初恋フィルター 番外編
それは普段、任務で全国各地を飛び回っている担任―――――五条悟が珍しく学校で教師らしく過ごしている日の事だった。
本来の入学時期からは少し遅れて呪術高専に入学してきた虎杖悠仁が、五条の指にはまる銀色に目を見開いた。
「えっ!? 五条先生って結婚してるの!?」
左手の薬指。控えめだが、確かな存在感を持って輝く銀色。学生の身分である虎杖は、その手のものに縁はないけれど、それが何を示しているかくらいは知っている。
驚愕の声を上げた虎杖に、五条が笑いかけた。
「そうだよ。そんな意外?」
「うん、めっちゃ意外」
「ははっ、言うねぇ。ま、僕もそう思うよ」
五条が光にかざすように、左手をあげる。アイマスクを外し、指輪を見つめる眼差しは今までに見たことのないものだった。
「でも、どうしても一緒にいたい人がいてさ。その子と一緒に居るために、色々頑張ったんだ」
愛しいという感情を詰め込んだような、柔らかい表情だった。普段のふざけた様子は鳴りを潜め、愛情だけが乗った顔だった。
どんな強者にも物怖じせず、いつだって不敵に笑う男は、どこまでも俗っぽい生き物であるくせに、どこか人間味が薄かった。だから虎杖は、この男はこんな顔も出来たのかと、心の底から驚いた。
「ちなみに娘も居ます。3歳の女の子」
「マジで!!?!?」
先程の三倍、驚きに満ちた声が上がった。
***
―――――ガラリ。
勢いよく教室のドアを開けた虎杖は、開口一番叫んだ。
「伏黒! 五条先生が結婚してるってマジ!?」
鬱陶しそうに顔を顰めていた同級生―――――釘崎野薔薇の顔が一変する。虎杖の言葉を反芻して、驚愕の顔で椅子を蹴倒した。
「はぁ!? あいつ、結婚してんの!?」
嘘でしょ!? と叫ぶ声は先程の虎杖より大きい。
もう一人の同級生である伏黒恵は、顔を顰めながら耳を塞いでいた。ガードを貫通して耳にダメージを与える絶叫に、伏黒の額に青筋が立つ。
「3歳の娘も居るって言ってたけど、マジなの!?」
「娘までぇ!? ちょっと! あんた何か知ってる!? 知ってるなら全部吐きなさい!!」
「分かったから声量落とせ!」
伏黒の怒声を聞いて、二人はようやく落ち着きを取り戻す。詳しい話を聞くために自分の椅子を引っ張って、彼の席に集まった。
「マジだぞ。何であの人と結婚したんだって問い詰めたくなるくらいにいい人だ」
「マジなんだ………」
「あんな奴でも結婚って出来るもんなのね……」
「ちなみに、信じられないくらいの愛妻家だ」
「「マジ!!?!?」」
五条に、一人の女性に対して誠実になるイメージがない。そもそも、自分以外の人間をどのように見ているのかすら分からない相手だ。結婚している。子供がいる。愛妻家である。そのように説明されても、彼が普通の男性として過ごしているところなど、全く想像出来なかった。
しかし虎杖は、彼の妻に対する想いの一端に触れている。先程の顔を思い出し、愛妻家というのは本当かもしれない、と納得した。
「マジだ。家入さんからのリークによると、五条先生の一目惚れらしい。それがずっと継続されてる感じだな」
「へ、へぇ……」
新たに投下された情報に、納得しかけた気持ちが霧散する。
彼は自分の周囲に存在する強く美しい女性達を歯牙にもかけない。普通ならばもう少し丁寧に扱うだろうと思わせるような対応だ。
それも自分の妻にヤキモチを妬かせないための対応なのだろうか。そう考えて、「ないな」とすぐさま自分の思考を否定する。あれは素の言動だ。
後者であれば、何故五条と結婚しようと思ったのか不思議でならない。それでも良いと思わせる何かがあるのか。やはり顔なのだろうか。
もし仮に前者だとしても、最強を自負する不遜な彼にそこまでさせる女性というものが想像出来ない。彼の心を射止めたのは、一体どのような女性なのだろう。
「そんな美人なの?」
「そうだな。美人と言えば美人だと思う。でも、派手な感じじゃなくて、ふとした時に綺麗だなって思う感じの人だな」
あくまで俺の所感だ、と言いつつ、伏黒は本当に綺麗な人だと思っているのだろう。いつになく柔らかい目をしていた。
その顔を見て、虎杖達は五条の妻となった女性は心優しい人なのだろうと感じた。彼は見てくれだけの美しさを、こんな風に褒めたりしない。
「伏黒はその人について詳しいの? どんな人?」
「私も気になる。あいつと結婚するなんて、どんな奇特な人なの?」
「俺より、家入さんの方が詳しいと思うぞ。学生の頃からの友人っつってたし」
「そうなん? じゃあ高専に通ってたの?」
「いや、完全な非術師だ。呪いも見えない」
ここで更に追加された新情報。虎杖と釘崎は顔を見合わせる。てっきり高専関係者で、任務だとかの関わりの中で出会ったのだと思っていたのだ。これで、二人の出会いすら、想像出来なくなってしまった。
「マジでか……。そう言えば、娘ちゃんは?」
「娘の方は見える。術式も持ってるぞ」
「ま、マジか………」
それは良いことなのだろうか。五条の立場上から考えるなら、娘にも術師としての才能があるに越したことはないだろう。
しかし、親としての目線で見て、娘がこの地獄を歩むことを、彼はどのように考えているのだろう。
しかも、母親は呪いも見えない非術師。呪いに対する理解だとか、そう言ったものはあるのだろうか。
人間性に難のある多忙な特級術師の父親。優しい人のようではあるけれど、呪いの見えない非術師の母親。とても、娘をきちんと育成出来る環境であるとは思えない。
虎杖と釘崎は、改めてお互いに顔を見合わせた。双方共に不安げに曇っていて、余計に不安が煽られる。
「五条先生が居るなら、あの人も来てるはずだ。事務室で仕事してると思うから、会いに行ってみるか?」
「「えっ?」」
伏黒がポケットからスマホを取り出し、スマホを操作する。すぐにポコン、と返事が帰ってきて、彼の目元が緩む。
「二人とも来てるってよ。放課後でいいなら会えるって言ってるけど」
「「会いたい!」」
「ん、返事しとく」
返信を返す伏黒を見つめながら、虎杖達は怖いような、楽しみなような気がしていた。