初恋フィルター 番外編






 あっけらかんと答えを告げた。そんな硝子に椿は項垂れる。
 そんな椿を、硝子は宝石を見るような目で見つめていた。

 硝子は椿を"綺麗な女の子"だと思っている。
 何事にも誠実で在ろうとして、どんな事にも自分の精一杯を示そうとして、大切なものに対してはいくらでも情を傾ける。
 遠慮など要らないというのは硝子の本心だ。だってそれが椿の導き出した答えなのだから。彼女の心をありのままに伝えればいい。


「それかさ、いっそ付き合ってみるのもありかもよ? 付き合ってから好きになることもあるでしょ」
「でもそれは、あまりにも不誠実じゃないか? 私には友愛しかないのに、それでは彼に気を持たせてしまう。恋慕を抱ける確証もないのに」
「まぁ、そうだけど。てか、椿は真面目過ぎんだよね。なんて言うの? 誰かの想いとか心に対して誠実っていうか、大切にし過ぎてる気がする」

「だって、大切にしたいんだ。蔑ろになんてしたくない。それが、美しい感情であるならば、なおさら。それが、大切な人のものであるならば、何よりも」

「…………椿ってさ、友達少ないでしょ」
「えっ」
「重いって離れられたり、逆に慕われ過ぎて友達から逸脱したり。だから、友達ってものを特別視してる」
「……………よく、分かったな」
「やっぱり? ちなみにどっちが多い?」
「……………後者が、多いかな」


 硝子の言う通り、椿は友人が少なかった。椿の独特な感性を受け入れられないと離れていく者。傾けられる情に傾倒し、崇拝に近い感情を抱く者。そうやって、友人とは違うものになってしまって、気の置けない存在というものが少ないのだ。
 だから、椿にとって友人というものは、特別な存在だった。喪失を恐れるものだった。


「私は結構淡白って言われるし、実際その通りだと思う。雑過ぎって言われることもあるけど、その雑さが良いって言ってくれる子も居たよ」
「…………硝子にそんなこと思ったことないなぁ」
「あんたが私を大事にしてくれるから、私も大事にしたくなったんだよ。だから、他の子より丁寧に接してただけ。本当はもっと適当だよ」
「そう、なのか………」


「そう言えば、椿って誰かを好きになったことある? 恋愛的な意味で」
「無いな」
「即答。今日一迷いがなかったぞ、おい」


「愛なら、分かるんだけどなぁ………」


 この命が糧となるのなら、全てくれてやろうと思えるほどの、鮮烈な愛ならば。


「ならいっそ、恋をすっ飛ばしちゃうのもアリかもね」


 それは天啓だった。


(恋が分からないのなら、愛せばいいのか)


 恋をすることは出来なくても、愛することは出来るだろう。かつての自分は、愛に生きた。その愛を、最期のときまで貫き通す事が出来たのだ。
 その愛は今なお健在で、胸の奥の、一番深いところに刻み込まれている。
 彼を同じところに置くことは出来ないけれど。それでも、彼を愛することは出来るだろう。


(彼のことだから、いつの間にか彼等の隣に居座っているかもしれないな)


 彼を、彼等と同じところには置けない。けれど、その隣は空いているから、彼をそこに置くことは出来るだろう。
 それがいつになるかは分からないけれど。そうなったら、それはとても幸せな事だと思うのだ。
 いつか来るそのときを夢見て、椿は笑った。悟の大好きな、花のような微笑みで。





 椿はずっと、悩みを抱えていた。それは椿にとって、とても大きな悩みだった。
 人によっては小さい事だと微笑むかもしれない。贅沢な事だと羨まれるかもしれない。勘違いだと笑い飛ばす人だって居るだろう。
 けれど、それは椿にとっては笑い事ではなくて。羨まれても困る事で。勘違いで済ませて欲しくない事だった。

 椿は酷く悩んでいた。対応を間違えれば友人を失うかもしれないと怯えながら。



***



 椿の悩みの種は、五条悟という他校の同級生にあった。

 五条悟というのは椿が中学二年生のときに偶然出会った青年で、体調不良を起こしていた彼を介抱した事をきっかけに知り合ったのだ。
 けれど、その後に彼と親しくなったということはない。何の関わりも生まれず、名前すら知らないままに時が過ぎ、そのときの記憶すら風化していた頃、彼と再会したのだ。
 再会したのは東京での事である。親の都合で引っ越して、その土地で過ごしていたら、彼の方から声を掛けてきたのだ。
 そこから交流が始まって、彼とその同級生達と親しくしているのである。
 けれど、交流を重ねていくうちに、違和感を感じるようになったのである。

 どうやらこの青年は、椿に懸想しているようだった。

 何故、彼に懸想されていると思い至ったのか。それは酷く単純な事だった。彼が、椿への好意を隠せていないのである。

 一挙手一投足を追い掛ける空色の瞳。視線が合えば、りんごもかくやという顔色で不自然に逸らされる顔。手が触れ合おうものなら、石のように硬直する身体。
 他の人間と楽しげにしていれば、憎々しげに相手を睨み付けて。笑顔を向ければ、これ以上ないことだと言わんばかりに咲み崩れて。
 そんな態度を取られれば、自ずと答えは見えてくる。椿は、そこまで鈍い人間ではないのだ。特に、自分へ向けられる好意と、大切なものに向けられる悪意に対しては。


(でも、何故彼は私を好きになったのだろう………)


 喜ばしい事ではあるのだ。椿のような人間が人に好かれるのは、酷く難しい。好かれることより、遠巻きにされることの方がずっとずっと多いのだ。
 だから、好意を寄せられるのは嬉しい。それがどれほど幸せなことであるかを知っている。
 けれど、椿は恋を知らない。恋を知る前に愛を知ってしまったのだ。魂を差し出すのも厭わない程の、苛烈な愛を。
 だから、椿はきっと、悟の恋に応えられない。彼と同じ気持ちを持つ事が難しいから。
 そんな自分を、どうして彼は選んでしまったのだろう。


(というかそもそも、私と彼に、想いを芽生えさせるほどの関わりが無いと思うんだが………)


 彼との交流は、そこまで多くない。お互いに多忙であるから、数ヶ月会わないこともザラにある。
 もちろん、少ない関わりの中で生まれる感情というものはあるだろう。しかし、果たして恋に至るほどの強い感情が生まれるものなのだろうか。


(実はもっと前から出会っていた、ということはないよな………。あの美貌だ、忘れるわけもない)


 悟は優れた容姿をしている。淡い色彩は人間離れした美しさをしていて、その美貌は人ならざる者を想起させるほどだった。椿の大切なもの達を連想してしまうような、神様のような姿をしているのだ。

 対して、椿の容姿は一般の域を出ない。整っている方ではあるけれど、集団の中に埋もれてしまう程度だ。誰もが振り返るような美人でもなければ、奇跡と称させるような可憐さは無い。椿より美しい人なんてそこら中に溢れかえっていて、何なら悟の友人達の方がずっと目を惹く容姿をしている。
 必ずしも容姿で人を好きになる訳では無いだろうけれど、周囲の美しい人達を押し退けて、自分を選んだ理由は一体何なのか。


(どうしたら、いいんだろう……)


 椿にとって、悟は友人だ。好かれるのは嬉しいけれど、彼を恋人として慕えるかと言われると、分からないと言うしかない。
 もし彼に告白というものをされたとしても、椿はきっと、それに応える事が出来ない。同じ想いを持っていないのに恋人になるという発想が、彼女にはないのだ。


(気付かないふりをするのは、狡いだろうか………)


 彼の好意に気付かないふりをして、ずっと見落としているふりをして、このまま友人として居続けるのは難しいだろうか。
 脈無しと判断されるまで、そのように振る舞い続けたら、彼は友人のままで居てくれるだろうか。
 仮に彼が想いを伝えてきたとして、それを断っても、彼は友人としてそばにいてくれるだろうか。


(嫌だなぁ………)


 椿にとって、悟は大切な友人だ。失いたくないものの一つに数えられている。だから、彼が離れていってしまうのは、堪らないことなのだ。
 どうしたものかと逡巡して、椿はとある人物に連絡を取った。



***



「そんな事で悩んでるんだ? まぁ確かにあいつ、告白しようって頑張ってはいるっぽいけど」
「マジか………」
「もし仮に告白されたって、別に断っても良いんじゃない? あいつに遠慮なんか要らないよ」
「そんな簡単に言わないでくれ……」


 とある人物こと、家入硝子はあっけらかんと答えを告げた。そんな硝子に椿は項垂れる。
 そんな椿を、硝子は宝石を見るような目で見つめていた。

 硝子は椿を"綺麗な女の子"だと思っている。
 何事にも誠実で在ろうとして、どんな事にも自分の精一杯を示そうとして、大切なものに対してはいくらでも情を傾ける。
 遠慮など要らないというのは硝子の本心だ。だってそれが椿の導き出した答えなのだから。彼女の心をありのままに伝えればいい。


「それかさ、いっそ付き合ってみるのもありかもよ? 付き合ってから好きになることもあるでしょ」
「でもそれは、あまりにも不誠実じゃないか? 私には友愛しかないのに、それでは彼に気を持たせてしまう。恋慕を抱ける確証もないのに」
「まぁ、そうだけど。てか、椿は真面目過ぎんだよね。なんて言うの? 誰かの想いとか心に対して誠実っていうか、大切にし過ぎてる気がする」

「だって、大切にしたいんだ。蔑ろになんてしたくない。それが、美しい感情であるならば、なおさら。それが、大切な人のものであるならば、何よりも」

「…………椿ってさ、友達少ないでしょ」
「えっ」
「重いって離れられたり、逆に慕われ過ぎて友達から逸脱したり。だから、友達ってものを特別視してる」
「……………よく、分かったな」
「やっぱり? ちなみにどっちが多い?」
「……………後者が、多いかな」


 硝子の言う通り、椿は友人が少なかった。椿の独特な感性を受け入れられないと離れていく者。傾けられる情に傾倒し、崇拝に近い感情を抱く者。そうやって、友人とは違うものになってしまって、気の置けない存在というものが少ないのだ。
 だから、椿にとって友人というものは、特別な存在だった。喪失を恐れるものだった。


「私は結構淡白って言われるし、実際その通りだと思う。雑過ぎって言われることもあるけど、その雑さが良いって言ってくれる子も居たよ」
「…………硝子にそんなこと思ったことないなぁ」
「あんたが私を大事にしてくれるから、私も大事にしたくなったんだよ。だから、他の子より丁寧に接してただけ。本当はもっと適当だよ」
「そう、なのか………」


「そう言えば、椿って誰かを好きになったことある? 恋愛的な意味で」
「無いな」
「即答。今日一迷いがなかったぞ、おい」


「愛なら、分かるんだけどなぁ………」


 この命が糧となるのなら、全てくれてやろうと思えるほどの、鮮烈な愛ならば。


「ならいっそ、恋をすっ飛ばしちゃうのもアリかもね」


 それは天啓だった。


(恋が分からないのなら、愛せばいいのか)


 恋をすることは出来なくても、愛することは出来るだろう。かつての自分は、愛に生きた。その愛を、最期のときまで貫き通す事が出来たのだ。
 その愛は今なお健在で、胸の奥の、一番深いところに刻み込まれている。
 彼を同じところに置くことは出来ないけれど。それでも、彼を愛することは出来るだろう。


(彼のことだから、いつの間にか彼等の隣に居座っているかもしれないな)


 彼を、彼等と同じところには置けない。けれど、その隣は空いているから、彼をそこに置くことは出来るだろう。
 それがいつになるかは分からないけれど。そうなったら、それはとても幸せな事だと思うのだ。
 いつか来るそのときを夢見て、椿は笑った。悟の大好きな、花のような微笑みで。



(こんなにも想われているのに、応えないなんて女が廃るものな)



ファミレスで話をしている
「五条の印象ってどうだった?」
「"苦しそう"だったな。熱中症になりかけていたみたいだし」
「そうじゃなくて、第一印象のこと。私、こいつに対してそんなにいいイメージないんだよね。悪い奴じゃないのは分かってるんだけど」
「………それなら、"溶けてしまいそう"かな。肌も髪も白いから、日差しを浴びていたら消えてしまいそうに見えたよ」
「ぶっは! こいつ、そんなに儚くないよ?」
「それはそうだろうが、体調が悪そうなのも相まって、そう見えたんだよな」

「あと、ラムネのビー玉みたいで、綺麗だなぁとも思ったな」
「………もしかして、こいつの目のこと? 例えがかわいすぎない?」
「そうだろうか? まぁ、そのときはお互いに中学生だったし、例えが幼いのも仕方ないだろう?」
「そりゃそうか」

「そうだ。君達の学校は寮制なんだよな? 寮生活ってどんな感じなんだ?」
「どんな感じって言われても、普通としか。強いて言えばアパートの一人暮らしって感じかな。まぁ、実際の一人暮らしよりは楽だと思うよ。顔知ってる奴しかいないし、食堂とかあるから、自炊しなくていいし」
「なるほど。隣室は同級生だから、知らない人ではないもんな。そういう意味では、実際の一人暮らしより気楽そうだ」
「まぁね。でも、同級生だからこそ、はしゃぎまくって騒がしいときあるけど」
「ふふ、騒がしいのは困るな。賑やかなのは好きだけど、過ぎたるは猶及ばざるが如しだからな」
「こいつらに言ってやって。この間なんて夜中に外で喧嘩し出して、先生に雷落とされてたんだから」
「ちょっ、硝子………!」



初恋拗らせてる五条くんと鈍感なフリが上手い椿ちゃん。




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