恋は戦争






夜。サトシはプラターヌ研究所の一室に正座していた。
否、正座させられているという方が正しい。
何故だか頬の赤くなったサトシは慣れない正座に苦悶の表情を浮かべていた。
そんなサトシの前には、ベッドに腰掛け、サトシを見下ろすシンジがいる。
シンジの目は、いつになく冷たい。


「お前が無茶をするのはいつものことだ。後先考えずに動くのもいつものことだし、今更それを治せとは言わない。しかし今回ばかりはさすがに度が過ぎている」


冷ややかな瞳と同じくらいに冷めた声がサトシに降りかかる。
その声に、サトシはびくりと肩を震わせた。

ピカチュウたちとともにサトシは街中で暴れるガブリアスを追った。
プリズムタワーに上ったガブリアスを追い、何とかリングを外すことが出来たものの、ガブリアスが暴れたことでもろくなっていたのだろう。ピカチュウの足場が崩れ、ピカチュウの体は空中に放り出されたのだ。
それを追い、サトシがプリズムタワーを飛び降りたのだ。
丁度、サトシが飛び降りた瞬間に出くわしたシンジは、あまりのことに立ちつくしてしまっていた。
サトシが無茶をしても助けられるようにポケモンを転送したというのに。

タワーから飛び降りたサトシは、バシャーモのメガ進化形、メガバシャーモとそのトレーナーに助けられ、命を失うことはなかった。
サトシが生きていることにほっとしたものの、シンジはしばらくたちつくして動けなかった。
自分の音を追ってきたプラターヌに声をかけられ、ようやく動き出せたというくらいには、サトシの行動に衝撃を受けていたのだ。
そして、自分たちと合流し、ガブリアスを助けられてよかったと笑うサトシの顔面に、拳を叩きつけてしまったシンジは決して悪くはないだろう。
もっと自分を大切にしろと、自分の命を軽く見るなと、叫んでやりたかったが言葉が出なかった。
そうして、プラターヌ研究所に戻り、今日は遅いから泊まって行きなさいという言葉に甘えて研究所の一室を借りて、ようやく落ち着いたシンジは、サトシに正座を命じた。
そうしてようやく冒頭に戻るのである。


「そもそもガブリアスが研究所を出て行った時点でなぜピカチュウとケロマツを連れていくという選択を取った?私は待てと言ったはずだ。何故私がポケモンを転送してもらうのを待てなかった?」
「でも、それじゃ・・・」
「それでは遅い?被害が大きくなる?少しはましになったかと思えば、お前は相変わらずぬるいな」


シンジの言葉にサトシが反論を試みる。
しかしサトシが反論を口にする前に、バッサリと切り捨てられる。
しかも、その言葉が自分の言いたかった言葉で、サトシは押し黙った。


「確かに転送には時間がかかる。その間もガブリアスは苦しんでいただろう。しかしな、相手は自分たちよりも大柄なポケモンで、それに加えて空も飛べる。私のポケモンは大柄なポケモンが多いし、相手の体力を落とさず戦えるだけの技術がある。捕獲してそのすきにリングから解放してやることだって出来た」


出来たはずなんだ、と、シンジはきつく眉を寄せた。
胸の前で組んだ手は、力を込めすぎて爪が白くなっている。
爪を立てた腕はきっと傷ついているだろう。
その手を外してあげたいけれど、サトシは動けなかった。
シンジがあまりにも悲痛な顔をしていたから。


「それなのにお前は!ほんの数分、たったの数分が待てずに1人先走って!ピカチュウや、果ては自分の命を危険にさらして!お前は自殺願望者か?違うだろう?自己犠牲も大概にしろ!無茶と無謀は違うだろうが!」


だん!と床を強く踏みしめて、シンジが立ち上がった。
上から怒鳴りつける声は、すべてサトシに注がれる。
苦しそうに喘ぐ声に、サトシは俯いた。


「自分やポケモンたちが危険にさらされないように努めるのがトレーナーだろう!いくら丈夫なお前でも、命は一つしかない。一つしかないんだよ・・・!」


切実な響きを持った声が、シンジの口から洩れる。
そこまで言い切って、感情の高ぶりを抑えようと、大きく息を吐く。
ぺたりとサトシの前に座り込んだシンジを見て、サトシが「ごめん・・・」と小さく謝罪を述べた。


「ごめんで済んだら警察はいらん」
「う゛っ・・・」


シンジの厳しい口調にサトシがうめく。
何か言い返したい。けれどもシンジの言うことはもっともで、サトシは何も言い返せない。


「・・・私もお前の立場だっから、きっと同じことをしただろう・・・。だから、間違っていると言わない。言えない・・・」


シンジが俯いた。
シンジらしくない力のない声に、サトシが顔を上げた。


「でもな、現場に着いた途端、タワーから飛び降りたお前を見る羽目になった私の気持ちを考えてみろ」
「ご、ごめんなさい・・・」


シンジの固い声に、サトシが震えた声を上げた。
想像したのだろう。想像して、恐怖したらしい。その青い顔が、その恐怖を如実に表している。


「・・・次にこんな無謀な行動をとったら、」
「と、取ったら・・・?」
「――――どうしてほしい?」


俯いていたシンジがゆっくりと顔を上げる。
顔を上げたシンジを見て、サトシは背筋を凍らせた。
シンジはよそいきの、張り付けたような笑みを浮かべていた。
にぃっこりと、ゆるぅく笑うシンジは、そっとサトシの頬に手を伸ばす。
サトシの心臓が、ドクリと跳ねる。それが緊張なのか、恐怖なのか、それはサトシにもわからなかった。
頬をなでられたかと思った、次の瞬間、


「い゛いいいいいいっ!!?」


ぐにいいいいい、と、容赦なく、シンジがサトシの頬を抓った。
先程浮かべられていた笑みは消え失せ、氷のような凍てついた表情が浮かんでいた。
情け、容赦は一切ない。涼しい顔をして、しかしその手には手の甲に青筋がくっきりと表れるほどに力が込められている。


「いだだだだだだ!ご、ごめ、ごめんって!ごめ、シン、い゛いいいいいいい!!!」
「・・・まぁ、どうするかはその時々に考えるとして、」


ふ、と力を抜くように息をつく。
しかしその指先からは、一切力が抜けることはない。
むしろより一層力が入ったような気さえする。
その細い腕のどこにこんな力があるのかというほどの痛みに、サトシの目に涙が浮かぶ。


「人間というのは”痛み”の記憶が一番脳に刻まれるんだ。お前は一度、痛い目に遭えばいい。そうすれば、その空っぽの脳にも刻まれるんじゃないか?」


サトシの涙で滲む視界に、慈愛に満ちたシンジの笑みが映る。
普段なら見惚れるだろうそれに、今は恐怖しか感じない。
ぞくりと、背筋が粟立つ。


「お前にはお仕置きが必要なようだ」
「~~~っっっ!!!!!」


怒りにまかせてつねられる頬。
シンジ以外の相手なら振り払っていただろう。あまりの痛みにシンジ相手でもその手を頬から外そうと試みたくもなったが、しかし、シンジの怒りに燃えるその瞳の奥に、不安と安堵の色を見てとってはしまっては、幾ら涙がこぼれそうなほど痛くても、降り払ったりなどできるわけもない。
『嫁にかなわぬ』はサトシにも当てはまるようでして、シンジの頬への虐待も甘んじて受け入れる。
しかし、そのおかげでサトシの悲鳴が夜のプラターヌ研究所に響き渡ることになるのだが、それはまた別のお話。






























翌日、早朝。プラターヌ研究所前にて。
プラターヌ研究所を旅立つサトシたちを見送りに、プラターヌが研究所を背に、サトシたちに微笑みかけていた。
サトシの頬は昨夜のシンジの説教により真っ赤にはれている。
昨日のサトシの行動を顧みれば、まァ当然の結果だろうと、みんながみんな見て見ぬふりをした。
サトシの頬をはれあがらせた当の本人は、素知らぬ顔をしてサトシの隣にたっている。


「みんな眠れたかな?こんなありさまで」
「はい、もうすっかり!」
「全然ぐっすりだったもんね!」
「お世話になりました」


プラターヌの苦笑交じりの言葉に、サトシたちは満面の笑みで言葉を返した。
それによかったとうなずき、プラターヌはサトシとシンジを見つめた。


「サトシくんとシンジちゃんは、これからが冒険の本番だね」
「はい!」
「時にカロス地方のポケモン図鑑は持っているかな?」
「いえ、」
「それじゃあ、冒険の友そして役立ててくれ」


プラターヌが白衣のポケットから2つのポケモン図鑑を取り出した。
それをサトシとシンジのそれぞれに渡す。


「いいんですか?」
「もちろん!」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます!それじゃ、行くぞ、ピカチュウ」
「ぴかちゅう!」
「プラターヌ博士、研究頑張ってください!」


図鑑をもらい、サトシが嬉しそうに笑う。
2人はもらった図鑑をポケットにしまい、シンジは会釈をして、サトシは満面の笑みでプラターヌに別れを告げた。
走り出そうと振り返ると、サトシの顔に何かが飛んでくる。
シンジが驚き、サトシとともに目を瞬かせる。
何かが飛んできた方を見ると、そこにはケロマツがいた。


「ケロマツ!」


サトシがケロマツに駆け寄り、しゃがみ込むと、ケロマツは自分の前に置かれたボールをサトシの方へと押しやった。
ケロマツの意図を計りかねたサトシが首をかしげた。


「一緒に行きたいんじゃないかなぁ?」


背後からプラターヌが声をかける。
シトロンとユリーカも、きっとそうだと笑った。
サトシがシンジを見上げる。シンジはゆっくりとだが、確かにうなずいた。
それを見て、サトシがボールを拾う、


「そうなのかなぁ?ケロマツ、俺たちと行くか?」
「ケロッ!」


ケロマツが自らボールに触れる。
ボールの中に吸い込まれていくケロマツをサトシは驚いたように見つめる。
それから、仲間が増えたことに、サトシが喜びの笑みを浮かべた。


「これからよろしくな、ケロマツ!」


ボールが、こちらこそ、というように揺れた。


「ピカチュウ、カロス地方最初の仲間だ」
「ぴっかぁ!」
「ケロマツ、ゲットだぜ!」
「ぴっぴかちゅー!」


サトシがシンジに笑いかけた。
喜びを隠さない満面の笑みに、昨夜から続くこわばりが、幾分かましになったような気がした。


「(まぁ、こいつなら、トラブルに巻き込まれても何とかなるか)」


ただ、無謀なことはやめてほしいけれど。
シンジも、サトシに向けて、精いっぱいの笑みを返した。




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