歴史修正主義者になりたくない






 今日は書庫の整理をすることになっている。長い歴史のある五条家は古い書物も多い。年に一度の虫干しと、定期的な整頓が必要なのだ。まだ時期ではないので虫干しはしないが、調べ物などで使用されることの多い書架は、なかなか仕事のしがいがある有様となっていた。
 本の整理だけならば子供だけでも問題ない、と下っ端の女中達の仕事になっているのだ。


「椿ちゃん、私は『い』の棚から掃除していくから、『を』の棚をお願いしてもいい?」
「分かった。一人で無理そうな事があったら、遠慮なく声を掛けてくれ」
「うん、ありがとう!」


 書架は全部で12ある。いろは歌の『い』から『を』までが振り分けられているのだ。同じ仕事をすることになっていた少女達と相談し、椿は『を』の棚から担当することになった。
 掃除用具を持って、『を』の棚に向かう。


「見つけた!」


 突然、背後から大きな声が聞こえた。振り返れば、そこには椿の仕える一族の直系―――――五条悟がいた。
 彼は探し人が居たようで、その相手を見つけて喜んでいるようだった。まさか自分のことだとは思わなかった椿が、周囲を見回す。近くに同じ作業を熟す少女達が居たはずだ。しかし、彼女らはすでに持ち場に移動してしまっており、その場には椿しかいなかった。
 まさか、と思った瞬間、目をキラキラさせて、悟が椿に駆け寄ってくる。


「あ、あの、坊ちゃん……?」
「ずっとお前のこと探してたんだよ。この前お前のおやつ貰ったから、お返ししてやろうと思って!」


 そう言って、悟が機嫌よさげにニコニコと笑う。以前のようなつまらなさそうな顔とは違い、年相応の明るい顔をしていた。


「これ、俺のおすすめなんだ! 一緒に食おうぜ!」


 そう言って持ってきたのはカステラだった。ほんのりと桃色に色づいていて、かわいらしい。イチゴ味とか、桜味とか、変わり種の類いだろう。
 お礼を返してくれるのは嬉しいし、笑顔を見せるようになったのはいい傾向だ。これが業務時間でなければ、その誘いに乗るのも吝かではない。しかし、お給料を貰っているのだ。その分の働きはしなければならない。


「坊ちゃん、お気持ちは嬉しいのですが、私は仕事の途中です。仕事を抜けるわけにはいきません」
「…………この前は一緒におやつ食ったじゃん」
「あのときは休憩中だったので」


 そう言って眉を下げると、悟の機嫌が急降下するのが分かった。悟を中心に回る箱庭は、基本的に悟が優先される。全てが全て、容認されるわけではないけれど、我儘と言われる類いのものも、殆どが許されてきている。こういう風に、断られる事は少ないのだろう。


「休憩時間になったら、私から伺います。それではいけませんか?」
「それまで待てって言うのかよ?」
「申し訳ありません。私は雇われている身分にありますので、仕事を全うしないことには、家を追い出されてしまいます」


 深々と頭を下げると、悟がむっすりと黙り込んだ。それからしばらくして、顔を上げるよう促される。
 顔を上げて口を開こうとすると、その口に柔らかいものが詰め込まれた。カステラだ。イチゴの爽やかな甘みが口の中に広がった。
 半分に割ったカステラを椿の口に詰め込み、残り半分を自分の口に入れた悟が、カステラを飲み込んでから告げた。


「休憩時間になったら、まっすぐ俺のとこに来いよ。あの庭の木の下で待ってるから」


 目を白黒させている椿を置いて、悟がくるりと踵を返す。椿も口に詰め込まれたカステラを一生懸命に飲み込んで、悟の背中に声を掛けた。


「必ず伺います!」


 ひらりと後ろ手に手を振って、悟が書庫を出て行く。それを見送って、椿は『を』の棚を目指して歩き出した。

 悟は、彼を知る者から一目置かれている。彼と関わりのある同年代の子供は、皆一様に呪術界に身を置く術師の家系。悟の重要性を知っているものばかりなのだ。一緒におやつが食べるような、気安い関係になれる者はいなかったのだろう。誰かと一緒におやつを食べた経験も、きっと殆どない。だから、椿と一緒におやつを食べたという経験は貴重で、彼にはよほど嬉しいことだったことが窺えた。
 誰かと積極的に関わろうとすることは、悪いことではない。人との繋がりは、精神的な成長をもたらす。
 しかし、それが自分であるというところに、椿は引っかかりを覚えた。
 呪術界において、女性の地位は低いのだ。それが術式も持たない非術師ともなれば、恐ろしいほどに冷遇される。椿は元から低い地位の者と認識され、ひたすらに下働きに従事する者と見られているから、必要以上に冷遇されることはない。そもそも、眼中にないのだ。
 故に、そういう相手が悟と親しくしているのは、呪術師達にとっては不快でたまらない事なのだ。自分の立場が悪くなることが予想できた椿は、気が重くなるのを感じた。


(まぁ、そのうち同性の友人でも出来れば、そちらに一生懸命になるか)


 悟のことが嫌いなわけではないけれど。彼に落ち度はないけれど。自分の未来が悪い方向に進んでしまう前に、軌道修正しなければならないのだ。この世界で、自分を守れるのは自分しかいないのだから。かつての戦友達は、いないのだから。




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