初恋フィルター






 待ち合わせ場所は高専から一番近い駅だった。任務に向かう同期達と同じ方向らしく、補助監督が善意で途中まで送ってくれることになった。


「ここでよろしいでしょうか?」
「ありがとうございます。助かりました」
「いえ、楽しんできてくださいね」
「はい」


 人のいい補助監督の笑顔に微笑みを返し、車内から手を振る傑達に手を振りかえす。
 悟の視線はかなり痛いものであったが、今日は久々に同性だけで楽しめる日だ。いつもなら「面倒くせぇ……」とげんなりしてしまうが、さらりと受け流すことが出来た。


「清庭さん、早めに来てそうだよな……」


 椿は誠実で真面目そうな雰囲気をしている。実際、纏う空気がそのまま反映されているような性格だ。きっと時間にもきっちりしているだろう。足早に待ち合わせ場所に向かうと、そこにはやはり椿が待っていた。
 小走りになった硝子に気付いた椿が顔を上げ、硝子を見て笑みを浮かべる。喜色満面と言った様子で、彼女の周りに花が咲いたようだった。
 眩しい、と硝子が目を細める。本心から硝子と会えたことを喜んでいなければ、そのような顔は出来ないだろう。
 本当に綺麗な少女だ、と硝子の口元にも自然と笑みが浮かぶ。悟が彼女に惚れたのは、きっとこういうところだろう。彼は意外と、人を見る目があるらしい。硝子の中の悟の評価が、ほんの少しだけ上がった。


「おはよう、家入さん。慌てなくても良かったのに」
「おはよ。もしかして待たせた?」
「まだ集合時間前だから、大丈夫だよ。私が楽しみにしてて、早めに着いてしまっただけなんだ」
「そう? なら良いんだけど」


 椿は思ったよりもボーイッシュな服装だった。椿の性別を知らなければ、一瞬どちらか考えてしまうような見た目だ。ロゴの入ったパーカーに、細身のデニム。長身の椿によく似合っている。
 もっと清楚な服装をイメージしていたものだから少し驚いたが、不思議とこちらの方がしっくりときていた。


「家入さんって綺麗で大人っぽい印象があったんだけど、今日の家入さんはかわいいな。よく似合っている」


 椿のイメージが『綺麗な女の子』だったものだから、硝子はそれに合わせたスタイルだ。無地のTシャツにオーバーサイズのジャケット、タイトスカート。アクセサリーは小ぶりで控えめなものを選んだ。色合いは白を基調に、淡い青系でまとめてある。


「そう? ありがとう。あんたもよく似合ってんじゃん」
「ふふ、ありがとう」


 今日の予定はまず気になっていた映画を見て、新しく出来たカフェでお昼を取り、夏服を買いに行くのだ。
 最近あった出来事とか、どんな服を買いたいとか、そんなことを話し合いながら街を歩く。お互いに出会ったばかりの相手で、性格も全く違っている。しかし、不思議と会話は弾んだ。

 映画館に着き、二人でチケットを買う。隣同士の席を取り、二人はエンディングまで見届けた。
 今日見た映画はミステリーだ。なかなかの賑わいを見せるカフェに入り、注文したメニューが来るまで二人で感想を述べる。


「犯人があの人だったなんて気付かなかったなぁ。婚約者の人だと思っていたよ」
「確かに、途中めっちゃ怪しかったもんね。っていうか主人公は何であれで分かったんだろ。普通、あんなものでトリックが成立するとは思わないじゃん?」
「私も見ていて、何故それで分かった?って驚いたよ。いつも推理しながら見てるんだけど、犯人を当てることもトリックを見破ることも出来ないんだ」
「まぁ、あれはフィクションだしね。実際はもっと単純だと思うよ。っていうか、犯人がみんなあんなに頭良かったら、迷宮入りしちゃう事件が大量に出てきちゃうって」
「確かに」


 お腹を満たし、二人は再び街を歩く。気になる店を見つけては入り、気に入った商品を財布と相談しながら購入の有無を検討する。
 硝子が自分の身体に服を当て、椿に訊ねる。黒のタイトなワンピースと、白のオフショルダーのワンピースだ。


「どっちが良いと思う?」
「君ならどちらも似合うけど、私はこちらを着た君が見たいな」
「そう? ならこっちにしようかな」


 椿が示したのは黒のワンピースだった。椿が選んだ方を手に、もう片方は棚に戻す。


「っていうか、あんたってそういう事言うタイプなんだね。人たらしめ」
「そうだろうか? 私はただ、思ったことを言っただけなんだが………」
「天然かよ、タチ悪いな。女子校とかだったら王子って呼ばれるタイプじゃない?」
「呼ばれたことないなぁ。姐さんって呼ばれたことはあったけど」
「あは、そいつ分かってんじゃん」


 軽口を叩きながら、お互いの服を選び合う。その中で、硝子は椿には驚くほど赤が似合うことに気付いた。濡れ羽色の髪にも、白い肌にも、目の覚めるような赤が映える。
 悟から伝え聞く椿のイメージが、すべて夏を思わせるものだったから、きっと夏空のような青が似合うと勝手に思っていたのだ。それももちろん似合っていたけれど、彼女には眩しい赤が一番しっくりくる。きっとこれは、悟も知らない事実だ。彼は彼女に対して、吸い込まれそうな青色をイメージしているだろうから。
 こそばゆい優越感を覚えて、硝子の頬が緩む。彼女が隣にいると、ついつい口元が笑みをかたどってしまう。まだ出会って間もないのに、彼女と過ごす時間が楽しくって仕方がないのだ。
 もしかしたら、自分たちは悟と傑のような関係になれるかもしれない。親友と呼べるような、尊い関係に。
 そこまで考えて、硝子の心にひやりと冷たいものが過ぎった。
 この優しい少女と、硝子の立場は全く違う。日の当たる場所で笑って過ごすことが望まれる椿と、ほの暗い場所で悍ましいものと対峙することを生業とする硝子。二人が友人関係を続けるには、たくさんの隠し事をしなければ成立しない。それは酷く苦しいことのように思えた。
 悟が一度身を引いたのは、もしかしたら英断だったのかもしれない。今日の硝子は、悟を見直してばかりだった。


「ねぇ、家入さんじゃなくて、硝子でいいよ」
「ふふ、ありがとう、硝子。私も椿と呼んで欲しいな」
「うん、私も呼び捨てさせて貰うね、椿」


 けれど、この少女との縁を切ることを惜しんで、硝子は彼女と友人であり続けることを選んだ。きっと、何度も心苦しく思うだろうことを覚悟して。



***



「硝子、今日は楽しかった。ありがとう」
「こっちこそ、楽しかったよ。今度はもっと遠出とかしたいね」
「硝子となら、きっと楽しいだろうな」


 夕日はまだ世界を照らしているけれど、夜が確実に迫ってきている。その証拠に、見上げた空にはうっすらと星が瞬き始めていた。
 そろそろ解散かな、と名残惜しい気持ちで二人は最後の言葉を交わす。けれど内容は次の約束を取り付けるもので、決して暗いものではなかった。


「荷物を増やして申し訳ないんだが、これ、貰ってくれないか?」
「え?」
「やっぱり、どちらも似合っていたから、着てほしくて」
「…………マジ?」


 ―――――ここまで極めているのか、このタラシ女。
 ショッパーの中身を見て、硝子は言葉を失う。先程硝子が二択の選択肢を出し、棚に戻した方の服が入っていたのだ。


「次は、今日買った服を着て遊びに行こう」


 そう言って笑う椿に、硝子はむずがゆい感覚を覚えた。嬉しいけれど、気恥ずかしい。あまり胸に灯ったことのない感覚に、硝子は口をもごつかせた。


「………いいよ。椿も買ったやつ着てくれるなら」
「今日の服はそのために買ったものだよ」
「…………あんた、自分がかなり恥ずかしい事してるって気付いてる?」


 きょとん、と幼い表情で不思議そうに目を瞬かせる椿は、本当に分かっていないようだった。タチが悪いな、と硝子が肩を竦める。けれど、それがこの少女なのだろう、と苦笑して受け入れた。おそらく彼女は、自分の心に嘘がつけないのだ。そして、それを隠しておくことが出来るほど器用じゃない。だからこそ、彼女の言葉は胸を打つのだろう。


(私が男だったら、椿に惚れていたかもね)


 別れの挨拶を交わし、それぞれの帰路に着こうとしたとき、硝子は息を呑んだ。椿の進む道に、大きな呪霊の影がよぎったのだ。呪霊は椿に目を付けたのか、ぎょろりとした大きな目を椿に向けていた。
 このままでは不味い。硝子は後方支援タイプだ。戦闘行為は得意ではない。
 けれど、守らなければ。非術師を。友人を。


「ねぇ!」
「ん?」


 滅多に出さない大声を上げて、椿を呼び止める。椿が不思議そうな顔で振り返った。


「まだ時間あるなら、もうちょっと付き合ってよ。あっさり別れるのも勿体ないし、お礼もしたいしさ」
「ふふ、もちろんだとも。せっかくだから、夕食も済ませてしまおうか」
「いいね。近くにいい店あるよ」


 誘いに乗ってくれてほっとする。努めて冷静に笑みを浮かべて、その場を離れるように促す。
 呪霊は多少の知能があったのか、硝子が呪霊の存在に気付いたことが分かって、すぐに椿を襲うようなことはしなかった。
 けれど、ずっと後を付けてくる。虎視眈々と狙っている。
 このままでは拙いことになりそうで、椿に断って悟と傑にメールを送る。二人は今朝任務に出掛けたが、あの二人の実力ならそろそろ高専に帰ってきていてもおかしくはない。すぐに気付いてこちらに向かってくれることを願って、硝子は携帯を仕舞った。
 二人で談笑しながら、夜道を歩く。背後の呪霊は、未だに後を付けてきていた。
 する、と腕に椿の手が掛かる。それに驚いていると、椿がわずかに距離を詰め、声を潜めて囁いた。


「硝子、もしかして、誰かに後をつけられてるのか?」
「えっ?」
「顔色が悪いし、歩くスピードが格段に上がっている。それに、先程から後ろを気にしているだろう」
「……………そう、みたい。ごめん、巻き込んで」


 そんなにあからさまだっただろうか。それとも椿が鋭いのだろうか。
 硝子が声を詰まらせると、椿は安心させるような笑みを見せた。


「構わない。近くに交番は無いし、君が安心出来る場所に行こう」
「…………なら、学校まで、着いて来てくれる? うちの学校、セキュリティ高いし」
「君の素性がバレてしまうんじゃないか?」
「そうかも。でも、一番安心出来る場所がそこなんだよね」
「………了解。気付いていないふりをしつつ、そのまま学校に向かおう」


 もう少し速度を上げよう、とわずかに歩くスピードが上がる。腕に掛かっていた手が、背中に回る。硝子を支えるような手は女性にしては大きくて、何となく安心感があった。
 どこまでも相手を思いやる姿勢に、硝子はぐっと唇を噛みしめる。嘘とは言え、後を付けられているなんて恐ろしいだろうに。


(ああもう、早く来いよ、馬鹿共)


 先程硝子が送ったメールは、無事悟達は確認したようだった。先程から携帯が何度か震えている。安否確認のために何度もメールや電話を掛けているようだった。
 ふっと、頭上が暗くなる。呪霊が、すぐそばまで迫ってきたのだ。
 呪霊が腕を振り下ろすのが見えた。咄嗟に椿を庇おうと動く。けれど、異変に気付いた椿が硝子の身体を包むように抱え、硝子が受けるはずだった攻撃を受け止めた。


「がっ!!」


 巨体の呪霊の攻撃は重く、易々と二人の身体を吹き飛ばした。コンクリートの壁に背中を打ち付けた衝撃で、椿の息を詰まる。
 頭を打ったのか、身体を思うように動かない。気を抜けば力が抜けて、意識が飛んで行きそうになる。


「椿!」


 硝子の悲鳴が耳朶を打つ。止まりかけた呼吸を何とか吐き出す。
 後頭部にぬるりとした感触が伝う。髪が濡れていくような感覚が、酷く不快だった。
 硝子にバレていないといいが、と呼吸を整えて、硝子を見やる。幸いにも、彼女に大きな傷は無さそうだった。そのことにほっとして笑みを浮かべると、硝子の顔がくしゃりと歪む。


「大丈夫だ、硝子。君は私が護るから」


 そっと頬に手を添える。あたたかくて柔らかい感触が、何も失われていないことを如実に表していた。

 ―――――何故、この少女は笑っているのだろう。
 椿は頭から血を流しながらも、硝子を安心させるような柔らかい笑みを浮かべているのだ。焦点の合わない目で、痙攣する腕で、必死に硝子の身体を掻き抱く。自分よりも、硝子を優先し、守ろうとしている。


(―――――どうして)


 硝子と椿が出会ったのはほんの数日前のことで。今日一日で距離が縮まったとは言え、古い友人には敵わない。悟と傑のような、親友と言い合えるような間柄ではないのだ。
 なのに、どうして。どうしてここまで、必死になって守ろうとするのだろう。

 再び、呪霊がこちらに向かって腕を振り下ろすのが見えた。
 嫌だ、と思った。助けてくれ、と叫びたくなった。死んで欲しくない。このどうしようもない少女を失いたくない。
 呪術師として、人よりも多くの死に直面してきた立場であるはずなのに。たくさんの不条理を飲み込んで、理不尽を受け入れて、その上で生きているのに。なのにどうしてか、殺さないでと、心の底から願ってしまったのだ。


「――――――――――!!!」


 声にならない叫びを上げた、その瞬間。
 ―――――バチュン!
 再度、硝子達に襲いかかろうとした呪霊の一部が弾け飛んだ。


「硝子! 清庭さん!」
「二人とも無事か!?」


 ―――――やっと来たか。遅いぞ、クズ共。
 その声を聞いたとき、硝子は柄にもなく神はいたのだと心の底から思った。
 悟と傑だ。硝子のSOSを聞きつけて、二人が駆けつけてくれたのだ。
 硝子は二人のことをどうしようもないクズ共だと思っている。けれど、誰よりも二人の背中を見てきた彼女は、彼らの頼もしさを誰よりも知っているのだ。
 椿の傷を癒やしながら二人を振り向くと、二人は酷く驚いたような顔をしていた。それは間抜けな表情だったけれど、そんな顔の彼らに、硝子は心底安堵した。


「あいつが、あの呪霊が、椿を傷付けたの」


 目頭が熱い。呼吸が荒れて、声が詰まる。椿から流れた血を見ると、怒りで頭がどうにかなりそうだった。
 まだ、ほんの少しの交わりではあるけれど、硝子にとって椿は友人となっていた。だから、そんな彼女を傷付けた呪霊を許せない。徹底的に、容赦なく、完膚なきまでに滅ぼさなければ気が済まない。


「やって」


 硝子を守るように彼女を抱きかかえる椿は、意識が朦朧としていて、二人が来たことに気付いていない。譫言のように「大丈夫」と「守る」を繰り返している。
 二人の目にも椿から流れる血が映ったのか、二人の目が温度を無くす。凄まじいまでの怒気が、呪霊に向けられる。


「「ころす」」


 冷え切った声で、物騒な言葉を放つと同時に、呪霊が弾け飛んだ。




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