにしない言葉を言われたから驚いていたのではない。シトロンの瞳にサトシと重なるものが見えたから驚いたのだ。
 それはそうだろう。2人の瞳には思いがこもっている。
 好きな相手に無茶をしてほしくない。それをわかってほしいという強い想いが。
 だからシンジにはシトロンの瞳の中にサトシの影を見たのだ。


「気持ちは分かります。僕たちもサトシ達が心配です。でも、こういう時こそ焦らず冷静に。もう辺りが暗くなってきましたし、続きは明日にしましょう? ね?」
「……そう、だな」


 シンジが少しだけシトロンの手を握り返す。
 口の端に浮かんだ笑みに、シトロンも安堵の笑みを漏らす。
 顔のこわばりがとれたことに、ほっとした。
 けれどもそれと同時に、胸の内の重みが増した。
 だって気付いてしまったのだ。シンジの顔に不安の色が全くないことに。
 むしろサトシに会いたくてたまらない、サトシを求める意志を見つけてしまった。
 シンジがあんなにも必死にサトシを探していた理由が、サトシのそばを離れたくないという想いから来るものだとわかって落胆した。


(僕が付け入る隙なんて、一ミリもない……)


 不安のなさは信頼の裏返し。どんなに離れていようとも、必ず会えると信じてる。
 会いたいという思いは消えない。
 だからシンジはあんなにも必死になっていた。


(サトシは知っているのかな、こんなにも君を想っているシンジのこと……)


 きっと知っているだろう。きっと彼女はこうして幾度となくサトシを求めたはずだ。
 知らなければそれはきっと罪深いことだ。こんなにも愛されているのにそれに気づかないなんて。


(僕もこんなふうにシンジに想われたいな……)


 シトロンは眼を伏せて、小さな両手から伝わる熱を感じていた。
 きっとこうして彼女の手を握る機会などそう何度も来ないだろう。
 その幸せをかみしめながら、シトロンはもう一度シンジの手を握りしめた。




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