恋は戦争
トントントン、コトコトコト
リズミカルな包丁の音に、食欲をそそられる暖かな香り。
マサラタウンの一角から、ごちそうを作る音が聞こえてくる。
「あらシンジちゃん、上手ねぇ」
「そうですか?」
「サトシはいいお嫁さんをもらったわ。そのエプロンもよくなってるわよ。作っておいてよかったわ」
ハナコがわがことのように嬉しそうに笑う。
シンジは料理の邪魔にならないように髪を一つに束ね、黒地に白のレースのついたエプロンを着ている。
ハナコお手製のエプロンだ。
エプロンはシンジにぴったりの大きさで、気恥ずかしかったがシンジのために作ったと言われてしまえば、着ないわけにはいかなかった。
エプロンを着ていることを思い出してしまったのと、言われた言葉の内容とで、シンジの頬が赤く染まった。
それを微笑ましげに見ていると「ただいまー!」と丁度サトシが帰ってきた。
そのあとに「お邪魔します」と2つの声が響く。
オーキドとパンジーだ。
サトシはマサラタウンに帰ってきて、シンジとともに自宅に戻ってから、すぐにオーキド研究所に出かけたのだ。
シンジはごちそうを作るというハナコを手伝うためにサトシ宅に残り、ハナコとともに料理を作っていた。
パタパタと駆けてくる音が聞こえ、リビングを振り返る。
それと同時にサトシがキッチンに入ってきた。
「お帰り、サトシ」
「ただいま、ママ」
サトシがキッチンに入るのとほぼ同時にハナコがリビングへと向かう。
オーキドとパンジーの対応に当たるためだ。
「おかえり」
包丁を置き、鍋の火をいったん止める。
そしてサトシに向き直ると、サトシは硬直していた。
「おい・・・?」
「た、ただいま・・・!」
「あ、ああ・・・」
サトシが固まっていることを不思議に想い、首をかしげた。
その仕草で我に返ったのか、サトシがシンジの両手を握った。
サトシと肩に乗るピカチュウが目をキラキラとさせてシンジを見つめていた。
「(さ、さすが、ママ・・・!めっちゃ可愛い・・・!シンジもご飯作って待ててくれるとか、何それ本当いい奥さんすぎるぜ・・・!)」
サトシは悶えていた。
シンジがまるで理想の家庭の奥さんのように料理を作って待ってくれていた。
しかもいつもと違って髪を結っている。初めてみる、髪をくくったシンジ。
シンオウを旅していたときの長さではくくってもゴムが滑り落ちてしまいそうな長さだったが、今ではきっちりと結える長さにまで達している。
そしてエプロン姿。これを見るのも、実は初めてだったりする。
イッシュでの旅で料理を作ってもらったりはしたが、エプロンをつけて、ということはなかったのだ。
未来の嫁の初めてみる姿に、サトシは内心めちゃくちゃ荒らぶっていた。
ちなみにサトシの影響で、着実にシンジ大好きっ子になりつつあるピカチュウも『(シンジ、まじいい奥さん!)』と感動していたりする。
読唇術を心得ているわけではないシンジは首をかしげた。
そんな2人と1匹の様子にハナコや一緒にキッチンを除くオーキド、パンジーの連名が微笑ましげに見つめていた。
「どう?サトシ」
「ママ!さいっこう!」
「ぴかぴかっちゅ!」
「でしょー」
嬉しそうに笑うサトシとピカチュウ。ハナコは得意げに笑っている。
「ずっと思ってたんですけど、やっぱり2人は・・・?」
パンジーが頬を上気させてオーキドに尋ねた。
サトシたちとデコロラ諸島を旅している間、もしかして?と思う機会は幾度となくあったのだ。
しかしアイリスとデントは2人の関係を広めないでほしいというサトシたちとの約束をきっちりと守り、旅の同行者となったパンジーにも秘密にしていた。
自分の勘違いかもしれないし、何よりその空気を悟って、パンジーも今まで聞かなかったのだが、気になるものは気になるのだ。好奇心旺盛なジャーナリストとしての血が騒ぐ。
オーキドが笑みを深め、それからサトシとシンジを見た。
サトシは大きく、シンジは控えめにうなずくのを確認して、オーキドはパンジーに向き直った。
「ええ。しかし、その前に『結婚を前提に』と付きますが」
「まぁ!」
パンジーが目を輝かせる。
シンジは赤面し、サトシは嬉しそうに笑った。
「ああ、このことはできれば内密に、」
「え?どうしてですか?」
「本人たちが望んでないことですし、2人の間に邪魔が入ってほしくないんですよ」
オーキドの言葉にパンジーが目を瞬かせる。
気恥ずかしいから隠しているというわけではなさそうだ。
それに、邪魔が入ってほしくないのなら、なおさら言ったほうがいいのでは、と、そこまで考えて、パンジーは納得した。
「(そう言えば、デコロラ諸島でも、2人は周りの視線を集めていたっけ・・・)」
サトシとシンジは所望モテる人間だ。
サトシならまだいい。サトシは帽子をかぶっているから顔はあまり見えないし、彼は言動でモテるタイプだ。
しかしシンジは顔を隠していなければ、堂々とした美しい動作が目を奪う。
彼らは長い間旅をしてきたというし、きっと彼らに好意を寄せる相手もいたのだろう。
2人が距離を縮めることをよく思わない人間もいたはずだ。
そう言った人間に2人の関係が知られてしまえば、きっと邪魔をしてくるに違いない。
オーキドたちはそれを正しく理解している。
パンジーが苦笑したことで、彼女が理解したことを悟ったオーキドは肩をすくめて苦笑した。
けれど、これには気付いていないだろうとも、オーキドは悟った。
サトシが、シンジ自身に興味を持つことに仲間がいい顔をしてくれなくて辛いと言ったから・・・。
自分たちが一緒にいることが当たり前になったら、みんなに言おうと考えているから。
そうして、みんなに認めてもらって、その至福のなかで、生涯を誓い合いたいと言っていたから。
だから、今はまだ、仲間たちにだって言わないのだ。
2人のやり取りを首をかしげて見ていたサトシが、ふと思い出したようにハナコに声をかけた。
「あ、ママ。ちょっとシンジ借りていい?」
「ええどうぞ。もうすぐ完成するから、構わないわよ」
「ありがとう、ママ!シンジ、ちょっと来て!」
「えっ、ちょっ・・・!」
サトシに手を引かれ、キッチンを出る。
振り返ってみると、ハナコたちはにこにこと笑っていた。
廊下に出て2階への階段を上がる。
そして、とある一室に案内された。
そこはどうやら、サトシの部屋のようだった。
勉強机やカビゴンのクッションなどが置いてある。
入ってすぐ隣にある箪笥には、イッシュでのジムバッジや大会に出た時にもらった賞状。
そして自分が必要ないと言ってサトシに投げた安らぎの鈴が綺麗に並べられていた。
「(ここがサトシの部屋か・・・)」
初めて入った男の子の部屋。それも好きな相手の。
じわじわと顔が熱くなる。
「シンジ、」
サトシが入り口で立ち止まっているシンジの手を引いて、部屋の中心に連れて行った。
「シンジ、座って、」
「あ、ああ・・・」
サトシにクッションを差し出されるが、構わないと手で制して、そのまま床に座る。
サトシも同じように床に座った。
「それで、急にどうしたんだ?」
サトシがまっすぐにシンジを見つめた。
その瞳があまりの真剣さに、シンジは言葉を失う。
「・・・なぁ、シンジ。俺と一緒に旅をしないか?」
「え・・・?」
「俺、明日、カロスに向けて旅立とうと思うんだ。それにシンジもついてきてほしい」
サトシが太ももの横に置かれたシンジの手を握る。
ぐっと近づいた距離に、シンジが息をのんだ。
「俺、短い間だったけど、シンジと旅が出来て楽しかった」
2人は考え方もバトルスタイルも全然違う。
その違いの分だけけんかもした。
けれども、その分だけお互いを理解できた。
そうして見た景色は何もかもが新鮮で、何もかもが違って見えた。
「今まで知らなかったシンジが、俺の知らなかったシンジがたくさん見れた。それが、そのことがすごく嬉しかったんだ」
それはシンジも同じだった。
今まで見たことのなかった日常のサトシ。
一緒に旅をしなければ見ることのなかった光景が、そこには広がっていた。
「俺、もっともっとシンジのことが知りたい。ライバルとして、恋人として、シンジのこと、もっと理解したいんだ!
―――俺とシンジは恋人って言う前に、ライバルっていう関係が先に来るから、これから何度も衝突すると思う。でも、そんなシンジとの旅だからこそ、もっと自分の世界を広げられると思う。もっともっと強くなれると思うんだ!
―――そして何より、シンジには俺の隣にいてほしい」
強くなりたいと願う彼女にとって、サトシとの旅は己の力を高めるという意味でも新たな世界を切り開くという意味でも、とても魅力的だ。
そして1人の女として、好きな男の隣に入れることは至福だった。
隣にいてほしいという言葉の、何と甘美なことか。
顔を赤く染めて、けれど決してそらされることのない視線に、シンジが微笑んだ。
サトシに握られている方の手を反転し、サトシの手に指をからめた。
「いいだろう。お前の隣にいてやる」
「・・・!シンジ・・・!」
「だが、恋人だからと言って、手加減はしない。勝つのは私だ」
「俺だって負けないぜ!」
「ぴっぴかちゅう!」
不敵な笑みを浮かべたシンジの宣言に、サトシが好戦的な言葉を返した。
サトシの隣に座っていたピカチュウも、拳を握った。
「・・・話はすんだか?」
「おう!」
「なら戻るぞ」
シンジがたちあがる。サトシもたちあがる。
握った手を離そうとすると、逆に力を入れられた。
「・・・おい」
「なに?」
「手を離せ」
「え?いやだけど?」
「は・な・せ」
「い・や・だ」
「「・・・・」」
―――ガシィ!!!
2人がお互いの手首をつかみ、方や引きはがすように、方や引きはがされないように、相手の手を強くひく。
力ではかなわないシンジは体重をかけてサトシの手を引きはがしにかかり、サトシはサトシでシンジを離すまいと踏ん張りをかける。
まるで取っ組み合いのけんかのようだ。
せっかくいい雰囲気だったのに、とピカチュウがため息をついた。
2人の攻防は、ハナコの「いい加減降りてきなさい」というどなり声が聞こえるまで続いた。
「明日?」
夕食をテーブルに並べ、5人でテーブルにつくと、サトシが先ほどの話をハナコたちに切りだした。
「うん。また明日、旅に出る。シンジと一緒に」
ハナコがサトシの顔を見つめる。
サトシのハナコの目を見つめ返した。
「今度はカロス地方なんだ。でもって目指すはシンジに勝って、リーグ優勝!それが俺の夢への次の目標なんだ」
「だから、勝つのは私だと言っているだろうが」
「俺だって負けないって言ってるだろ?」
2人が譲らない。
それにピカチュウが苦笑した。
「まぁまぁ。まずはジムバッジを集めないと。最初はうちの妹のジムにおいでよ」
「え?妹のジム?」
「妹さん、ジムリーダーなんですか?」
「ええ」
「ほんとに!?是非連れてってください!お願いします!」
サトシとシンジの目が輝く。
サトシはともかく、シンジまでここまで興味を示すとは思わなかったんだろう。
驚いたように目を瞬かせた。
そんな様子をオーキドは微笑ましげに見ていた。
最初にシンジに会った時よりも、表情が豊かになっている。
これもサトシの影響だろう。
「きっとそういうって思ってた・・・」
重いため息をついたハナコが立ち上がる。
その様子にパンジーとオーキドが眉を下げる。
サトシはピカチュウと顔を見合わせた。
シンジはハナコの消えていったリビングの方へと目を向けた。
「ママ・・・」
手を後ろ手にして戻ってきたハナコは俯いていた。
サトシが声をかけると、ハナコがゆっくりと顔を上げる。
顔を上げたハナコはにっこりと笑っていた。
「じゃーん!」
そう言って後ろ手にしていた手を前に持ってくる。
その手には赤い帽子と青い上着があった。
「新しい冒険には新しい服でいかなかくちゃ!ほら、」
嬉しそうに駆け寄ったサトシの頭にキャップをかぶせる。
新しい服にサトシは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、ママ!」
「ぴーかちゅー!」
「かっこいい?だろ?ピカチュウ」
「ぴーかぁ!」
サトシの後をついて言ったピカチュウが、サトシに笑みを向ける。
サトシもピカチュウも嬉しそうだ。
「シンジ!どうだ?似合うか?」
「ああ、かっこいいぞ」
「っ!へへっ・・・!」
サトシが照れたように笑う。
それに微笑ましげにハナコが笑った。
「きっとすぐに出かけるだろうと思って用意しておいたの」
「そうなんだ」
「サトシ、カロス地方の冒険頑張ってね!旦那さんは奥さんより強くなくっちゃいけないわ。どんなトレーナーにも負けちゃだめ。リーグ優勝の報告待ってるから!」
「うん!やるよ、絶対に勝つ!リーグ優勝出来るくらいに強くなってシンジを守る!」
「その意気よ、サトシ!さぁ!そうときまれば、たっくさん食べてパワーをつけなきゃ!」
「うん!」
大きくうなずき、サトシが席につく。
ハナコとサトシのやり取りに、シンジがテーブルに突っ伏した。
「(な、何なんだ、このたらし親子・・・!)」
シンジの心境が理解できたオーキドたちが、そろって苦笑した。
(このシチューうまい!)
(シンジちゃんが作ったのよ~。シンジちゃんったら本当にいいお嫁さんだわ~)
(でしょ?)
(・・・っ、・・・っっっ!!!)←恥ずかしくて声も出ない
((シンジ・・・。御愁傷様・・・))←一同、心の声