そんなのは建前で
「・・・え?」
懐かしい声。こんなところで聞けるとは思ってもみなかった声だ。
振り返ると、そこには懐かしい夕日色の髪と、愛しい紫陽花色が視界に飛び込んでくる。
安堵したような暖かい笑みと、慈愛に満ちた優しい笑みに、何故だか泣きそうになる。
気付けば、足は2人に向かっていて、腕は大きく広げられ、顔は笑みをかたどっていた。
「カスミ!シンジ!!」
力いっぱい抱きついて名を呼べば、2人がそろってそっと背をなでてくる。
少し、視界がにじんでいたが、それには気づかないふりをする。
「久しぶりだな」
「ピカチュウも元気そうでよかったわ」
「ぴかっちゅう!」
サトシと同じように抱きついたピカチュウも、カスミに頭をなでられご満悦だ。
サトシがそっと2人を離す。
ここはポケモンセンターのロビーである。
水中ショーなどで注目されることに慣れているカスミとは違い、シンジは必要以上の視線を煩わしく感じる人間だ。
人の出入りの多いポケモンセンターで抱き合っていれば、いやでも目立つ。
名残惜しかったが、仕方ない。
その代わり、無防備にさらされたシンジの手を握った。
手を握ると、驚いたのか、目を見開かれたが、決して振り払うことはしなかった。
気恥ずかしかったのか、目をそらされたが、自分を意識してくれているようでうれしく、サトシの顔がほころぶ。
そのとき、シンジの顔を再度見つめ、ようやく気付いた。
「シンジ・・・その包帯・・・」
「ああ、これか・・・。問題ない。数日したらとれる」
「いや、大有りだからな!?」
「旅をしていたら怪我くらいするだろう」
「でも・・・っ!」
「サトシ、」
「!」
シンジが、サトシの手を握っていないほうの手で、そっと彼の頬に触れる。
名を呼ばれた時、一瞬だけ表情を厳しくさせたが、おそらく自分を黙らせるためのものなのだろう。
すぐに、先ほど見せたような、慈愛に満ちた優しい表情になった。
「久しぶりだな」
「・・・!おう!!」
頬に添えられた手を握って、サトシも笑みを返した。
「ちょっとサトシ!誰なの?その2人」
いい雰囲気なのに邪魔すんじゃないわよ。
せっかくサトシが幸せそうにしてるのに邪魔するなんて何様?
2人の様子を見守っていたカスミと、ルリリとともにカスミに抱かれたピカチュウがそろって声をかけた人物――アイリス――を睨みつけた。
けれどもアイリスはそんな1人と1匹に気づかずに、不機嫌そうに眉を寄せている。
「そっちの彼は怪我をしているみたいだけど、大丈夫かい?」
「・・・ああ」
男に間違えられるのにはもう慣れてしまったのか、ため息のような細い声でうなずいた。
「紹介するぜ。昔の旅仲間のカスミと、えっと、ライバルのシンジだ」
「カントーから来たカスミよ。水ポケモンマスターを目指してるの」
「シンオウから来たシンジだ」
「で、この2人が今の旅仲間のデントとアイリスだ」
「ポケモンソムリエのデントです」
「私はアイリス!こっちはキバゴよ!」
「きばきば!」
表面上にこやかにあいさつを交わすが、カスミとシンジの心中は穏やかではない。
ソムリエを名乗る男は、職業柄なのか、値踏みするように視線を走らせ、ドラゴンタイプを連れた少女は、おそらく竜の里の出身。
ソムリエにも、竜の里にも、あまりいい印象は抱けない。
むしろ、印象は最悪だ。
そして彼らを追ってこちらに来た少年少女たちも、先ほどの会話を顧みると、決していい印象を持てるものではない。
「サトシ君のお友達?私はベル、よろしくね!」
「俺はコテツ!」
「ラングレーよ」
「私はポケモンソムリエのカベルネよ」
「俺はケニヤンってんだ」
「・・・シューティーだ」
「よろしくね」
笑顔で「よろしく」と言ったカスミだが、目が全く笑っていない。
カスミに抱かれたピカチュウは、そのことに気付き、冷や汗をかいた。
サトシの隣に立つシンジの目も、完全に座っている。
これってイッシュ終了フラグ?と思ってしまったピカチュウの考えは、あながち間違っていない。
ピカチュウは正しく認識しているのだ、誰のどこに地雷があるのか、また地雷を踏めばどうなるのかを。
そして、彼女らは怒らせてはいけない存在であるということを。
「それでそれで?2人はどうしてイッシュに?」
2人の冷めた視線に気づかずにベルが問う。
カスミは呆れたように肩をすくめて見せた。
「サトシの顔を見に来たのよ。こいつ全然連絡入れないんだから」
「ご、ごめん・・・」
若干睨みつけるような視線を向けられる。
心配したのだ、と責めるような視線に申し訳なく思う。
サトシはポケギアを持っていないため、サトシから連絡を入れなければ、相手はサトシの現状を知ることはできない。
だからサトシはポケモンセンターにつくたびに、ハナコたちに連絡を入れていた。
しかし今回の旅は、それを怠っていたのである。
自分が悪いとわかっているからこその謝罪だった。
「それで、こいつを借りたいんだが?」
シンジがたずねると、アイリスとデントがアイコンタクトを取り、うなずいた。
「久しぶりに会ったんでしょ?もちろんいいわよ」
「積もる話もあるだろうから、ゆっくりしておいで」
「えー?でも、私、他の地方について聞きたかったな~」
デントとアイリスの言葉にベルが不満げに頬を膨らませる。
駄々をこねる子供の様で愛らしいが、いつもこの調子であるためあきれるしかない。
デントが苦笑し、アイリスがやれやれと首を振った。
「じゃあ、私が残るわ」
「いいの!?」
「え?でも・・・」
「いいのよ。まだしばらくはこっちにいるつもりだから」
そう言って、カスミはピカチュウをシンジに渡した。
「頼んだわよ」
「わかっている。そっちこそ、抜かるなよ」
「もちろんよ」
「ぴか?」
小声で交わされる言葉に、ピカチュウが首をかしげれば、カスミは何でもないと笑って彼の頭をなでる。
シンジがしっかりとピカチュウを抱えたことを確認すると、カスミはピカチュウから手を離した。
「またあとでね」
「ああ。行くぞ、サトシ」
「お、おう!」
戸惑いつつもうなずくサトシを連れ、シンジがポケモンセンターを後にする。
それを見送っていたカスミは、彼がイッシュで出会った仲間たちに向き直った。
その目が、バトルを始めんとする強者の目であったことに気づく者はいなかった。