信頼と絆の物語






 ポケモンレンジャー協会シンオウ第3支部。
 小さな湖のそばの古城を買い取り、レンジャー協会としたのだ。
 つたで覆われ、ところどころ崩れた壁が古めかしさを助長させているが、中は綺麗なままだった。

 ハクタイの森に別れを告げたサトシとシンジは、レンジャー協会が支部として使っている古城に来ていた。
 灰色の石のレンガの壁が2人を出迎える。厳かな木の扉をあけると、そこにはレンジャーの制服をまとったヒナタが立っていた。


「いらっしゃい、2人とも。来てくれてありがとう」
「お邪魔します、ヒナタさん」
「また何かあったんでしょう? 疲れてるのに悪いわね」
「大丈夫ですよ」


 苦笑するヒナタの姿には覇気がない。
 彼女はトップレンジャーだ。その分回ってくる仕事も多く、難易度も高い。
 近年、密猟被害などが増大し、保護協会の人員だけでは、手が回らないのだ。そのため、特別措置として、サトシたちのような、一般のトレーナーにも協力を要請するようになったのだ。
 こっちよ、と言って、ついてくるように促され、サトシたちはヒナタについて歩いた。


「それで、私たちに任せたいポケモンというのは?」
「ヒンバスよ。タケシくんがホウエンに出張したときに、近所の子が運び込んできたんですって。外傷はないのに衰弱しているからおそらく……」
「…………」


 シンジの問いに、ヒナタが顔を曇らせる。サトシたちの顔色も、心なしか暗い。
 何度も見てきた。理由は様々だが、傷ついたポケモンたちのことを。
 けれどもそれは、決して慣れるものではない。
 辛い。苦しい。悲しい。
 けれども、ヒナタらレンジャーは、そんなポケモンたちをなくすために働いているのだ。弱音なんて、吐いていられない。


「ここよ」


 連れてこられたのはサロンだった。広めのサロンの中央には、大きな水槽があった。
 その中には、枯れ木と水草が入れられており、その奥に、ヒンバスと思われる影が見える。
 自分を見るな、とかたくなに隠れる様子が痛々しい。そんなヒンバスに、2人が眉を寄せた。


「ピカチュウ、」


 サトシが足元のピカチュウに声をかける。ピカチュウは承知した、というようにうなずいた。

 ピカチュウが水槽に駆け寄る。
 コンコン、とノックするように水槽をたたくが、ヒンバスは顔を出さない。


――ねぇ、お話しよう?
――…………、
――僕とお話しするのが嫌なら、他の子に代わる?
――…………、
――本当は、あそこにいる2人とお話ししてほしいんだけど……
――……に、
――え?
――人間に、私たちの言葉が通じるわけないでしょ?


「分かるぞ」


――……っ!?


 シンジがピカチュウとヒンバスの会話に割って入る。
 隠れているため姿は見えないが、ひどく驚いているのがわかる。動揺する気配を、シンジは感じた。


「ちゃんと、聞こえてる」


 シンジが繰り返す。聞こえてる。お前の言葉は届いてる。


「私が聞いてやる。……トレーナーに届かなかった、お前の言葉も」
『…………っ』

「私は、お前の声が聞きたい」


 気配で、ヒンバスが息を飲んだのがわかる。ヒンバスが枯れ木の中で落ち着きをなくしている。
 ヒナタは素直に驚いた。
 トレーナーに捨てられたのだろうとは、わかっていた。今までの経験上、外傷もなく衰弱しているポケモンは、そのほとんどがトレーナーに捨てられたことに深く傷ついたポケモンばかりだった。
 自分の経験を生かして、ヒナタも何度かヒンバスの声をかけてみたのだが、何の変化も与えることが出来なかった。
 それなのに、たった一言で、彼女はヒンバスの心を動かした。


(これが波導の、あの子の、力……)


 凄い。その一言に尽きる。それ以外の言葉が見つからない。
 何度見ても、素直にすごいと言える力。たくさんのポケモンたちを救える、素晴らしい力だ。
 けれども、それと同時に不安に思うのだ。
 彼女は、相手の波導、ひいては心そのものを受け止めているのだ。傷ついたポケモンのその心を、ダイレクトに、自分の心で。人間に傷つけられたポケモンの、その悲しみを、憎しみを、傷つけられて泣いている心を、すべて。
 そのすました顔の下で、一体どれだけ傷ついているのか、ヒナタには計り知ることはできない。それを分かっていながら、まだまだ子供の2人に、こんな酷なことを頼む自分は、何と無力で非情なのか。
 ヒナタが唇をかみしめた。


「ヒナタさん」


 柔らかい声が降ってくる。その声に驚いて、ヒナタがそちらを振り返る。そこには、優しい笑みを浮かべたサトシがいた。


「大丈夫ですよ。俺もシンジも、そんなに柔じゃない」


 そう言ったサトシの言葉に、ヒナタはすっと胸が軽くなったのを感じた。
 暖かくて、力強い。太陽のようだ。
 包まれているかのような感覚を感じて、ヒナタは苦笑した。


(波導、使われちゃったな……)


 サトシの波導は、相手に自分の心を伝える力を持っている。
 大丈夫だと、波導の力を持ってして伝えるサトシに、ヒナタが笑顔になる。
 心配するなと、自分は大丈夫だから気に病むなと、本当は辛いだろうに、優しい子だ。
 こんな子供たちが、未来を明るくするのだろう。
 ヒナタの胸には、何故だか根拠のない確信があった。

 ヒナタが笑顔になったのを確認してサトシはシンジの背中を見つめた。ヒナタも、その視線を追い、シンジの姿を目にとめた。
 シンジは水槽に手をつき、ヒンバスを見つめていた。


「ヒンバス、話せるか?」


 シンジが、ヒンバスの声をかける。ヒンバスは枯れ木の隙間からシンジをのぞき見た。
 眼が合い、シンジがわずかに口元を緩めた。
 ヒンバスはすぐに姿を隠してしまったけれど。


『……私は、トレーナーに捨てられたポケモンなの』


 シンジの笑みに安堵したのか、心を動かされ、きまぐれに話してみる気になったのか、ヒンバスは姿こそ隠したままのものの、ゆっくりと話し始めた。





 私のマスターは、とても優しい人だった。けれども無知な人だった。マスターは私がどんなポケモンかも知らないで、私をゲットしたんだから。

 マスターにゲットされて、私はマスターと一緒にいろんな場所に行って、いろんな人間のポケモンに出会った。
 とても楽しい旅だった。
 けれども、マスターが私を連れていると、おかしなものを見るような目で私たちを見てくるのが、とても辛かった。
 醜い、みすぼらしい。そんな風に言われて悲しかった。
 けれどもマスターはそんなことないって言って笑いかけてくれたの。

 嬉しかった。私はお世辞にもきれいと言えるポケモンではないから、本当に嬉しかったの。
 この人のために強くなろう。この人のために美しくなろう。
 そう思って、私は努力した。
 けれど、私は裏切られたの。

 ある日、一人のトレーナーに言われたの。


「どうしてそんなポケモンを連れているのか」


って。
 マスターは大切なポケモンなんだから、連れているのに理由なんかないと言ってくれた。
 そのトレーナーには「そんなみすぼらしいポケモンを連れているなんてどうかしてる」と言われたけど、私は別に悲しくなんかなかったわ。
 醜いとか汚いとか、散々ひどいことを言われたけど、そのたびにマスターが反論してくれたから。

 でも、たった一言。そう、たった一言。そのトレーナーの一つの言葉で、私は裏切られたの。





「誰からも相手にされないみすぼらしいポケモンを連れていると、お前も相手にされなくなるぞ」





 私はきっとマスターは反論してくれると思っていたの。
 けれど、マスターは何も言わなかった。……言ってくれなかった。
 なにも言わないマスターに、そのトレーナーも何も言わずに去って言ったわ。
 そして、そのトレーナーと別れてすぐ、私は捨てられた。
 ずっと一緒に旅をして、マスターのために頑張ってきた私ではなく、どこの誰とも知らない人の目を気にして、私を裏切ったの。

 私はそんなにみすぼらしいの?
 私は一緒にいたら恥ずかしいポケモンなの?
 ねぇ、マスター……。どうして私を捨てたの……?




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