信頼と絆の物語
そろそろ帰らなきゃな、というサトシの呟きに、伝説のポケモンたちは名残惜しげに自分たちの世界に帰って行った。
それを見送って、サトシ達はヒンバス達に目を向けた。
「楽しかったかー?」
「バス!」
「ぴかっちゅ!」
「ワニャワニャ~!」
「そっか! よかったな~」
嬉しそうに笑うポケモンたちの頭を撫で、ワニノコたちをボールに戻す。
ピカチュウを肩に乗せようと手を伸ばし、シンジがヒンバスを抱えようと湖のそばにしゃがみこんだ。
その時だった。――ガシャン、という不吉な音を聞いたのは。
バシュッ! ガシャン!
「ぴかっ!?」
「バスッ!?」
見覚えのあるアームが、アームの先端についた檻でピカチュウとヒンバスを閉じ込めた。
ピカチュウが脱走を試みようと電撃を放つも、檻はびくともしない。
「一体、何なんだ!」
「一体、何なんだ! と聞かれたら!」
「答えてあげるが世の情け!」
「以下略にゃー!」
「ロケット団!」
~ここまでがテンプレです~
シンジの頭の中にテロップが流れた。
先程ユキメノコに吹き飛ばされたはずなのだが、もうここまで戻ってきたのか、とシンジは妙な感心を覚えた。
彼らの科学力と追跡力は侮れないものがある。実力だって、そこいらのトレーナーよりも数段上だ。シンジとて彼らに呆れこそすれ、侮ったりはしない。それはサトシも同様だ。
「ピカチュウとヒンバスを返せ!」
「いやよ! ピカチュウはボスに献上。ヒンバスはミロカロスに進化させて、私のポケモンにするんだから!」
「そんなことさせるもんか!」
サトシがボールに手をかける。
ポケモンを放とうとして、サトシが動きを止めた。大きく見開かれた目に、ロケット団が首をかしげていると、コジロウが「あれ?」と不思議そうな声を上げた。
「どうしたのよ、コジロウ」
「いや……むっつりガールはどこに行ったんだろうなーって思ってさ……」
むっつりガールというのは、シンジのことである。
昔はヒコザルの元トレーナーと呼んでいたのだが、それはもう5年前に決着のついた話だ。それでもう一つの呼び方であったむっつりガールで定着してしまっている。
そのむっつりガールことシンジが、姿をくらませたのだ。眼を離した、ほんの数十秒の間に。
「い、いないのにゃ……」
「一体どこに……って、ああ!?」
ガン! ガン! と断続的に聞こえる鈍い音に、ムサシがアームに目を向けた。そこにはアームにしがみつき、檻との接続部分にひざ蹴りを入れるシンジがいた。
――バキィッ!!!
派手な音を立てて、檻とアームが2つに分かれ、ひしゃげた檻の隙間からピカチュウが飛び出してきた。出てきたピカチュウはシンジに抱きつき、シンジに頬をすり寄せた。
「大丈夫か?」
「ぴっかぁ!」
「そうか。なら、お前は先に降りていろ!」
シンジがサトシに向かってピカチュウを放り投げる。ピカチュウは見事にサトシの腕の中に落ち、それを見届けて、シンジはヒンバスの檻にうつった。
「シンジ!」
「ヒンバスもすぐに助け出す! お前はこいつらをふっ飛ばす準備をしておけ!」
「分かった!」
ヒンバスの檻にうつったシンジが、また檻に向かった膝を入れる。その様子をヒンバスは不安げに見つめていた。
「あああ、ピカチュウが!」
「なんてことすんのよ!!」
ムサシがリモコンでアームを操作し、シンジを振り落とそうとする。
しかしシンジはそれをものともせずに、檻に蹴りを入れた。
ばきり、と不吉な音が聞こえ、ロケット団が顔をゆがめた。
「こうなったら上昇するのよ!」
「待て! ロケット団!」
どんどん上昇する気球に、サトシが顔をゆがめる。
現在、手持ちに飛行タイプはいない。
いつもなら野生のポケモンたちに手を貸してもらっているし、レンジャー協会付近のポケモンたちとはあらかじめ友好関係を結び、ピンチの時には手助けしてくれるよう要請している。
しかしつい先ほどまで伝説のポケモンたちがいたためだろう。委縮してしまってか、近くにポケモンの気配はない。波導で呼ぶにしても、距離がありすぎる。
シンジの身体能力でも飛び降りれない高さまで達してしまった気球に、サトシが強くこぶしを握った。
――ガシャン!
ヒンバスをとらえていた檻が壊れ、シンジがヒンバスを抱える。ヒンバスはシンジの胸に顔を擦りつけた。
「ンバ、バス……(ごめんなさい、私のせいで……)」
「気にするな、日常だ」
気球は上昇を終え、徐々に古城から離れ始めている。
生い茂る針葉樹で見え隠れしているが、サトシが気球を追ってきている。
しかし、この先は岩肌が雪で覆われた険しい山が続いている。そこまで行ってしまえば、いくらサトシと言えど、追っては来れない。
ふむ、とシンジが考えるそぶりを見せて、
「飛び降りるか」
と、何でもないことのように言った。
「バ、バスー!!?」
ヒンバスの絶叫が響く。なだめるようにひれをなでながら、シンジが言った。
「幸いにも今は木の上を飛んでいる。今なら木がクッションになり、死ぬことはないだろう。しかしまぁ……多少の怪我は覚悟しておけ」
「バ、バス!」
顔が引きつっているが、ヒンバスの覚悟は決まっているようだった。
精いっぱいシンジに抱きつき、離れまいとしている。
一見恐怖で縋りついているように見えるが、その瞳は揺らいではいなかった。
「ふん……。なかなか度胸があるな」
「バス!」
当然、というように返事を返したヒンバスに、シンジは口元を緩めた。
「行くぞ」
――ダンッ!
アームを踏みきりに、シンジが思い切り飛んだ。
「と、飛び降りたのにゃああああああ!!?」
「「な、何いいいいいいいいいいい!!?!?」」
「シンジ!!!」
シンジが飛び降りたのは、サトシにとっても、ロケット団にとっても予想外だったらしい。双方が悲鳴のような声をあげ、シンジを見つめた。
シンジは自らの体で風を切り、迫りくる木々に見入っていた。
受け身が取れても痛いものは痛いだろうな、と他人事のように思いながら、ヒンバスだけは話さないように、しっかりと抱きしめた。
くるりと体を丸め、シンジは来るべき衝撃に耐えようとした。
(そろそろか、)
痛みに耐えようと、きゅ、と目を瞑る。
しかし、なかなか衝撃は来ず、むしろ柔らかいものに感触に包まれた。
「まったく、君も無茶苦茶するねぇ」
「!?」
頭上から降ってきた声に目を開けると、そこには自分を見つめる優しげな緑の瞳があった。
肩と膝裏をしっかりと抱き、自分を受け止めた少年に、シンジは見覚えがあった。
「やぁ、久しぶり」
「シゲル……」
プテラに乗り、悠々とあいさつを交わすシゲルに、シンジは呆けた頭で首をかしげた。
「何故、ここに……?」
「仕事でちょっと君たちに用があってね」
「用?」
「それはまたあとで。サトシ!!!」
「おう!!!」
サトシがモンスターボールとルアーボールを投げる。そこから出てきたのは先ほどまで遊んでいたブイゼルとワニノコだった。
ヒンバス達と戯れていたときの愛くるしさは消えうせ、代わりに獰猛なまでの闘志が宿っていた。
「ワニノコ! ブイゼル! 水鉄砲でピカチュウを打ち上げるんだ!」
「ワニャー!!」
「ブイー!!」
ピカチュウが飛び、それをさらに下から打ち上げる。打ち上げられたピカチュウは雷をまといながら気球の上を取った。
「ピカチュウ! 最大パワーで10万ボルト!!!」
「ぴ、か、ちゅううううううううううううううう!!!」
「「「ぎゃあああああああああああああああ!!!」」」
気球に電気が落ちされ、ムサシたちにも電気が伝う。そして散った火花がエンジンに引火し、大きな爆発が起きた。
「「「やな感じ―――――!!!」」」
ロケット団が爆発に巻き込まれ、空を飛ぶ。山を越えて飛んでいくのを見送って、シゲル達は地上に降り立った。
「怪我はないかい?」
「ああ、助かった」
ゆっくりと足を降ろされ、シンジが自分の足で立つ。
プテラの頭をなでて礼を言い、シゲルがボールに戻す。
腕の中のヒンバスを見て、シゲルがシンジを見やった。
「ヒンバスは?」
「ああ。ヒンバス、大丈夫か?」
ヒンバスは返事をせず、ただシンジの胸に顔をうずめている。まさか傷でも追ったのだろうか、と怪我の有無を確認しようとして、ヒンバスが震えていることに気がついた。
「ヒンバス?」
シンジがヒンバスの背中をなでると、ヒンバスがようやく顔を上げた。そしてシンジの顔を見て、ヒンバスはぼろりと涙を流したものだから、シンジはぎょっとした。
「お、おい? どうした?」
「ンバ~! バスゥ~!」
ぼろぼろと泣きながら、ヒンバスがシンジに擦りよる。再度背中をなでようとして、シンジが硬直した。
『怪我がなくてよかった』
『心配した』
『もう無茶はしないでくれ』
心の声が幾重にも重なる。ヒンバスだけでなく、ボールの中のポケモンたちからも伝わってくる。
自分を心配し、安堵する声。
今、彼らが出てこないのは、自分に涙を見せたくないからだろう。自分に似て、プライドが高くなってしまったポケモンたちに、シンジは苦笑した。
「シンジ、」
「サトシ、」
「怪我は?」
「大丈夫だ」
「そっか、」
――よかった。
そう言って笑ったサトシは、心から自分の無事を喜んでいて、シンジの口元がほころぶ。
その一連の様子を見ていたシゲルが、ヒンバスの涙をぬぐいながらため息をついた。
「全く君たちは無茶しすぎなんだよ。少しは見守る側の気持ちも考えてほしいね」
やれやれ、と呆れたように肩をすくめたシゲルに、サトシとシンジが顔を見合わせる。
自分達を想う温かい心が波導を通してじんわりと伝わり、2人は自然と笑顔になった。
「「じゃあ、これからもその調子でよろしく」」
「はぁっ!? 君たちが無茶をやめろよ!?」
憤慨するシゲルがおかしくて笑えば、シゲルは憮然とした表情を浮かべた。
けれどもすぐに眉を下げて困ったように笑う。
その笑いが伝染してか、ピカチュウやヒンバスも笑っていた。
太陽のようなその笑顔を、月が優しく見守っていた。