恋は戦争・番外編
「シンジ、手痛くない?大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
シンジとユリーカは、とある街中を歩いていた。
ユリーカがシンジの手を心配するのには、ちゃんとしたわけがあった。
シンジは今、右手を怪我している。
火をおこすために拾い集めた木で手をすっぱりと切ってしまったのだ。
そんなことはよくあるのだが、今回は思ったより深く切ってしまったようで、ぼたぼたと地面を赤く染める血に、シンジ以外の4人が全力で狼狽した。
その間に素早く処置を施し、もう大丈夫だ、となだめるのにかなりの時間を要したが、まァいい思い出だ。
そして現在は旅に必要なものを買うために買い出しに行くことになったのだが、痛々しい傷をその手に残したシンジに荷物を持たせるのは忍びないということで、ユリーカと2人でポケモンセンターに宿泊の手続きを取りに行く途中だった。
「ホントに?無理してない?」
「見た目はひどいが、本当に痛くはない。だからそんな心配そうな顔をするな」
ユリーカがシンジの手をそっと包み、シンジの掌を見る。
まだ完全に膜が張っておらず、ジュクジュクと水気を帯びている。
シンジは痛くないと柔らかく微笑んでいるが、肉が見えているような怪我で、痛くないと言われても、説得力なんてない。
その痛みを想像してしまい、ユリーカが顔をしかめた。
「それより、ポケモンセンターに行くぞ」
「・・・うん。ポケモンセンターに着いたらシンジの手当てもしてもらわなきゃね」
「そうだな」
ぽん、とユリーカの頭に手を置き、ゆっくりと混ぜる。
ユリーカはパーティの中で唯一の年下だ。
それゆえに兄のシトロンを筆頭に、パーティのメンバーからよく頭をなでられる。
一人一人なで方は全然違っていて、どれも好きだが、シンジに頭をなでてもらえるときは、滅多に見られないシンジの微笑みが見れるので、ユリーカはこの瞬間が大好きだった。
うっすらとだが口元を緩ませたシンジに髪をなでられ、ユリーカはむずむずと口元がうずき、笑みを浮かべた。
それを見て、手を引いたシンジの腕をつかみ、ぎゅっと手を握る。
シンジはそれに驚いたように目を瞬かせたが、すぐに平静を取り戻し、きゅう、と手を握り返した。
「ねぇ、あの子かっこよくない?ちょっと綺麗系でさ!」
ポケモンセンターへと向かって歩き出そうとした2人の耳に、高い声が届いた。
「あー、あの紫の髪の?」
「そうそう!よくない?私、結構好みー」
ああ、シンジのことだな、とユリーカはすぐに理解した。
シンジたちのパーティは、総じて見目がよく、人目を引く。
特にシンジは中性的で、男女問わず視線を集めてしまうのだ。
こういう声を聞くのは初めてではない。
「えー?でもあの子、女の子じゃない?ショーパン穿いてるし~」
「あー、ホントだぁ。ちぇー、結構好みだったのにー」
「・・・ねぇ、ちょっと。あれ見てみなよ」
黄色い声が、ガラリと変わる。
からかいとも軽蔑とも取れる、面白半分の、嫌な声だ。
「ほら見てみなよ!あいつの手!」
「うわっ、きったなー・・・」
「よくあんなん晒して歩けるよねー」
「私だったら人に見せらんないわ!」
トレーナーにならなくてよかったわ!と声高に下品な声で笑う。
歯を剥き出しにして笑う様の何と醜いこと。
3人の少女たちは、他の通行人が顔をしかめているのにも気づかずに笑っている。
シンジは肩をすくめてポケモンセンターへと足を向けた。
けれどもその足は、ユリーカがするりと手を離したことによって止まった。
「訂正して」
「は?」
ユリーカはどこだ、と視線を滑らせると、ユリーカは流行のものと思われる(ただし少し大袈裟につけすぎている)メイクの少女たちの前にいた。
下卑た笑いを受けベていた少女たちの顔が歪む。
気分良く笑っていたのを害されたとでも思っているのだろう。
基本的に面倒事には関わらないシンジも、その面倒にかかわっているのがユリーカであるため、シンジはその面倒事へと足を向けた。
けれどもその足は、ユリーカの次の言葉で止まった。
「シンジの手は確かにぼろぼろだけど、あんたたちみたいな人の手より、ずっとずっと強くてきれいなんだから!」
ユリーカの叫び声に、少女たちだけでなく、シンジも目を見開いた。
シンジは素直に驚いていた。
ぼろぼろの自分の手を綺麗だというのか、ユリーカは。
治りきる前に新たに付く傷で常に傷ついている手を見て。
切りそろえたはずの爪も、いつの間にかかけていて、長さなんてそろわない爪を見て。
それでもきれいだというのか。
サトシにも言われたことがなかった。
自分が女であることを考慮して、あえて触れなかったのかもしれない。
出会ってきた少女たちが、みんな旅のトレーナーばかりだったから、それが当たり前だと思っていたのかもしれない。
女にはあるまじき手だと言われたことは何度かあったが、綺麗だと、そう言われたのは初めてだった。
素直に嬉しいと思った。自分も女だったんだな、と自嘲しながら。
「はぁっ?あんな手のどこがきれいなのよ?あんた、眼、おかしいんじゃないの?」
「そんな趣味の悪い爪つけた手より、シンジの白い手の方がずっとずっと綺麗なんだから!」
「っ!んだと、テメェ!!!」
でこでこと飾りのついた付け爪をした少女に、ユリーカが反論の声を上げる。
とりあえず飾りをつけておけば可愛くなる、とでも豪語しているような爪だ。
お世辞にも趣味がいいとは言えない。
けれども少女はその爪に自信を持っていたようで、自分の付け爪を貶され、ユリーカに掴みかかろうとする。
シンジが割って入ろうと走り出すが、その前に、ユリーカが動いた。
「デデンネ!電気ショック!」
「デネー!!!」
バチバチバチィッ!!!
「「ぎゃああああああああああああああああああ!!!」」
「!!?」
デデンネの電気を浴びて、3人のうち2人の少女から叫び声が上がる。
1人残った少女は、最初にシンジの手を見て、軽蔑の声を上げた少女だ。
電気を浴びた2人の少女を見て目を見開いた。
デデンネはとても小さなポケモンだ。
電気ショックも威力のある技ではない。
それなのに、自分の仲間は黒焦げになっている。
それはそうだろう。ユリーカもデデンネも、仲間を貶されて怒っているのだから。
俯いていたユリーカが、ゆっくりと顔を持ち上げる。
ユリーカはにっこりと、今この場に不釣り合いな笑みを浮かべていた。
「シンジを馬鹿にしたこと、後悔して?」
「ひっ・・・!」
「デデンネ?最大パワーでほっぺすりすり♡」
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
満面の笑みを浮かべていたユリーカは、今やデデンネの電気を浴びて悲鳴を上げる少女を、無表情に見つめていた。
そして、ぱたりと倒れた少女になど目もくれず、戻ってきたデデンネをそっとなでた。
「ゆ、ユリーカ・・・?」
普段ならこんな手荒な真似などしないだろうユリーカに、シンジが恐る恐る声をかける。
するとユリーカは、デデンネをポシェットに入れ、ぱっとシンジに駆け寄り、そのままシンジに抱きついた。
「シンジぃ・・・」
抱きついてきたユリーカを受け止め、ぽんぽんとその背中をなでる。
ユリーカは布でくぐもっているが、今にも泣いてしまうそうな声を上げた。
顔を上げたユリーカに、どうした?と出来るだけ優しく尋ねると、それがとどめとなったのか、ユリーカの目からぼろりと涙がこぼれた。
「私、私ね?どうしても許せなかったの」
ユリーカの目から涙がとめどなくあふれてくる。
他人を想って泣く、綺麗な涙だ。こいつの方が、よっぽどきれいだよな、とシンジは口の中で呟いた。
「私、シンジが大好きなの。お姉ちゃんみたいに接してくれて、すっごく嬉しいの。シンジの手になでられるとポカポカして、もっとなでてほしいなって思っちゃうくらい優しくって、なんだか幸せになるの」
「ユリーカ・・・」
「確かにね?いっぱい傷がついてるけど、それはシンジが頑張ってきた証でしょ?それを馬鹿にされて、どうしても許せなかったの。だから私、怒ったの。シンジの代わりに、怒ったの」
「・・・え?」
自分でも思ってもみなかった驚きの声が上がる。
ユリーカはいったん言葉を止め、ごしごしと目をこすった。
シンジは混乱する頭で傷つくぞ、といってユリーカの目元をハンカチでぬぐった。
ありがとう、と言って、ユリーカは言葉を続けた。
「シンジ、悲しかったでしょ?傷ついたでしょ?シンジだって女の子だもん。きたないなんて言われたら悲しいでしょ?」
まるで自分のことのように涙を流すユリーカに、シンジは言い知れぬ感情を抱いた。
宝石のような美しい涙が伝うのをシンジは止められなかった。
「でもね、あんな人たちのことなんて気にしないで。私もサトシもお兄ちゃんもセレナも、みんなシンジの頑張り知ってるから。シンジが綺麗なの知ってるから。だから傷つかないで?」
シンジはここでようやく、自分の抱いた感情の正体に気がついた。
そうか、自分は嬉しいのか。こうやって自分を肯定してくれる人間が、仲間がいて。
今までもこういう事態は何度もあった。
けれども肯定してくれる相手はいなかった。ずっと一人旅をしていたから。
ああ、そうか。これが仲間がいるという喜びなのか。
シンジは目頭が熱くなるのを必死に隠して、ユリーカに笑いかけた。
「ユリーカ、私は大丈夫だ」
「・・・本当?」
「ああ」
今自分にできる精いっぱいの笑みを向けているのだが、ユリーカはまだ不安なようだ。
眉を下げて、シンジを見上げている。
「なぁ、ユリーカ。もし、まったく知らない人間に、ひどいことを言われたら、傷つくよな?」
「うん・・・」
「でも、私たちにそんなことないと言われたら?」
「嬉しい」
ユリーカは最初、シンジの質問に、不思議章に首をかしげていたが、素直に想った事を答えていく。
シンジは間髪入れずに答えを出していくユリーカに目を細めた。
「なら、どちらの言葉を信じる?」
「!それはもちろん、シンジたちよ!」
「私もそうだ」
「!」
「ユリーカが私を綺麗だと言ってくれたから、私は傷ついてなんかいない。だから安心しろ」
ようやく質問の意図に気づいたユリーカが、はじかれたようにシンジを見上げた。
見上げたシンジは日の光を背に、きらきらと輝いていた。
――――綺麗、
普段から思っていたことだが、それを再確認させられるような光景だった。
サトシは「太陽」という形容詞がふさわしいが、シンジは「月」と言うのがぴったりだ。
闇を照らしてくれる、夜の恐怖から救ってくれる、柔らかくて暖かい光。
そんな光を、ユリーカはシンジに見出していた。
「笑ってくれ、ユリーカ」
こんなにも優しくて美しい人に笑ってほしいと願われたら、笑顔になれないわけがなかった。
「うん!」
ユリーカは満面の笑みを浮かべた。