そんなのは建前で
カントー地方、マサラタウン。
白塗りの壁が緑に映える、自然豊かな美しい街だ。
小高い丘の上には風車のついたかわいらしい建物がある。
研究者の中で知らないものはいないとされるオーキド博士に研究所である。
シンジを乗せたドンカラスはその研究所の前の地面に足をつけた。
「御苦労さま。戻れ、ドンカラス」
ドンカラスの背から降りたシンジはドンカラスをボールに戻し、研究所の戸をたたいた。
『はいはい、今開けますよー』
中から聞こえてきたのは青年の声。
どたどたと扉に駆け寄る音がする。
「はいはい、どちら様ー・・・って、シンジ!」
中から出てきたのはバンダナをした青年だった。
リーグ中継で見た少年と違い、髪は逆立っていない。
「ど、どうしたのシンジ!何かあった?」
青年――名をケンジという――は驚いたような顔をした。
口の端がどことなくひきつっている。
それもそのはずだろう。突然来訪したシンジが10歳とは思えぬ威圧感を発しながら鋭い目を更に鋭くさせているのだから。
「オーキド博士はいらっしゃるか?」
「え、あ、うん・・・。あ、でも、今来客中だからちょっと待ててもらえる?」
「ああ」
「ケンジー?どうしたのー?」
「誰か来たのか?」
2階の部屋から顔を出したのはオーキド博士その人と、来客とみられるオレンジ色の髪の少女だ。
「カスミ、オーキド博士」
「おお、誰かと思えば、シンジじゃないか!」
「え?シンジって、あのシンジ!?」
オーキドが顔を輝かせ、カスミと呼ばれた少女が楽しげに階段を下りる。
「・・・ハナダジムの?」
「あら、あなたは・・・」
「あれ?知り合い?」
「ハナダジムに挑戦したことがある」
「こっちじゃ見かけないポケモンばっかり使ってたから印象に残ってたのよ。あなた女の子だったのね」
「ああ」
シンジはハナダジムに挑戦したことがあった。
ナエトルやユキワラシを使い、カスミに勝利したのである。
カスミもまた、カントーでは見かけないポケモンばかりを使うシンジはとても印象深かったのだ。
そのとき、シンジはまだサトシと出会っていないときだったので、カスミも特に気にかけることはなかった。
それがまさか、弟とも仲間とも呼べる少年の想い人になっているとは思いもしなかった。
「それでどうしたんじゃ?何か用があるんじゃろう?」
「いいんですか?カスミさんの用は・・・」
「ああ、私はリーグ戦の時期が終わって、ジムが暇になったから、遊びに来ただけなの。特に用はないわ。それと、私のことは呼び捨てでかなわないから」
「そうか、わかった」
カスミに向かって一つうなずくと、シンジはオーキドに向き直った。
その顔が研究所に来た時と同じ、怒りをかたどったもので、その変わりように、オーキドとカスミは驚く。
ちらりとケンジを見ると、彼はひきつった苦笑を浮かべていた。
「イッシュに行こうと思うんです。サトシに喝を入れるために」
「か、かつ・・・?」
「イッシュリーグがあまりにも酷かったので、サトシの今までのポケモンを連れて、その根性を叩きなおそうかと思って」
シンジのいうことには確かに覚えがあった。
今までのリーグ戦を振り返ってみると、サトシらしくないという感想を持った。
フィールドを使った臨機応変なバトル。他とは類を見ない奇抜な戦術を使うサトシが、今回のリーグ戦では常識の範囲内でバトルをしていた。
ピカチュウの電気技も威力が戻っていない。
特にシンジは、恋人としてもライバルとしても気になる問題だ。
「私も行くわ」
カスミがシンジの前に立つ。
少し背の高いカスミを見上げ、シンジは口元を緩めた。
その瞳が自分を見る兄と似たような色をしていて、胸のあたりがポカポカと暖かくなる。
カスミにとってサトシとは、弟のような存在なのだ。
「あいつは一回泣かせるべきだわ」
「ああ・・・それはいいな・・・」
・・・ただ、口から吐き出される言葉には、一切の温かみはなかったが。
絶対零度の声音が言い放った2人の顔は、いっそすがすがしいほどの黒い笑みを浮かべていた。