かつて審神者だった少女
椿は現在、東京に来ていた。東京に住む親戚が体調を崩して入院し、そのお見舞いに来たのだ。
親戚の具合が芳しくないことと、最近立て続けに知り合いが遠くに行ってしまったことで、椿の顔はいつになく曇っていた。
一人は百葉箱の傍で交流を図っていた宿儺。彼の本体が納められていた木箱がいつの間にか紛失し、その行方は知れないものとなっていた。
もう一人は後輩の虎杖悠仁。彼の祖父が椿の実家の剣道道場に彼を連れて見学に来たことで知り合った年下の友人だ。彼は祖父が無くなったのをきっかけに、県外に引っ越すことになったのだ。
(そう言えば、悠仁は東京に転校したんだったな………)
街中でばったり出くわしたりしないだろうか。そんな詮無いことを考えながら、ゆったりと歩を進める。そのとき、見覚えのある特徴的な髪色の男が目に入った。
「悠仁?」
「え? あっ! 椿先輩!!」
悠仁と呼ばれた少年が、椿を振り返る。一瞬怪訝な表情を浮かべていたが、相手が椿であると分かると、すぐに顔が明るくなった。
隣を歩いていた黒髪の少年と、茶髪の少女も立ち止まる。
「久しぶりだな。元気だったか?」
「うん、元気! 先輩、は………?」
満面の笑みを浮かべていた少年の顔が、不自然に引き攣る。目を合わせていたはずなのに、今はどこか別の場所を見ているようだった。
不思議に思った椿が虎杖の視線を辿って背後を振り返るが、顔色を変えるようなものは見当たらない。
「悠仁? どうした?」
虎杖に向き直り、椿が首を傾げた。
虎杖と、その友人の伏黒と釘崎は人とは異なる視界を持つ呪術師である。そんな彼らには椿には見えないものが見えていた。
『ツバキサン………スギィ……だァァァいスキィィィイ゛イ゛………!』
椿の背後に、大きな化け物がいた。呪術師が呪霊と呼ぶものである。
彼らの定める階級で、2級にも届きそうなほどの呪力を感じる。そこに更に、小さな呪霊が椿への愛を囁きながら、椿に取り憑こうと手を伸ばす。
しかし、小さな呪霊が椿に触れる前に、一番大きな呪霊が他の呪霊に食らいついた。
辺りに凄まじい絶叫と吐き気を催すような咀嚼音が響き渡る。けれど椿は顔を引き攣らせている虎杖たちを見て、きょとんと目を瞬かせていた。
―――――被害が出る前に、祓わなければ。
伏黒が、虎杖と釘崎に視線を向ける。その視線の意味を正しく汲み取った二人が深く頷いた。
そして椿と面識のある虎杖が場所を移動する提案を持ちかけようと口を開いたとき、心底呆れたような声を耳にした。
「まったく、今度はどんな厄介な女を誑し込んだのだ………」
キン、と高い音が鳴ると同時に、椿の背後にいた呪霊が切り刻まれた。
聞き覚えのある声。見覚えのある斬撃。
止まりそうになる思考と身体を必死に動かして、声のする方を向く。
「な、んで………」
視線の先。視界に収まったその姿に、掠れた声がこぼれ落ちる。
常人ならざる巨体。四本の腕。血を思わせる複数の紅い瞳。伝説に伝え聞く呪いの王の、その形。
虎杖はとっさに、自分の胸に手を置いた。
自分の中の、奥深く。確かにそこに、宿儺の指がある。
自分の中の宿儺が消えたわけではない。なのに、どうして。
この付近に指があったならば、呪術師である自分たちが気付かないわけがない。けれど、そんな気配は感じられなかった。
では、この宿儺は、一体どこから?
ざり、と地面を踏みしめる音で我に返る。宿儺が、椿の方へと足を踏み出した。
まずい、と思ったときには、宿儺はすでに椿の正面に立っていた。
「面倒事に巻き込まれずに過ごせんのか、お前は………」
腹の底から息を吐き出すような、盛大な溜息。やれやれと首を振り、宿儺はわざとらしく肩を竦めた。
そんな彼は、呆れたような表情を浮かべていた。そしてその声は、子供が悪戯をするのは仕方ないことだと諦めるような、けれどどこか微笑ましさを感じているような、穏やかさを感じる声をしていた。
組んでいた腕を解き、宿儺が椿の頭に手を置いた。わしわしと髪を掻き混ぜるように頭を撫でる。椿の首が左右に大きく揺れるが、ダメージを受けるようなものではなさそうだ。
戸惑ったような表情を浮かべる椿が、困惑を滲ませる瞳で宿儺を見上げた。
「え、と………?」
「安心しろ。こいつらには俺が見えている」
「………え? そう、なのか?」
椿が、宿儺と虎杖たちの顔を順番に見つめた。いつも通りの澄ました顔の宿儺。驚愕を顕わにした虎杖たち。彼らの目が椿と宿儺を映していることを確信し、椿が笑みを浮かべた。
「彼は両面宿儺。百葉箱に保管されていた木箱の中身の付喪神だ。美味しいご飯が大好きな、私の友人だよ」
「誰が友人か」
べし、と脳天に手刀を落とされ、椿が苦笑する。
素直じゃないなぁ、とどこか微笑ましげな笑みを浮かべる椿に、虎杖たちは絶叫した。