信頼と絆の物語
弾むような心の音に聞き惚れながら、シンジが目を伏せた。
重く凝り固まっていたヒナタの心は遊びを楽しむ子供の様に弾んでいる。
悲しみにぬれていたヒンバスの寂しい心も温かく、心地いい。
(もう大丈夫だな、)
きっと大丈夫。ヒンバスの頬をなでながら、シンジが微笑みを落とす。
そんなシンジにサトシが口元をほころばせ、ポン、とシンジの肩に手を置いた。
「次はシゲルの用を片づけないとな」
「ああ」
ヒナタの見送りを済ませ、2人は古城の中へとはいっていく。ずっとサロンにいたらしいヒンバスは、城の中を興味深げに見渡していた。
『ここって、こんなに広い場所だったのね』
「ああ」
『そう言えば、私がいた部屋も、大きかったな』
何がおかしいのか、楽しげに笑うヒンバスに、2人の口元がゆるむ。
『これから何をするの?』
「シゲルっていう人の手伝いだよ」
『えぇっと……昨日助けてくれた人?』
「そう」
昨日シンジとヒンバスを助けたこともあって、ヒンバスの中でのシゲルの株は低くない。
恐怖の中から救い出されたこともあって、苦手だという認識はされていないようだった。
もっとも、シンジが一緒にいたから、かもしれないが。
『でも、何のお手伝い?』
「さぁ、俺も聞いてないからわからないけど、研究の手伝いじゃないかな」
『研究ってことは、あの人は博士なの?』
「博士じゃないけど、きっといつか博士になる奴だよ」
サトシが楽しそうに笑うと、ヒンバスもそうなんだ、と言ってころころと笑った。
「お、着いた」
サトシが足を止めたのは資料室として使われている書物庫だった。
協力者たちが行う講習会の講義室として使われることもあり、そこにはモニターなども完備されている。
サトシ達がヒナタを見送っている間に準備がしたいということで、シゲルからは書物庫で待っていると告げられていた。
「シゲル―? いるかー?」
3回ほどノックして、サトシが扉を開ける。
扉を開けるとシゲルは書物庫に設置された机に向かっていた。
紙を切っているようで、シゲルの手伝いとして残ったピカチュウが、シゲルが切った大小さまざまな紙を拾い集めていた。
その途中、サトシが書物庫に来たことに気づいたピカチュウが、嬉しそうに声を上げた。
「ん? ああ、もういいのかい?」
ピカチュウの声でサトシ達が訪れたことに気がついたシゲルが顔を上げる。
顔を上げたシゲルはシンジの腕の中にヒンバスがいることに気がついて、サトシ達を見上げた。
「ヒンバス、僕のこと平気なの?」
「ああ、問題ない」
「バスッ!」
大丈夫!とひれを振るヒンバスを見て、シゲルがよかった、と相好を崩した。
「ヒンバスは野生復帰させるの?」
「いや、私が引き取った」
「そっか」
それがいいよ、と言ってシゲルがピカチュウから紙を受け取る。特に何も書かれていない、ただの画用紙のようだった。
「それで、手伝いって?」
「うん」
ピカチュウに礼を言って頭をなで、ピカチュウをサトシの元に返す。
シゲルは一つうなずいて、最新のポケモン図鑑を取り出して見せた。
「僕達研究者が、日々図鑑を更新しているのは知っているよね?」
「ああ」
「普通のポケモンたちだったら遭遇率も高いから、より完成度の高いものが作れるんだけど、伝説や幻とされるポケモンたちはそうもいかない。普通ではめったに会えるものではないからね」
真剣な表情を浮かべていたシゲルが苦笑すると、サトシが首をかしげる。
彼にとって伝説のポケモンは珍しいものではない。
伝説のポケモンというものがどういう存在で、普通の人々からどう思われているのかは知っている。だからその辺の区別はつくが、彼にとってめったに出会えない存在ではないから、そこについてはよく理解していない。
元常識人であるシンジはシゲルの苦笑に納得し、なるほど、と頷いて見せた。
「それで伝説のポケモンの詳細については古い文献や遺跡なんかに残されたものや本当に見たのかどうかも怪しい目撃情報を元に作られていて、正確なものじゃないんだよ」
最近ではカメラなども普及していて、目撃情報に加えて写真なども提供されているので、かなり詳細なものになってきているが、実際に本物を見たわけではないので、細部まではっきりと一致しているわけではない。
伝説のポケモンをよく知るサトシ達が見ると、あれ?と首を傾げたりする現象が起きるわけだ。
「足跡なんかはもっとひどくて、古い遺跡なんかに残された足跡の化石のものを採用していてね。けれど、化石では長い年月を経ているから、その分形状が変化しているんだ。そのことに最近気がついてね」
最近、というのはサトシやシンジを通して伝説のポケモンと関わるようになってからだ。
あまり詳細な図鑑を作ってしまうとポケモンたちに危機が及ぶのだが、完璧な図鑑を作るのは研究者としての一つの夢で、シゲルは苦々しい思いで図鑑をポケットにしまった。
「本人達がいいって言ったらでいいんだけど、協力してくれないか?」
「わかった。本人が嫌って言ったら断ることになるけど……」
「構わないよ」
まぁ、これくらいのことなら断られないと思うけど、とサトシはシゲルを見やるが、シゲルは深刻そうな表情をしている。サトシが見ていることにも気づいていない。
そんな風にポケモンたちのことを想いやれるのだから嫌われるはずなんてないのに。変なところで鈍い幼馴染に苦笑して、サトシは窓を開け放った。
「おーい! みんなー! 頼みがあるんだ! 暇な奴だけでいいから来てくれないか―――!?」
空に向かってサトシが叫ぶ。サトシほどの波導の持ち主なら波導を使って(相手の波導を知っている前提で)直接呼びかけることも不可能ではない。要はサトシの気分と、相手に波導を飛ばすイメージが掴みやすいからである。
こんな簡単な呼び出し方法でいいのか、とシゲルは毎回こけそうになるのを必死で耐える。シンジはもう慣れてしまっているために何とも思わなくなったが、神降ろしの儀式なんかも行っているところがある中でこの呼び出し方である。軽いやり取りだな、と思わないでもない。
「ミュミュ―――!」
「レビィ!!」
「きゅうううん!」
「きょうううん!」
「きゃうううん!」
サトシの波導に反応したのはミュウにセレビィ、アグノム、ユクシー、エムリットだ。
ミュウ達は呼びだしたサトシやよく一緒に遊んでもらうシンジの周りを飛び回り、嬉しそうにしている。
「こいつらだけみたいだけど、良いか?」
「構わないよ。彼らには彼らの都合や役割があるんだからね」
エムリット達はサトシと親しげにしている人間に興味があるのか、シゲルの周りを飛んで首をかしげている。
そんな中で、セレビィだけはやたらと楽しそうにシゲルの周りを飛んでいた。
「あの、サトシ? 何かセレビィの様子が……」
セレビィがやたらと自分に懐いてくることに戸惑い、シゲルがサトシを見やる。きょとんとしていたサトシが納得したように手を打った。
「そっか。ユキナリと似てるんだ」
「レビィ!」
懐かしそうに眼を細めるサトシにセレビィが何度もうなずいた。
似てると言われても心当たりのないシゲルが首をかしげてシンジを見やるが、シンジも知らないようで、静かに首を振った。
「誰だい、それ……」
「うん。俺がまだ旅を始めたばかりの時に出会った、幼いころのオーキド博士だよ」
「オーキド博士!?」
シゲルが目を見開く。これにはさすがのシンジも驚いて硬直し、ヒンバスに心配そうに顔をのぞきこまれていた。
「その時は気付かなかったし、気付いてからもそんなまさかって思ってたけど、時渡りで過去から来てたから、ありえないわけじゃないんだよな」
直接聞いてみたら、やっと気付いたのかって呆れられたよ。そう言って苦笑するサトシに、シゲルが渇いた笑みを漏らした。
(ポケモンの技を受けてもピンピンしてるし、次々に新しい論文を発表するし、とんでもない人だとは思っていたけど、まさか幻のポケモンに出会っているなんて……)
――知れば知るほど遠のいて行くなぁ……。
シゲルは苦笑した。
その意味に気づいたのは、やっぱり元常識人のシンジだけである。