初恋フィルター 番外編






学生時代
呪術師バレ前。


 今日は朝から雨が降っていた。酷いものではないが、しとしとと柔らかい雨が降り続いている。
 地面は水たまりがいくつも出来ており、歩くたびにピチピチと雨が跳ね返る。
 地面から、視線を前に移す。すると、見覚えのある背中が視界の端に映った。
 黒い制服に白銀の髪。見上げるような長身。他校の同級生―――――五条悟だ。
 雨の中を、彼は傘も差さずに歩いている。


「五条くん!」
「えっ? さ、清庭さん?」


 慌てて、傘を差しに走る。五条の隣に並び、傘を傾ける。


「こんな雨の中で傘を差さないなんて。風邪を引いて―――――」


 「風邪を引いてしまう」と言いかけて、ハタと目を瞬かせる。彼は、一切濡れていなかったのだ。


「…………濡れて、いない……?」


 全く濡れていない五条を見て、椿が五条の顔を見上げる。彼は頬をほんのりと上気させ、落ち着かない様子を見せていた。


「い、今屋根の下から出てきたところだったから……。だ、だから濡れなかったんだと思う……」
「ああ、そうなのか」


 嘘だろうな、と思いつつ、椿は納得した振りをした。
 友人が隠したいと思っていることを、無理に暴くような真似はしたくないのだ。


「学校に帰るところだろうか?」
「う、うん……」
「駅までなら一緒に行けるから、途中まで一緒に帰ろう」
「えっ? い、いいの?」
「もちろん。一人で帰るより、二人で帰った方が楽しいし。あまり大きい傘でなくて申し訳ないけれど」
「ぜ、全然大丈夫! こ、困ってたから、むしろありがたいって言うか……!」
「ならよかった。じゃあ行こうか」
「か、傘、俺持つよ。俺の方が背高いし」


 ありがとう、と言って傘を差し出す。
 180センチほどある長身を超える相手は少ない。周囲の異性を見ても、殆どが椿より背が低い。前世では珍しいことではなかったけれど、見上げるというのは、今世では新鮮なことだった。


「あ、これ相合い傘じゃないか」


 彼女がいたら拙いんじゃないか、と思ってぽつりと呟くと、五条が盛大にすっ転んだ。


***


学生時代
呪術師バレ後。


「優しい力だな」
「残酷ではなく?」


 かつて、硝子の反転術式を残酷な力だと言った呪術師がいた。その呪術師は翌日首を吊った状態で発見されたらしい。
 跡形もなく消された傷を見て、その呪術師は絶望してしまったという。どれだけ酷い傷を負っても綺麗に治されて、また恐ろしい敵と対峙しなければならない。
 解放されない無限ループ。抜け出したいと考えた呪術師は、自死を選んだ。
 人を絶望させる力を、彼女は優しいという。あたたかいものを与えられたような、柔らかい笑みで。


「私には優しい力だった。それだけだよ」


***


学生時代
呪術師バレ後。


「あ、雨……」


 ぽつりぽつりと、雨が降ってくる。地面は斑模様を描き出した。
 椿は傘を持っておらず、キョロキョロと雨宿り出来そうな場所を探した。
 しかし、住宅街に相当する場所で雨宿り出来そうな場所はない。あってもそれは人様の家の玄関先で、そんな場所に居座るわけにもいかない。
 仕方ない、と走り出そうとしたとき、「清庭さん?」と聞き覚えのある声が掛かった。


「あ、五条くん。こんにちは」
「こ、こんにちは……」


 雨の中、全く濡れていない五条の姿に目を丸くする。そう言えば、彼にはバリアのような能力があるんだっけ、と椿は彼の能力解説を思い出していた。
 長い足で五条が椿の隣に並ぶ。彼はそっと椿に手を伸ばし、逡巡してから袖口を握った。すると、制服を濡らしていた雨が、ぴたりと止まった。


「こ、こうしてれば濡れないから」
「おお、すごいな。どうなってるんだ?」
「お、俺、防水仕様だから」
「そうか、すごいな。五条くんは雨も弾くのか。夏油くんも出来たりするのだろうか」
「で、出来るの俺だけだから! 傑を頼っても出来ねぇから!」


 雨はまだ降り続いている。五条の力で、雨を弾いてくれているのだ。
 発言がおかしいけれど、それはきっと照れているからだろう。彼はきっと、優しいことをするのに慣れていないのだ。


「君は強いのに、優しい力を持っているんだな」


***


学生時代


「あなたが清庭椿さんね!」


 突然、見知らぬ女性に声を掛けられた。
 見た目は同年代の少女。いいところのお嬢さんなのか、値の張りそうな着物を身につけていた。


「………こんにちは。私は清庭椿ですが、どういったご用件でしょうか」
「私は悟様の婚約者よ!」
「悟様……? 五条くんのことでしょうか?」
「そうよ、五条悟様。『君付け』なんて烏滸がましいわ!」


 きゃんきゃんと子犬のような声で捲し立てられる。五条の婚約者とやらが、自分に何の用なのだろうか。大声を上げられる理由が見当たらず、椿は困惑したような表情を見せた。


「悟様はあの五条家のご子息でいらっしゃるのよ! あなたとは身分が違います!」
「はぁ………」


 そう言って、少女は「悟様の妻は五条家にふさわしい身分の娘でないといけない」ということを持ちうる限りの語彙を使って語った。
 けれど、何故それを自分に言うのだろう、と椿は不思議で仕方なかった。
 やがて満足したのか、少女は肩で息をしながら踵を返して去って行った。


「………………本当に、なんで私に言うんだ?」


 ―――――恋人でも何でもないのに。
 ちなみに、今月三人目の婚約者からの宣戦布告であった。


***


結婚後


「つまらない人間も居るもんだなぁ……」


 五条は封筒に収められた写真を見ながら、底冷えのするような声で呟いた。
 封筒の中身は椿が男と歩いてるところを撮った写真や、万引きをしている写真などが大量に入っていた。
 しかし、それを素直に信じる五条ではない。そもそも、椿がそのようなことをする人間だとはこれっぽっちも思っていない。
 そもそも、写真はよく見れば合成で作られたものだと分かる程度のものだった。動揺していたら、信じてしまうかもしれない。最も、五条は椿を心の底から信じているから、そんなものを見せられても、眉一つ動かさなかったけれど。


「椿の輝きが、こんなもので曇るわけもないのに」


 椿は誰に対しても誠実な人間だ。隠し事が苦手で、嘘が下手で、よくもまぁ、誰にも騙されずに生きてこれたものだと感心するくらいだ。そんな人間が、聡い五条に隠れて浮気など出来ようはずもない。万引きについても同じである。
 そもそも、椿が自分を愛してくれているのは一目瞭然だ。自他共に認める円満なおしどり夫婦だと五条は確信している。
 椿を貶めたくてわざわざ作ったものだろう。五条の敵が多いのと同じように、その妻である椿の敵も多いのだ。椿の後釜を狙いたい女達など、掃いて捨てるほど存在するのである。
 暇な人間もいたものだな、と五条は肩を竦めた。


「そもそも、椿が護衛も無しに外出たら拉致監禁待ったなしだっての」


 そんな初歩的なことも、差出人は忘れているのだ。今世紀最大級の阿呆だな、と五条は心底馬鹿にしたように嗤った。


***


「椿が最優先事項だ」
「今までもこれからも、一切変わることのない僕の優先順位だ。間違えるな」


***


結婚後


椿「あ、先週も私の護衛についていてくれた方ですよね? お疲れ様です」
モブ「はいっ!? お、お疲れ様です!?」
五条「何で分かるの? 呪霊も呪力も分かんないはずじゃん?」
椿「なんとなくだよ。呪術師は独特な雰囲気があるというか、見れば分かるんだ」
五条「さ、流石過ぎる………」
モブ「え、そんな反応なんですか??? 僕、結構びっくりしたんですけど」
五条「椿の観察眼を舐めるなよ。ちょっとでもやましいことがあったらすぐにバレるんだからな」
モブ「何したんですか、五条さん……」
椿「そうだな。スマホのフォルダとカバーの下とかな」
五条「ま、待って!? フォルダはともかく、カバー下は何で気付いたの!?」
椿「無意識か? 最近よく外しているじゃないか」
モブ「え? 浮気???」
五条「ちっげぇわ!!! お義母さんに椿の学生時代の写真貰ったから入れてたの!!!」
モブ「あ、なんだ。最強のスキャンダルかと思っちゃったじゃないですか」
五条「それだけはあり得ないから。椿以外の女とか興味ないし」
椿「そんなもの入れてたのか? 他の人に見られるのは恥ずかしいから、気を付けてくれ」
モブ「そんで奥さんはその反応で正しいんですか??? もっと疑うべきところでは???」
五条「おいコラ。スキャンダルにしようとすんな」
椿「心配してくださって、ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。彼はそこまで不誠実ではありませんから」
五条「つ、椿……!」
モブ「その誠実さは奥さんにしか向いていないんですよ。それを考えると、確かに大丈夫そうですね」
椿「はい。それに、そもそも浮気する時間もないでしょう」
モブ「…………あ、そっすね。五条さん、しっかり休んでくださいね……」
五条「ありがとー。君ももっと強くなって僕を楽させてね」
モブ「が、頑張ります!」


***


結婚後


「つ、椿……!?」


 ある日、家に帰ると、椿の濡れ羽色の髪が、ざっくりと切り落とされていた。背中に届く長さが、ようやく肩に届くほどになっていたのだ。
 髪を切りたいなんていう話は聞いた覚えがない。椿の言ったことは聞き逃さないようにしていたはずである。彼女に関する事柄は、悟にとって最優先されるべきものなのだ。彼女が言った言葉を、彼が忘れることはない。
 そもそも、椿は悟が彼女の髪を大切にしていることを知っている。今まで彼が贈ったプレゼントも、簪や櫛など、髪に関わるものが多い。髪を切るとなったら、何か一言あるはずだ。


「あー……。その、すまない」


 申し訳なさそうに、椿が眉を下げる。苦く笑う顔は、ほんの少し寂しさが滲んでいた。
 椿の話を要約すると、悟の元婚約者候補の女性による逆恨みで襲われたようだった。どうやら相手は本気で悟に惚れているらしく、椿が悟の妻の座に納まっていることに納得がいっていないらしい。
 相手は式神使いであったらしく、刃物を持った式神に襲いかかられたという。護衛の呪術師が対処したために怪我はしなかったが、どさくさに紛れて髪を切り落とされてしまったようだった。


「怖かったよね、一緒に居られなくてごめんね」
「怪我もなかったし、大丈夫だよ。悟こそ、任務で大変だったろう?」
「全然。任務より移動時間の方が長いくらいだよ」


 椿の髪を撫でると、いつもよりずっと簡単に手から滑り落ちていく。それが寂しくて、胸に鈍い痛みが走った。
 椿は悟の傾ける情を受け止め、柔らかく微笑んだ。


「さ、ご飯食べようか。すぐに用意するから」
「僕も手伝うよ。お皿用意するね」
「ありがとう、助かるよ」


 キッチンに向かう椿が、ふと髪に触れる。


「悟が髪を整えてくれるの、結構好きなんだけど、この長さだと難しいよなぁ……」


 ぽつりと、誰に聞かせるでもない言葉が椿の口からこぼれ落ちる。それを聞いた悟は、思わず足を止めた。目の前が、赤くなる。脳の血管が切れたような気がした。

 その夜、椿が眠りについてから、悟は家を出た。
 椿と襲撃に遭ったときに護衛をしていた呪術師からの情報を元に相手を特定し、椿の髪を奪った女の家に赴いた。
 そしてその家が所有する山を二つ消し飛ばし、呪霊千体を鏖殺した。


「僕なら、人間相手にもこれが可能だぞ」


***


没ネタ供養


夏油「悟は確かにヤバい男だけど、悟ばっかりがヤバい奴呼ばわりされるのは納得いかないな」
伏黒「いきなりどうしたんですか?」
夏油「あのガンギマリ女も相当ヤバい奴って知って欲しい」
虎杖「ガンギマリ女???」
夏油「椿のことだよ。あの女は本当にヤバいよ。呪術師とは別方向にイカれてる」
釘崎「あんたが非術師嫌いだからそう思うんじゃないの? あの人、普通にいい人だと思うんだけど」
夏油「悟との結婚を認めさせるために単身で五条家に乗り込む」
伏黒「あかん」
釘崎「アホなの!?」
虎杖「俺でもしないよ!?」
夏油「毒入りの飲み物を出されて、それを察しつつ飲み干す」
伏黒「死ぬが!!?」
虎杖「何やってんの!!?」
釘崎「イカれてんの!!?」
夏油「血反吐吐きながら三つ指ついてドン引きされたって聞いたよ」
釘崎「ほ、本当にイカれてたんだけど……」
虎杖「えっ? い、今生きてるってことは大丈夫だったんだよね? どうやって助かったの?」
夏油「元から致死量は入ってなかったみたいだよ。椿を殺したら、悟が五条家の人間を皆殺しにするからね」
虎杖「いやいやいや、致死量入ってないっていってもヤバいでしょ!」
夏油「私と硝子が悟と一緒に椿を追い掛けて五条家に乗り込んだから、後遺症もなく回復したよ」
釘崎「よ、良かった~! って、そうじゃないわよ!?」
伏黒「今五条家滅んでないみたいですけど、どうやって納めたんですか?」
夏油「椿が殺すのは駄目だって言ったから、五条家を半壊させるだけで納めたんだよ。“次はここに居る人間ごと破壊する”って釘を刺して」
伏黒「それ、次はないっていう宣言ですよね?」
虎杖「っていうか、なんで五条家に乗り込むようなことに……?」
夏油「任務の合間を縫って五条家に椿との結婚を認めるよう説得してたんだけど、あんまりにも頑なだったもんだから、悟が家の了解を取らずに椿と結婚しようとしたんだよね。清庭を名乗ることも吝かじゃないって言ってさ」
釘崎「それ絶対椿さんが納得しないでしょ」
夏油「まぁ納得しないよね。五条家からの嫌がらせも酷かったし、疲れでイライラしてる悟を見ていられなかったって言うのもあったんだろうけど」

五条家に認めさせるために五条家に乗り込む。
「これを飲み干したら許します」と毒入りの飲み物を出される。
飲み干して血反吐吐きながら三つ指つく。
(一部の人間はそれで認める)
ついでに悟が隠してること(御三家とか呪術師)について聞く。
みたいなネタを考えていたんですけど、まとめられそうになかったので没にしました。




3/18ページ
スキ