信頼と絆の物語






 『ポケモンふれあいフェスタ』とは、レンジャー協会主催のボランティア活動である。何らかの理由で野生復帰できないポケモンの野生復帰意欲を向上させるために働きかけることが主な内容だ。サトシとシンジも、トップレンジャーのジャック・ウォーカーの要請を受け、この大会に参加していた。サトシ達の波導の力は極秘であるため、裏口からの参加ではあるが。
 サトシ達はジャック・ウォーカー――ジャッキーに指定されたポケモンの面倒をみることとなった。そのジャッキーに指定されたポケモンは、海藻によく似たポケモン、クズモーだった。
 フェスタが行われるのは美しい海沿いの街、セレストシティである。そして会場は街の中央にある自然公園であった。一般的な会場は広場であったが、サトシ達はその奥にある池に来ていた。クズモーはその池のほとりで、一匹でたたずんでいた。
 ジャッキーいわく、彼はレンジャー協会に置き去りにされたポケモンである。そしてそのことが原因で、クズモーは泳げないということらしい。傷を抉るような残酷な真似はしたくないからと、サトシ達に任されることとなったのだ。


「初めまして、クズモー」


 サトシが声をかけると、クズモーはきょとりと目を瞬かせた。


「俺はサトシ。こっちは相棒のピカチュウ」
「ぴっかぁ!」
「私はシンジだ」


 少し離れた位置でサトシ達が自己紹介を行う。
 サトシ達を案内し終え、しばらくの間経過を見ようと茂みの中で様子をうかがっていたジャッキーは彼らの様子に目を見張った。


(驚いたな……。いきなり姿を見せるなんて……)


 サトシ達は波導の力を得てからというもの、ポケモンたちの声を聞くことが出来るようになった。特にシンジは心の声を聞くことに長け、心を閉ざした原因や、傷を負った経緯を知ることが出来た。それによりサトシ達は心身ともに深く傷ついたポケモンたちを見てきた。自ら飛び込んだり、保護協会の依頼など、理由は様々であるが、彼らはずっと見つめ続けてきたのだ。人間の罪を。
 そのため彼らは保護ポケモンにはまず野生のポケモンを向かわせて、コミュニケーションを図らせることを推奨していた。人間に飼われているポケモンを嫌う者もいるからだ。
 彼らのアドバイスを受け、レンジャー協会は協会周辺のポケモンたちと親しくなるよう努め、いざというときに応援を要請できる状態にしてあった。だから彼らがいきなり姿を見せたことに驚いたのだ。クズモーはトレーナーにさじを投げられ、レンジャー協会に置き去りにされていたポケモンなのだから。


「隣、座ってもいいか?」


 尋ねたのはシンジだ。声をかけられたクズモーは突然の出来事に驚いているようではあったが、ゆっくりと頷いた。それを見て、シンジがゆったりとした動作でクズモーの隣に腰を下ろした。サトシもそれに習い、シンジの隣に座った。
 クズモーはシンジが気になるのか、しきりにシンジを見上げ、彼女の顔を窺っていた。


「なぁ、何故池に入らないんだ? 見ているだけではつまらないだろう?」


 池に入りたくないのか? と尋ねると、クズモーが顔を曇らせ、俯いた。


『入りたいよ……。入って遊びたい……。見てるだけなんてつまんないもん……』
「では何故?」
『だっておいら、泳げないんだもん……』


 クズモーのペースに合わせた問いかけに、クズモーが自分の過去を話し始めた。
 聞いてほしかったのだろう、心の声を。話しはじめたら、クズモーは止まらなかった。


 おいらはご主人に卵から育てられたポケモン何だ。
 生まれたのは山の中。川もあったけど、それは本当に小さな小川で、入っても足を濡らすくらいの、そんな川ばっかりだった。
 だから水の中に入ったことがなくて、自分が泳げないことにすら気付いてなかったんだ。
 おいらが初めて水の中に入ったのは、水タイプのジムでのバトルだった。水のフィールドだったから、相性は今ひとつでも、おいらをバトルに出したんだ。パーティに水ポケモンはほかにいなかったし、相性のいいポケモンがいなかったから。
 そしておいらがフィールドに出たんだけど、おいらはそこで溺れたんだ。
 ご主人もおいらも、水タイプだから泳げるだろうって思ってた。でも泳げなくて、ご主人は負けて、バッジももらえなかった。
 そのままおいらはどこかにボールに入れられたまま置き去りにされた。
 悲しかったけど、やっぱり、って思ったんだ。おいらは水タイプなのに泳げなかったから。


 あきらめにも似た色を乗せたクズモーの瞳に、サトシが口を開く。けれど、それをシンジが制し、クズモーの言葉を待った。


『でもね、おいら、泳げるようになりたいんだ。だって悔しかったんだもの。一回泳げなかったからって投げ出されたのが。だから泳げるようになって、ご主人を探して、見せつけてやりたいんだ。おいらは泳げるんだぞ! って』


 クズモーが前を向く。見つめている先は目の前の池だ。


『おいらは泳げるんだぞ―――!』
「っ!? おい、クズモー!?」
「く、クズモー!?」
「ぴかぁ!!?」


 クズモーが雄叫びを上げながら、ものすごい速さで池に向かって猛進する。これにはサトシ達だけでなく、草むらに隠れたジャッキーまでもが驚いた。


『うおおおおおおおおおおおおおおお!』


 クズモーは止まらない。池はもう目の前に迫っている。そしてクズモーは池に飛び込んだ!


『やっぱり怖い……』


 ――かに見えたが、クズモーは池に飛び込む直前にその身を翻し、池に背を向けた。
 背を向け、頭を抱えるようにしてうずくまっている。これには全員が脱力した。


「さっきまでの威勢はどうした……」
「ま、まぁ、いきなり出来るようにはならないって」


 クズモーは初めて水に入った時に溺れたのが原因で、水を怖がっているのだろう。
 普通、野生の水ポケモンは、海や川に生息している。そのため生まれたのが水の中、というのは珍しいことではないのだ。そうであるからして、水ポケモンは生まれながらにして泳ぎを習得している場合が多い。
 まれにそうでないものもいるが、そう言った場合は親や群れの仲間達が教えてくれる。トレーナーのポケモンであったとしても、トレーナー自身や仲間の水ポケモンが教えてくれるはずだが、このクズモーはそれらが一切なかったのだ。
 初めて水に入ったのが生まれてからだいぶ経過していたというのも一つの原因だろう。しかもその時に水は恐ろしいものだと感じてしまって、水に入れなくなってしまっている。
 彼は水に触れ合う時間が圧倒的に少なかったのだ。だから、泳げるものも泳げない。


「まずは水に慣れさせないとな」





 サトシ達がまず行ったのは、水に触れてみること。ただそれだけだった。
 クズモーは毒タイプとの複合タイプであるが、水タイプでもある。そのため、本来水は好ましいものであるはずなのだ。
 クズモーは水に触れる機会がほとんどなかったために、水への恐怖から脱出できないでいる。だったら、慣れさせればいいのだ。水を好ましいものと思えるくらいに。


「クズモー、これなら怖くないか?」
『う、うん……』
「無理はするなよ」


 サトシとシンジはジャッキーに小さな洗面器と簡易プールを借りた。まずは洗面器に水を溜め、水への恐怖を薄めていくことにしたのだ。少量の水に慣れたらプールに移行するつもりでいる。
 サトシが体を支えながら、クズモーを洗面器の中に入れる。体が水に触れた瞬間は体を強張らせたが、体を支えられていることもあってか、それ以上の変化はなかった。


「これくらいは大丈夫か?」
『う、ん……』
「じゃあ、手離してみるな?」


 溺れるほどの深さがないことが分かってか、クズモーは詰めていた息を吐く。わずかだが体の緊張が取れたことが分かったサトシは、ゆっくりとクズモーの体から手を離した。
 支えがなくなったことにクズモーはびくびくと体を震わせた。しかし洗面器のふちに捕まって、どうにか一人で水の中に入っている。


「おお、ちゃんと水に入れたな。偉いぞ、クズモー!」
『こ、これくらいなら、大丈夫かも。生まれたばっかの時に遊んだときくらいの深さだし……』


 サトシがクズモーの頭をなでると、クズモーは嬉しそうに笑った。楽しかった思い出がよみがえってきたのか、その顔に明るさが戻る。それにサトシ達も破顔して、目を細めた。


「じゃあ、縁から手を離してみような?」
『わ、分かった』


 ゆっくりと縁から手を離し、支えなしで水の中に佇む。顔は完全に強張っているが、両手を縁から離すことには成功した。


「おお! 手離せたな!」
『う、うん』


 サトシの歓声に後押しされてか、クズモーの顔のこわばりが取れる。自分ではこう上手くいかないだろうな、とシンジが口元を緩ませた。




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