歴史修正主義者になりたくない






「呪術廻戦って知ってる?」


 休憩時間となり、休憩室に移動して周囲に人が居ないことを確認すると、少女―――――長井は椿に問いかけた。
 椿は聞き覚えの無い単語に、否と言って首を振った。


「…………えっ!? あっ!! げ、原作知らないパターンの転生者!!?」


 長井は一瞬硬直し、周囲に人が居ないのを確認してまで人気を気にしていたのに、それを無にするような大声を上げた。
 そもそも肯定していないんだがな、と椿はこっそりと嘆息した。
 おそらく、彼女の言う“転生者”とは前世の記憶を今世に持ち越した人間のことだろう。確かに椿には、別の人生を歩んだ記憶があった。彼女の言う“転生者”に当てはまる。
 けれど、それを口にするつもりはない。あの記憶は、自分にとって何よりも大切なものなのだ。


「あ、ご、ごめんね? ちょっとびっくりしちゃって。そういうパターンもあるんだ~って」
「いえ」
「え~、でもどうしよう……。知ってる前提で考えてたから、何ていったものか……」


 長井は頭を抱えた。
 う~ん、と唸っている長井の旋毛を見下ろしながら、椿は「長井は直情型の人間である」と分析した。
 言い方は悪いかもしれないが、長井は少し思い込みが激しいきらいがあるようだった。椿は一度も自身が転生者であることを肯定しておらず、言質を与えるようなことも言っていない。そもそも自分の常識が、相手にとっても常識であるとは限らない。そのことを念頭に置いておくべき事であるのに、そのことを失念している。また、転生してくる前の世界が、自分と同じものではない可能性だってあるのだ。
 椿は“呪術廻戦”というものを知らない。それが何を示しているのかすらも分からないのだ。もしかしたら椿が無知であるのかもしれない。そもそも転生する前の世界に存在していなかったのかもしれない。椿にとって“呪術廻戦”とは、そんなことすら分からないものなのだ。
 唸り声を上げていた長井が、唐突に顔を上げた。


「この世界は、将来とっても悲惨なことになります」
「…………悲惨なこと、ですか?」
「そう。呪術廻戦っていうのは、まぁ、実際に起こることを書き記した予言書みたいなものだと思って」


 私達転生者の殆どは、呪術廻戦を知っています。そう言って、長井は力強い視線を椿に向けた。
 予言書、と椿が口の中で繰り返す。
 この世界は以前の世界のように異能が存在する。
 審神者の力は、付喪神を隆起させることに特化した力だった。今世に存在する異能―――――呪術は幅広い応用の利く力である。予言のような呪術が存在してもおかしくはないのだ。
 転生者の殆どが知っていると言うことが気に掛かったが、天与呪縛というものも存在する。天与呪縛とは生まれながらに強大な力を得る代わりに、何かを犠牲にする“縛り”だ。おそらくその予言書も、そういった類いのものなのだろう。椿は、それを得られなかった側の人間なのだろう。


「個人によっては持っている情報量が異なるけど、みんな、未来を変えたいって頑張っているの」
「―――――は?」


 長井の言葉に、唖然とした。力の抜けた、間抜けな声が口から漏れる。


「確かに、呪術廻戦に描かれているものが正解なんだって分かってる。けど、みんなで力を合わせれば、よりよい未来が開けると思っているの」


 長井は熱が入っているのか、椿の様子にも気付かない。
 口の中が乾く。膝の上に置かれた手が震えている。震えを止めようと拳を握りしめるが、それでも震えは止まらない。


「…………つまりあなた方は、正史として定められた未来を変えるために、過去改変を行っていると?」
「そう。よりよい未来に導くために。みんなの笑顔のために」


 長井は満面の笑みを浮かべている。
 椿は叫び出したい気分だった。今世でも、かつての宿敵と相対することになるとは思わなかったのだ。


「過去を変えるという事がどういう事か、分かっているのか?」
「未来を変えるという事でしょう?」


 椿の口調が乱れる。それに驚きつつも、長井は不思議ように目を瞬かせた。


「違う。未来を保証しないという事だ」


 椿の脳裏に、歴史改変を目論む敵と相対する頼もしい背中が過ぎった。
 椿はかつて、審神者として正史という武器を手に、歪められた歴史を正してきたのだ。間違っているとしても、そこに生きる命があると知りながら。生きたいと叫ぶ声を踏みにじって、正しい命で塗りつぶしてきたのだ。

 思わず目を背けたくなるようなものだった。許されない命であると知りながら戦う人の顔は。
 耳を塞ぎたくなるようなものだった。失いたくないと叫びながらも、正しい歴史を前に敗北するしかない人の声は。
 地獄のような光景だった。いつか来る消滅を少しでも先延ばしにするために武器を構える人達を蹂躙し、正しさを前に屈服させるのは。絶望に染まる顔が消えゆく瞬間を見つめるのは。

 歴史を変えると言うことは、そういうことなのだ。
 本来生まれなかった命が正しい誰かに成り代わり、正しい命を犠牲にして生きていく。
 それは本来在るべき人の残像でしかなくて、偽りの平穏でしかなくて。その先に待ち受けるのは、消滅という“無”に還ること。生き物として迎えるはずの最期は、決して訪れない。
 過去を変えると言うことは、そんな命を産み落とす行為なのだ。


「私は、それがどれほど悲惨な未来であっても、正しい歴史を塗り替え、新たな未来を創造することに賛成出来ない。例え未来が地獄であろうと、それが正しいというのなら、私はその中で足掻きたい。作りかえられた世界なんて、間違った歴史の中を生きるなんて、そんな未来は容認できない」


 過去を変えたいという気持ちが分からない訳ではない。よりよい未来を迎えたいという心にも寄り添える。
 けれど、それでも。椿は審神者だ。正しい歴史を守る、軍人だったのだ。
 それを理由に審神者になった訳ではない。国のために戦うというような、崇高な大義があったわけではない。それでも歴史を守るという重みを、椿は知っているのだ。


「そんな行為を、私は決して容認できない……!」


 そう言って、椿は立ち上がる。これ以上話すことはなかった。
 あまりこういう風に考えたくはないけれど、絶対に分かり合えない生き物だと、椿は思ってしまったのだ。
 呆然とする長井を置いて、椿は休憩室を後にした。




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