審神者と呪いの世界






「やっほー、椿」
「お、硝子。こんばんは」


 翌日、家入は早速椿に声を掛けた。親しげに声を掛けて貰えて嬉しくなった椿がにこりと笑いかける。


「ね、今日は椿はどの料理作ってんの?」
「今日はアジフライ定食とハンバーグ定食、肉じゃが定食だよ」
「どれも美味しそう。でも、煮物の気分だから、肉じゃが定食にしようかな」
「了解。すでに食べた人からも好評だったから、気に入って貰えるんじゃないかな」
「大丈夫。美味しいのは分かってる」
「ふふ、ありがとう。卵焼きは甘いのとしょっぱいの、どっちがいいだろう?」
「しょっぱいの」
「了解した。すぐに作るから待っててくれ」


 メニューを記入した紙を受け取り、早速準備に取り掛かる。
 肉じゃが定食は名前の通り肉じゃががメインだ。付け合わせは白菜の漬物、ブロッコリーの胡麻和え、卵焼き、豆腐と小松菜の味噌汁である。
 煮込み料理や漬物などは事前に用意しておくため、肉じゃが定食は盛り付けて、卵焼きを焼いたら完成である。
 肉じゃがが醤油ベースの味付けなので、卵焼きはシンプルに塩胡椒のみ。手早く卵を焼いて、食べやすい大きさに切り分けてお皿に乗せれば完成だ。


「はい、お待たせ」
「今日も美味しそう。本当に料理人じゃないの?」
「私はただのバイトだよ。それより、冷めてしまうぞ?」
「そうだね、いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」


 にこにこと美味しそうに肉じゃがを頬張る家入を見て、椿も頬を緩ませる。
 家入の後にも補助監督が一人、食堂に顔を見せた。仕事に戻るために厨房に入る。
 食券代わりの用紙を受け取り、すぐに盛り付けに取り掛かった。
 補助監督が頼んだのはカレーライス。ここに勤めて5年になる佐藤が仕込んだカレーは好評で、かなりの人気メニューだ。中辛しかないため甘党の人や辛党の人には物足りないかもしれないが、そこは個人ではちみつや唐辛子を加えてアレンジしてもらっている。
 席に持っていくと、補助監督は嬉しそうにカレーの乗ったトレイを受け取った。

 厨房に戻り、夜食作りに取り掛かっている佐藤と田中に加わろうとして、新たな客の気配に足を止める。注文口に、見慣れない男子生徒が立っていた。おそらく新入生の一人だろう。


「こんばんは。お疲れ様です」
「え、あ、こんばんは」
「ご注文はお決まりになりました?」
「ちょっと迷ってて。おすすめってあります?」
「個人的な好みになってしまうけれど、今日のメニューだったらカレーライスがおすすめです。お肉なら豚カツ定食、お魚なら味噌煮込み定食ですね」
「どれも美味しそうだな……」


 黒髪をお団子にした少年は、顎に手を当てて頭を悩ませている。
 この食堂は日によってメニューが異なる。効率は良くないが、季節の野菜や旬の食材を出来るだけ使用するためだ。何せ、呪術師達は明日の命も分からない。だから、少しでも美味しいものを食べて欲しいというのがサポートを担う者達の総意だった。


「私のおすすめは肉じゃが定食だよ」
「硝子」


 少年の背後からひょっこり顔を出した家入は、満足げな顔をしていた。
 少年は背後から声を掛けられたことに驚いたのか、僅かに目を見開いている。
 椿は家入から差し出されたトレイを受け取った。


「今日はどうだった?」
「美味しかったよ。じゃがいもほくほくだったし、味も染みてて最高だった。卵焼きもふっくらしてて。っていうか、卵焼きってあんなに綺麗に焼けるもんなんだね」
「そこは慣れだな。今日も綺麗に完食してくれてありがとう。気に入って貰えたなら何よりだ」
「うん、こちそうさま」


 家入の顔を見れば、美味しいと思って貰えたのは一目瞭然だった。けれどやっぱり言葉にして貰えると嬉しい。美味しかったと笑う家入に、椿も同じように笑う。


「え、珍しい。硝子、忙しい時は平気でご飯抜くし、朝ご飯もまともに食べないのに」
「まぁ、忙しい時は面倒になっちゃうからね。でも、椿のご飯は何か気に入っちゃったんだよね」
「ありがとう。でも、食事は大事なものだよ」
「椿が作ってくれたら食べる」
「君な……」


 朝ご飯は大事だ。一日の活力となるものだ。けれど椿にも学校があり、用意することは出来ない。作り置きを多めに作って、翌日に食べてもらうのがいいだろうか、と頭を捻る。


「えっと、椿さん、でいいのかな?」
「ああ、すいません。自己紹介をしていなかったですね。清庭椿です。同い年だから、好きなように呼んでください」
「夏油傑です。同い年なら私も硝子と同じように接して欲しいな」
「分かった。よろしく、夏油」
「よろしく、椿」


 夏油は切長の目を細め、柔らかく微笑む。人懐こい笑みだった。


「食事に無関心な硝子が気に入る料理が気になるから、椿が作ったものが食べたいな」
「そうか? 今日私が作ったのは肉じゃが定食、アジフライ定食、ハンバーグ定食だけど」
「せっかくだし、硝子おすすめの肉じゃが定食にしようかな」
「了解した。卵焼きは甘いのとしょっぱいの、どちらが良い?」
「しょっぱいので」
「分かった。すぐに作るよ」


 夏油が記入した紙を受け取り、家入に手を振って別れを告げる。家入も手を振って、夏油と二、三言会話して食堂を後にした。
 家入のときと同じ段取りで定食を作り、夏油の元へと運ぶ。


「お待たせ」
「わざわざありがとう。本当に美味しそうだね」
「ここの料理はどれも美味しいよ。どうぞ、召し上がれ」
「いただきます」


 箸を手に取ったのを見てから、椿は職場に戻る。
 夏油の後に注文に来た者は居ないようだったので、夜食作りに参加することにした。
 余っている食材はキャベツと玉ねぎ、ひき肉だ。卵も少し残っている。


「メンチカツにしようかな」


 キャベツと玉ねぎをみじん切りにして、ボールに入れる。そこにひき肉と溶き卵を少量加え、塩胡椒で味付けをして粘りが出るまで混ぜていく。
 よく混ざったら形を整えて、薄力粉、溶き卵、パン粉を全体に塗す。
 フライパンに油を注ぎ、両面がきつね色になるまで揚げていく。
 チーズを入れても美味しかっただろうな、と思いながら、メンチカツを油から引き上げる。


「あら、さっきの男の子。もう食べ終わったみたいよ」
「え?」


 使用した器具を片付けていた佐藤が、返却口を見やる。椿もそちらを振り返ると、夏油がトレイを返しに来ていた。


「あの子も新入生よね。椿ちゃん、少しお話ししてきたら?」
「え? でも、仕事中ですし……」
「いいのよ。椿ちゃんがまじめに働いてるのはみんな知ってるから。それに、同じものが見える相手は少ないんだから、仲良くなっておいて損はないでしょう?」


 佐藤は非術師だが、呪霊が見える人間だ。長年"人と違う視界"を持つ疎外感に苦しんできて、ようやく見つけた高専という場所を憩いとしている。そして、椿や夏油のような子供達に、自分と同じような思いをして欲しくないと考えているのだ。
 そんな佐藤からの言葉に背中を押され、火を消して、返却口に食器を受け取りに行く。


「ごちそうさま。硝子の言う通り、本当に美味しかったよ」
「ありがとう。気に入って貰えたなら幸いだ」
「夜食とかも作ってるんだって?」
「ああ。任務で遅くなった人用と、夜中にお腹が空いてしまった人用に」
「ちなみに今日の夜食は何かな?」
「オクラの肉巻きとナスのはさみ焼き、かぼちゃの煮物だよ。ちなみに私はキャベツ入りメンチカツ。ほら、夜中の揚げ物って最高だろ?」
「最高。分かってるね、椿」


 ニヤリと笑うと、夏油も同じような笑みを返してくる。何だかおかしくなって声を出して笑うと、夏油が一瞬驚いて、彼も声を上げて笑った。


「まだお腹に余裕はあるか?」
「そうだね。もう少し食べたいかな」
「なら、メンチカツの味見をしてくれないか? 揚げたてなんだが」
「食べる」
「よしきた」


 油切りをしていたメンチカツを小皿に乗せる。まだ余裕がありそうだったので、大きめに作ったものを二つ。
 箸とソースを持って、返却口に戻る。メンチカツの乗った皿を差し出すと、夏油は目を輝かせた。


「どうぞ、揚げたてのメンチカツだ。一応、ソースも用意したけど」
「ありがとう。美味しそうだね。いただきます」


 ソースをかけて、大きな一口でカツを齧る。
 揚げ物は出来立てを食べるのが最高だ。中から溢れる肉汁で舌を焼いてしまうこともあるけれど、出来立ての美味しさには敵わない。
 きっと夏油は椿と同じで、火傷よりも出来立ての誘惑に勝てないタイプなのだろう。気が合いそうだな、と思いながら美味しそうにメンチカツを頬張る夏油を見やる。
 味については、彼の顔を見れば一目瞭然だった。


「出来立てヤバいね。ザクザク食感最高」
「粗めのパン粉を使ったんだ」
「いいね。あと、うちは玉ねぎだけだったから、キャベツ入りは初めて食べるんだけど、美味しいね」
「キャベツと玉ねぎの甘みが肉の旨味を引き立てて最高なんだ。私はいつも入れる」
「母さんに教えてあげよう。美味しくて栄養も摂れるし」


 大きなメンチカツをあっという間に完食して、夏油がほう、と満足気な息をつく。


「ごちそうさま。メンチカツ最高だったよ」
「ありがとう。君はよく食べるみたいだし、作りがいがあるな」
「かなり食べると思うよ。あんまり良くないとは思いつつ、つい夜食も食べてしまうんだよね」
「そんな君に悪魔の囁きを聞かせてあげよう。寮の冷凍庫に、昨日作った焼きおにぎりとたぬきおにぎりが入っている」
「マジか……!」


 そのまま食べても美味しいおにぎり。好きなようにアレンジするのもありだ。椿としてはチーズを乗せて焼いたり、お茶漬けで食べるのをおすすめする。


「そのまま食べても美味しいけれど、冷蔵庫にスライスチーズを入れてあるから、それを乗せて焼くといい。それから、棚にインスタントのお吸い物とかわかめスープがあったはずだから、お茶漬けみたいに食べるのも美味しい」
「絶対やる。今夜絶対それで食べる……!」
「食べ過ぎには注意してくれよ? 呪術師は身体が資本なんだから」
「分かってるよ。ありがとう」
「こちらこそ、美味しそうに食べてくれてありがとう」


 ひらひらと手を振って、別れを告げる。
 夏油は椿と同じで、食べることが大好きな人間のようだった。
 一緒に食べ歩きとかしたら楽しそうだな、と思いながら、椿は仕事に戻った。
 就業まで、もうひと踏ん張り。過酷な現場で働く人達に美味しいものを提供するのが椿の仕事である。




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