恋は戦争
「俺たちと一緒に行かないか?」
サトシにそう言われたセレナは、この世界には自分とサトシしかいないのではないかという錯覚に陥った。
セレナの胸の中に風が吹き抜け、花びらすら散っているような気さえする。
全てのものに祝福されているようだった。
要するに、
「(きゃー!!!ど、どうしよう!サトシに誘われちゃったー!!!!!)」
セレナは浮かれているのである。
「(女の子と一緒にいたからもしかしたら彼女かもって思ったけど、サトシから私を誘ってくれるってことは、付き合ってないのよね?もしかしたら、私にもチャンスがあるのかも!)」
セレナが目を輝かせた。
シトロンもユリーカも、セレナが旅に同行するのに乗り気だ。
シンジも同行者が増えるのは構わない。
けれどもそれが、サトシに気がある女の子であるのなら、話は別だ。
断りたいけれど、そんなことをすればシトロンたちに訝しげに見られるだろう。
何よりサトシとの関係の悪化につながるかもしれない。
それだけは避けたい。
「なぁ、シンジ」
シンジが、サトシに声をかけられる。
サトシは自分の意見を尊重してくれるから、自分が嫌だと言えば、セレナの同行を考え直してくれるだろう。
それはわかっている。
けれども、シンジの脳は警鐘を鳴らしていた。
サトシの目を見てはいけない、と。
「シンジもいいだろ?」
けれども、日ごろの癖で、そして好きな相手であることもあって、どうしても目を合わせてしまう。
やってしまった。
期待に満ちた目で見つめられては、断ることなどできない。
きっとショックを受けたような顔をして、落ち込んでしまうだろうから。
シンジはうなずくほかなかった。
シンジがうなずいたことに、サトシもセレナもシトロンもユリーカも、全員が目を輝かせた。
「うん!一緒に行ってもいいかな!」
「やった!」
「そうこなくっちゃ!」
ユリーカに手をひかれ、セレナがサトシたちと合流する。
シンジは自らの意見で恋敵を同行者として認めてしまったことに、今にも泣いてしまいそうだった。
「(幾らなんでも鈍すぎる!!!)」
自分が好かれる可能性について、みじんも疑問に思わないのだろうか。
自分が他の少女と仲良くしていて、恋人が嫉妬しないとでも思っているのか。
自分の恋人が、他の男と仲良くしていたら嫉妬しないのか、とか、聞きたいことは山ほどあった。
とにもかくにも、サトシは鈍すぎる。鈍いにもほどがある。
けれども嫌よ嫌よも好きの内。
そんなところも可愛いとさえ思ってしまっているのだから、シンジは心底サトシに惚れこんでいるのである。
「(少しは気付けよ、気にしろよ!!!)」
サトシは新しく仲間になったセレナを見ており、シンジに気付かない。
腕の中にいるピカチュウが、慰めるように額をすりつけた。
「あ、そうだ。サトシ達はショウヨウジムに行くのよね?ショウヨウシティに行くにはっと・・・。じゃじゃーん!」
サトシ達との同行が認められたセレナは、嬉しそうに笑った。
そして意気揚々ポケットからタウンマップを取り出した。
ガイドマップもついた、ピンク色の女の子らしいタウンマップだ。
地図を持たないサトシの代わりにシンジもタウンマップを持っているが、シンプルな黒の端末だ。
セレナのもののような、可愛らしいデザインではない。
サトシ達がセレナの周りに集まり、端末を覗き込む。
シンジの腕の中では画面が見えなかったのか、ピカチュウがサトシの肩にうつった。
ショウヨウシティに行くには、一度ミアレシティに戻らなくてはならないことが見て取れた。
「丁度よかったわ。ミアレシティに行きたいお店があったの!凄く可愛い服を売ってるところとか、おいしいスイーツのお店とか!そうときまれば出発よ!」
そう言って走り出すセレナを、ユリーカが追う。
明るく活発なセレナは、女の目から見てもかわいらしい。
アウトドアを好むサトシの気の合うタイプの女の子だろう。
今まで一緒に旅をしてきた少女たちを見ても、皆一様に快活な少女たちだった。
時々思う。
自分が女の子らしかったら、こんなふうに不安にならずに済んだだろうか。
「(今さらか・・・)」
ショートパンツをはくことにすら抵抗を感じている自分がスカートをはいて、笑顔を振りまく姿など、想像もできない。
自分で想像して、ドン引きしてしまったのは仕方がない。
「シンジ、」
「!」
くん、と手をひかれる感覚に我に帰る。
気がつけば、サトシが自分の手を取り、笑いかけていた。
「ほら、早く行こうぜ?置いてかれちゃうぞ」
「あ、ああ・・・」
手を握り返すと、サトシが走り出した。
隣に並ぶように速度を合わせて走る。
それだけで沈んでいた気分が浮上してしまうのだから、安い女だ、とシンジは苦笑した。
(シトロン、遅れるなよー!)
(待ってくださーい!)
(置いて行ってしまおうか)
(えええええ!?そんなあああああ!!!)
ハクダンシティを駆け抜けたサトシたちは、ミアレシティに戻るために4番道路を逆にたどっている。
ユリーカが大きく手を振り、さっそうと先頭を歩く。
そのあとについて行きながら、サトシが呟いた。
「どうせミアレシティを通るなら、ミアレジムにも挑戦できたらいいのになー・・・」
ピカチュウが同意するようにうなずく。
シンジも逆隣にいるシトロンの動揺ぶりをうかがいつつうなずけば、シトロンはさらに慌てた。
「ま、まぁ良いじゃないですか。サトシ達はまだカロス地方に来たばかりなんですから、移動している間に、新しいポケモンをゲットできるかもしれませんよ?」
「そう言えばそうだな!」
話題転換を図ったシトロンの思惑通り、サトシとピカチュウが草むらを覗き込む。
2人とも同じ動きをしていて、兄弟のようだ。
誰ともなく笑みが漏れた。
「サトシ!かわいいポケモンゲットしたら私にお世話させてね!」
「もちろん!」
「シンジも約束ね!」
「ああ」
両手を上げて喜ぶユリーカに、暖かい視線が送られる。
シトロンが無邪気な妹に優しい笑みを送って、それからセレナに話しかけた。
「そう言えば、セレナは何で旅に出たんですか?」
尋ねられたセレナは、質問には答えずに、一つ笑みをこぼして、スカートのポケットを漁る。
ポケットから手を出すと、その手には小さな青色のハンカチが握られていた。
そして無邪気にポケモンを探すサトシに迷いなく歩み寄ると、そっとハンカチを差し出した。
「ずっと返そうと思ってたの、これを」
「え?」
「ほら、前にマサラタウンのオーキド博士のポケモンサマーキャンプに参加したって言ってたでしょ?その時にサトシにこれを貸してもらったのよ」
サトシと出会ったとき、セレナは友達とはぐれ、1人森の中をさまよっていたらしい。
1人で心細いうえに、急に揺れた草むらに驚いて転んだのだという。
迷子になった上に怪我をして動けなくなったセレナは、母を呼んで泣いた。
その時、サトシが現れたらしい。
怪我の手当としてハンカチを巻き、痛みで立てないセレナを「最後まであきらめちゃだめだ」と励まし、手を引いて立たせてくれたそうだ。
そしてサトシの案内で、無事キャンプ場に戻れたのだという。
「(そ、それは惚れるしかないな・・・)」
セレナの話を聞いて、シンジは正直に想った。
そしておそらく、セレナはその時にサトシに惚れたのだろう、とも。
幼いころから想いを募らせてきたセレナ。
一緒に旅をして想いを育んできたヒカリ。
ライバルとしてぶつかり合い、お互いを高め、認め合い、その過程を経て結ばれた自分。
この分だと、サトシに想いを寄せる少女はきっともっとたくさんいるだろう。
「お前は一体、何人の女をたらしこんでいるんだ!!!」
セレナと楽しそうに談笑するサトシに、思わず叫んだシンジを咎められる者などいなかった。