初恋フィルター 番外編
文化祭。それは生徒が主体となって執り行う学校行事である。数ある学校行事の中でも有数の大型イベントで、学生にとっては重要度の高いものだ。
学生達の教室は喫茶店やお化け屋敷、展示会場に。体育館はライブ会場に様変わりしている。
椿のクラスは喫茶店を催すことになっている。メニューはカレー、焼きそば、じゃがバター、クレープ、ホットケーキの五種類である。
コスパや効率を考えた結果、ある程度作り置きのできるカレーや調理に時間のかからない焼きそばという案が出たのだ。ホットプレートでできるため、一度に複数人分を用意出来るというメリットもある。クレープやホットケーキも同様だ。
プラスチックの容器に入れて、テイクアウトも可能な商品であるため、客の回転率も上がるだろうと考えた上でのメニューである。
椿は午前中の調理担当に割り振られており、調理スペースとして区切られた仕切りの裏でひたすらに注文された料理を作っていた。
匂いに釣られるのか、食べ盛りの学生達がひっきりなしに訪れる。喫茶店は大盛況だった。
「あ、○○くん!」
接客をしていた少女の一人が、嬉しそうな声を上げる。新規の客か、と仕切り板の隙間からこっそり覗くと、少女が少し年上と思われる青年に駆け寄っていた。
「かっこいい〜。大学生かな?」
「×××の彼氏じゃない? イケメン大学生と付き合ってるのーって自慢してたし」
「あー、文化祭なんて、自慢し放題だもんね。そりゃ来てもらうよねぇ」
「マウント取るの大好きだもんね〜」
椿の学校は、文化祭での他校生の出入りも歓迎されている。そのため他校に恋人のいる生徒はこぞって彼氏彼女を呼び寄せるのだ。彼女もその一人であり、椿もその一人であった。
(悟くん、今日は昼前には来られるって連絡してきたけど、来られるだろうか……)
悟は多忙である。突発的なスケジュールの変更も多いらしく、なかなか会えない日も多い。今日は用事はあるものの、昼前には来れると連絡があったので、会えるのを楽しみにしていた。
「あ、清庭〜。○○くんが焼きそば食べたいってー。早く作って」
「うん、すぐに作るよ」
先程彼氏を席に案内した少女が、彼氏の注文を持って調理班の元にやってくる。彼女は嬉しそうに頬を緩め、彼氏と会えたことを喜んでいるようだった。
「×××〜、あの人が前に言ってた彼氏さん? 背高くてかっこいいじゃん!」
「でしょ? 180あるんだって。私のことちっちゃくてかわいいって言ってくれるの!」
「えー、いいなぁ」
チラチラと、少女の視線が椿に向けられる。椿はその視線と意図に気付きつつも、気付かないふりをして焼きそばを炒める。
椿から何の反応も得られなかった少女は、つまらなさそうな顔でさっさと彼氏のところに戻ってしまった。
「何あれ、嫌な感じ」
「いつものマウントでしょ。大学生の彼氏持ちアピール、本当うっざいよね」
「それをわざわざ私らにアピールしてくるのもうざすぎ」
露骨に顔を顰める少女達に、椿が苦笑する。どこの世界にも、どんなコミュニティにも、人より優位に立ちたいと考える人間はいるのだ。珍しいものを持っていることでそれを示したり、優れた人の隣に並んでいることでその価値を表したり。そう言ったものを散々見てきた椿は、自分にそのようにアピールしてくる者を、笑って受け流す事にしている。今世では、それが一番簡単に身を守れる方法であるからだ。
「×××さん、焼きそば出来たよ」
「はぁ〜い!」
出来上がった焼きそばを受け取り、少女は満面の笑みで恋人の元に向かう。少女に給仕される青年は幸せそうに笑っていた。
(自分達が幸せなら、それで良いだろうに)
それなのに、何故わざわざ、他者に対して対抗心を燃やすのだろうか。競争心があるのは悪いことではないが、人間同士を比べる意味は、果たして存在するのだろうか。
哲学的なことを考えながら、椿はホットプレートの汚れを落としていく。
そろそろ午前の部が終わる。午後の部の担当の者が帰ってきて、交代してくれる筈である。
悟もそろそろ来るだろうか、と何気なく廊下を見やる。すると、廊下の方が騒がしいことに気付いた。
何だろう、と窓から顔を出すと、丁度悟がこちらに向かって歩いてきている場面に出くわした。
悟と目が合って、椿がふわりと笑う。すると悟の方も同じように微笑み、その笑みを目撃した少女達の口から悲鳴が漏れた。
(騒がしかったのは彼が来たからか………)
綺麗な子だもんなぁ、と椿が苦笑する。そんな綺麗な青年が自分を恋人に選んだのだから、世の中は不思議なことで溢れている。
「いらっしゃい、悟くん」
「本当はもうちょっと早く来たかったんだけど、用事があって遅くなっちゃった」
ごめん、と眉を下げる悟に首を振る。
「私はもうすぐ午後の部の子達と交代出来るから、もう少し待っていてくれないか?」
「うん、待ってる。ね、何か注文してもいい? 椿さんが作ってるんでしょ?」
「ああ。メニューはこの5つだよ」
飾り付けられた教室の中に案内し、席へと促す。
生徒達が作ったメニュー表を見せて、その中から選んでもらう。
「お昼は椿さんと食べたいから、クレープにしようかな」
「ご注文ありがとうございます。すぐにお持ちしますね」
悪戯っぽく笑って、椿が仕切り板の裏に戻る。そこには、呆気に取られた少女達が待ち受けていた。
「え、えっ、清庭さん、知り合いなの?」
「ああ、そうなんだ」
「え〜、あんなイケメンとどこで知り合ったの〜!?」
椿と同じく調理を担当している少女達が、頬を赤らめながら悟を見つめる。悟は仕切り板の隙間から見える椿だけを見ており、それ以外は目に入っていないようだった。
「こっち見てる!」と浮き足立つ少女を尻目に、色恋に聡い少女はチャンスは無さそうだと早々に見切りを付ける。ほんの一瞬だけ椿を羨ましげに見つめるものの、イケメンは鑑賞するものだとさっさと割り切った。
「え〜、かっこいい〜! どこの学校なんですか?」
「名前教えてほし〜!」
悟が椿しか見ていないのを分かっていないらしい接客担当の少女達が、他の客をそっちのけで悟の席に集まった。
周囲の席の青年達からは鬱陶しそうな視線と嫉妬の視線が向けられるも、当の悟はどこ吹く風。少女達も、彼等の視線を意にも介さない。
「いきなり何。騒がないで欲しいんだけど」
「え〜、そんなこと言わないでよ〜」
「てか、清庭の知り合い? このあとあいつと回るの?」
「……………何、椿さんと回っちゃ悪いわけ?」
不穏な声が椿の耳に入り、チラリと悟の方を窺う。悟は不機嫌そうな顔で少女達を煙たがっている。今にも喧嘩になってしまいそうだった。
そんな悟の表情に気付いていないのか、少女達は上目で悟を見つめていた。
手早くクレープを作って、さっさと移動してしまおう。
午後の部を担当する者達も集まってきており、引き継ぎが行われている。椿は丁度キリが良いので、クレープの給仕が終わったら、そのまま自由時間に向かっていいと言われている。
手早く、丁寧にクリームを搾り、フルーツを乗せる。巻いて、紙で包み、クレープが完成した。
「え〜? 清庭なんかほっといて、うちらと回らない?」
「うちらの方が絶対かわいいし、うちらの方が一緒に居て楽しいよ?」
仕切り板を出た瞬間、嫌な言葉が耳に入る。
まぁ、かわいくはないよな、と椿は納得しつつも、どこか納得し切れない。
180近い長身の女を相手に正面切ってかわいいと言える猛者がどのくらいいるのかと言う話だ。小さいものは、それだけでかわいい。
椿はきっと、世間一般から見てかわいいと言われるタイプの女性ではない。その事は重々承知している。しかし、そのことを論って貶されるのは気分の良いものではない。そんな話をされている中に突っ込むのも勇気がいるのである。出来上がったクレープを片手に、椿は途方に暮れていた。
「はぁ?」
地を這うような、低い声が響いた。背筋がゾッとするような、恐ろしい声だった。
「お前らが、椿さんよりかわいい?」
―――――何言ってんだ、こいつ。
心底分からないと、歪められた端正な顔は物語っていた。
「椿さんより綺麗な子が、この世にいる訳ないだろ」
教室がしん、と静まり返る。
すぐそばでその言葉を聞かされた椿は、まるで他人事のように「凄いことを言われてしまったな」と呆気に取られていた。
「あの、悟くん……」
「えっ、おわっ………!?」
クレープを持ってきた椿がすぐそばで、その発言を聞いていた。そのことに気付いた悟は、白い肌をこれ以上ないと言うくらいに真っ赤に染め上げた。
「えっと………」
「いや、そのっ! いや、綺麗なのは! 事実だけど!! あの、ま、待って、聞いてるなんて思ってなくて……!」
「いや、大丈夫だ。褒めてくれてありがとう。悟くんもかっこいいよ」
「凄いサラッと褒めてくるじゃん……!!!!!」
机に突っ伏して、悟が悶え苦しむ。聞かせるつもりのなかった本音を聞かれ、羞恥心と戦っているようだった。
そんな悟には申し訳ないけれど、椿は頬が緩んで仕方なかった。
「とりあえず、クレープ出来たよ。私ももう自由時間に入っていいと言われたから、食べながら行こう」
「あ、ありがとう……。とっても、美味しそうです……」
「なら良かった」
悟の手を取って、椿が歩き出す。悟が赤面し、慌て出すのも気にも留めずに。
久しぶりに顔を見て、変わらない想いを感じて、たまらない気持ちになったのだ。
ああ、浮かれている。おかしくなって笑い出すと、椿と繋がれた手に力が篭る。その強さと温度が愛しくて、愛しくて、幸せだった。
「ふふ、すまない。ちょっと浮かれているんだ。嫌でなければ、このままでいて欲しい」
「ぜ、全然いいよ! お、俺も浮かれてて、あの、」
「なんだ、君も浮かれていたのか。同じ気持ちになれるっていいな」
「………うん、俺も嬉しい」
微笑み合って、教室を出る。どこまでも仲睦まじい恋人同士の姿に、教室に取り残された少年少女達は、その背中を見送ることしか出来なかった。