そんなのは建前で






カントー地方・マサラタウン。白亜の壁が美しい穏やかな街。
サトシとシンジは、その入口に立っていた。


「ここがマサラタウンか・・・」
「マサラタウンに来るのは初めてか?」
「ああ・・・」


サトシの生まれた街を前に、シンジは立ち尽くした。
サトシと出会う以前、カントーを旅したことはある。
しかしこの街に来ることはなかったのだ。
のどかでのびのびとした風景が広がっているこの町を見ていると、サトシのような気風の少年が生まれてくるのは、どこか当然のように感じた。


「いいところだろ?」
「そうだな・・・。綺麗な街だ」


サトシの言葉にシンジがうなずき、どちらからともなくマサラの地に足を踏み入れた。


「あ、そういえば、まだジンダイさんに挑戦してるんだろ?すぐシンオウに戻っちゃうのか?」
「いや、ジンダイさんも近々カントーに戻ると言っていた。しばらくはカントーで修行しようと思っている」
「じゃあしばらくは一緒に入れるんだな!」
「そうなるな」
「ちゃあ~!」


シンジの言葉にサトシが嬉しそうに笑う。
ピカチュウもサトシの方から飛び移り、嬉しそうに頬をすりよせた。
それを微笑ましげに見つめ、サトシがシンジに言った。


「しっかし、シンジもママにあいさつに行くなんて言い出すなんて思わなかったぜ」
「お前があれだけやらかしたんだ。私も行かないわけにはいかないだろう」
「まぁ俺としてはママにシンジを紹介できるのが嬉しいからいいけど、あのときのレイジさんみたいにならなきゃいいなー・・・」
「ああ・・・」
「ぴーか・・・」


サトシもシンジもピカチュウも、3人そろって遠い目をした。
明後日どころか1年くらい先を見ているレベルで。
サトシたちは、シンジの兄・レイジの元にあいさつに行ったときのことを思い出していた。






























『レイジさん!シンジを俺にください!』


サトシがカントーに帰る途中に立ち寄ったトバリシティの育て屋にて。
カントーに変えるには、ここを通る必要はなかったのだが、もしかしたらシンジに会えるかもしれないと期待してたちよったのだ。
すると、日ごろの行いがよかったからか、つい昨日帰ってきたばかりだというシンジと再会した。

けれども、自分はカントーへ。シンジはジンダイへの挑戦。
再会の喜びと同時に、別れの悲しみがやってきた。
そしていてもたってもいられずに、上記の言葉をレイジに向かって放ったのだ。

サトシの言った言葉に、レイジはぽかんと口をあけて呆けてしまった。
シンジも目を見開いて硬直した。

いつかあいさつに行かなければ、とは話していた。
だが、それは「いつか」の話だ。
まさか、今ここで言うなんて思いもしないだろう。
サトシはシンジに何も相談せずに「シンジをください」と唐突に言ったのだ。
石のように微動だにしないのも当然である。

レイジはゆっくりと2人の顔を見た。
真剣な眼差しを向けるサトシ。言葉の意味を理解し始め、徐々に頬を赤く染めるシンジ。
そんな2人を見て、レイジが笑った。


『2人とも一人前の大人なんだし、本人たちが決めたことなら別に構わないよ』


この世界には小卒大人法というものがある。
その名の通り、小学校を卒業したら大人として認められる法律である。
結婚の自由も認められており、本人の意思だけど物事を決めることもできる。


『それにしてもまさかあいさつに来るとは思わなかったなぁ。シンジはいつも1人で何でもやっちゃうから』
『いつかあいさつに行かなきゃな~とは話してたんですけど、早いに越したことはないよなってシンジに黙ってましたから!』
『あ、あいさつに来てくれるつもりではいたんだ』


レイジが嬉しそうに笑う。その笑い声で我に返ったらしいシンジが慌てる。


『おい、待て。当事者の私を置いていくな』
『当事者なんだから、シンジがついてきなよ』
『私か?私が悪いのか?』


シンジが頭を抱える。
ピカチュウが混乱するシンジを慰めるようにポンポンと背中を叩いた。


『まぁとにかく俺は賛成だよ。あ、でも結婚はもう少し考えてからにしなよ?』
『はい!』
『・・・おい、下手に反対されるよりはいいが、軽くないか』
『そう?あ、そうだ、サトシくん』
『は、はい!』


レイジがサトシと視線を合わせるように膝を曲げる。
目が合ったサトシはゴクリと息を飲んだ。


『シンジはね、俺のたった一人の妹なんだ。妹が幸せなら俺も幸せだ。シンジのポケモンたちもシンジが大好きだから、シンジの幸せを祝福するだろう。シンジはうちの大事な大事なお姫様なんだ』


そこで言葉を切られる。不穏な空気が流れ始めた。
レイジは笑顔だが、どこか冷たさを孕んでいる。


『だからね、サトシくん。
そんなシンジを傷つけたり、悲しませたりしたら、

















そのときは、覚悟しておいてね?』



















あのときの冷たい笑みを思い出し2人の背筋が震える。
ピカチュウもサトシから飛び移ったシンジの肩で、できるだけシンジに擦り寄った。


「あれは怖かったなぁ・・・」
「私もあんな兄貴は初めてみる・・・」
「ぴかちゅ・・・」
「まぁ、それだけシンジが大切ってことなんだろうけど」


そう言ってサトシが笑うと、シンジはてれたのか、うっすらと頬を染めそっぽを向いた。

他愛ない話をしながら一本道を進んでいく。
すると一軒のかわいらしい家が見えてきた。


「シンジ、あれが俺の家だよ」


白い壁のこぢんまりした家だ。
小さな庭の花壇には色とりどりの花が咲いている。


――ガチャリ
ドアが開き、若い女性が外に出てくる。
サトシは母親と2人で暮らしていると聞いている。
ということは、あの女性が母親ということになるのだが、しかし若い。


「(は、ははお、や・・・?)」


シンジが思わず首をかしげるのも仕方ない。
とても子持ちの女性には見えない。


「行こう、シンジ」
「え?あ、ああ」


サトシがシンジの手を引き走る。


「ママ!」
「あらサトシ。おかえりなさい」
「ただいま!」


サトシの呼びかけにハナコが顔を上げる。
サトシの顔を見て、ハナコは花が咲いたような笑みで微笑んだ。
それからふと、シンジに気づき目を瞬かせた。


「こんにちは」
「はい、こんにちは。もしかして、貴女がシンジちゃん?」
「は、はい」
「初めまして。サトシの母です」
「シンジです、初めまして」


優しい笑みを浮かべられて、シンジが戸惑ったようにうなずく。
笑顔がサトシに似ていて、不必要に緊張した。


「ふふ、サトシの言ってた通り、綺麗な子ね」
「え?」
「わあああ!!ママ!ママ!早く中はいろ!!」
「そうね。じゃあお茶入れるわね」
「うん、お願い!」


赤面するサトシがハナコの背中を押して家の中へと入る。
呆気にとられるシンジはサトシに手招きされて、ようやく我に返った。
「お邪魔します」と言って、中に入る。
木で造られた家は白く塗られているがどこか温かく感じた。

サトシに促されるままについていくと、リビングに案内される。
席に着くとサトシも隣に座った。


「おい、」
「何、」
「お前、一体どんな説明をしたんだ」
「思ったままを言っただけだよ!」
「思ったまま、って・・・」


2人して顔を赤く染める。
それを間近で見ていたピカチュウは苦笑するほかない。
黙り込んでしまい、気まずい空気が流れる中、丁度ハナコがキッチンから戻ってきた。


「お茶が出来たわよ~」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとう、ママ」


ハナコに礼を言って、ティーカップを受け取る。
さわやかな香りのハーブティーだ。

少し冷まして口をつけると、口の中にさっぱりとしたハーブの香りが広がった。


「おいしい・・・」


温かい飲み物で緊張がほぐれ、シンジが微笑む。
それを間近で見ていたサトシがごちんとテーブルに額を打ちつけた。


「お、おい・・・?」
「だ、大丈夫・・・。何でもない・・・」
「あらあら」


唐突に響いた鈍い音にシンジが慌てる。
サトシは赤くなった額をさすりながら大丈夫だから、とシンジをなだめる。
そんな2人を見て、ハナコはころころと笑った。


「ところで、今日はただ家に帰ってきただけなのかしら?」
「「えっ」」
「サトシが女の子と2人で帰ってくるなんて初めてじゃない?」


にこにこと笑うハナコに2人が顔を見合わせる。
しばしの逡巡ののち、シンジが意を決して口を開いた。


「あ、あの、ハナコさん、」
「なぁに?」
「・・・っ、さ、サトシを私に下さい・・・!」


顔を真っ赤にして、それでもハナコから視線をそらさずにシンジが言った。
ハナコも視線をそらさずに笑みを湛えた。


「・・・シンジちゃんはサトシのことが好き?」
「・・・っはい・・・!」
「サトシもシンジちゃんのことが好き?」
「うん、大好きだよ」
「そう・・・。なら、よし!」
「・・・えっ?」
「お互いが想い合っているのなら、それでいいの。それでいいのよ」


穏やかな笑みを浮かべるハナコを見て、シンジもつられて笑みを浮かべた。


「ありがとうございます・・・!」


喜びに顔をほころばせたシンジは女の子の顔をしていた。
そんなシンジに、ハナコは笑みを深めた。


「でも、そちらのご家族には了承を得たのかしら?」
「う、うん。認めてもらえたよ」
「あら、じゃあ婚約はもう成立しているのね」


ハナコが嬉しそうに笑うと、2人が頬を赤く染めた。
そんな2人を微笑ましげに見つめ、それから思い出したようにハナコが言った。


「そうだわ、シンジちゃん」
「あ、はい」
「お母さんって言ってほしいわ」
「えっ」
「ね?」


サトシとよく似た太陽を思わせる微笑みに、シンジはNoと言えずに押し黙る。
顔を赤くしたまま、シンジは絞り出すような、かすれた声で言った。


「お・・・おかあ、さん・・・」


それきり黙りこんでしまったシンジは首筋までほんのりと色づいている。
シンジはうつむいてしまって気付いていなかったが、サトシは確かに見ていた。
ハナコのハートに矢が刺さる瞬間を。矢が刺さった一瞬ののち、ハナコの周りに花が咲き乱れたところを。
そしてサトシはしみじみと思うのだった。


「(ママまで落とすとかシンジすげぇ・・・)」




























(や、やっぱりハナコさんと呼ばせてください・・・)
(慣れたら、慣れたらでいいわ。ぜひ、呼んでちょうだい)
(は、はい・・・)
(そうだわ。ポケモンたちにも報告してきなさいね?)
(分かりました)




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