幸せの捜索願 番外編
私が意図せずして不法侵入してしまった事は、何とか不問に処されることとなった。
以前、虎杖達がこちらに迷い込んでしまった時のことを報告していたことで私が味方側であることを把握していたのが大きい。また、私があまりに幼いために、夜蛾が内々で収めてくれると言う。
「まっさか今度は椿ちゃんがこっちに来ちゃうとはねぇ……」
グラウンドを囲う斜面に腰掛けながら、釘崎が困ったように肩をすくめた。
「あっちからこっちに帰って来た時は、あっちに行った時に入った空間の歪みに入った事で帰って来れたんだよね。椿ちゃんもそう言うの見つけて入っちゃったの?」
「小僧ではないのだからそれは無いだろう」
「うるせぇ、お前は出て来んな! てか、俺じゃないんだからって何だよ!?」
私は斜面の一番上に座り、隣に腰掛けた虎杖と宿儺のやり取りに苦笑していた。
「前に言ってた異世界どうのこうのってやつか。あれ、マジだったんだな」
「いくら……」
「ってことは、この子が噂のお姉ちゃんか!」
虎杖達の先輩にあたる禪院真希、狗巻棘、パンダの三人が、興味深げに私を見つめる。
こちらに帰ってから私達の世界の事を話していたのか、彼等は私の事を知っているようだった。
ちなみに、伏黒は階段の一番下に腰掛け、居心地悪そうに視線を明後日の方に向けていた。
「して、小娘」
「うん? 何だろう?」
「あ、お前! 教育に悪いから椿ちゃんに話しかけんなよ!」
「喧しいぞ、小僧。貴様に用はない」
一通り言い争いをして、虎杖に興味を失ったらしい宿儺が私に声を掛けてくる。
虎杖がすぐさま頬を叩き、宿儺を黙らせようとする。しかし、すぐに宿儺の口は移動して、今度は手の甲に現れた。
私はそれに苦笑して、手の甲を叩こうとする手を止めた。
「大丈夫ですよ、虎杖さん。それで、どうしたんだ?」
「いやなに、お前はどのようにこちらに渡ったのかを聞こうと思ってな」
「それが、よく分からなくて。学校が終わって校門をくぐった所までは覚えているんだが、その後は何も。気付いた時には高専の入り口に居たんだ」
奇妙な現象だ。虎杖達のように時空の裂け目に飛び込んだ訳でもないのに。
記憶についても、校門をくぐった後の記憶が消えているのか、瞬きのうちに世界を超えてしまっていて、記憶そのものは地続きなのか。それすらもはっきりしないのだ。
後者ならばまだ良い。けれど、前者だと非常に拙い。無くなった記憶に、元の世界線に帰る手掛かりを落としてしまっているからだ。
「ふむ。では門をくぐった時、他に変わった事は無かったか?」
「他に変わったこと……?」
顎に指を掛けて、首を傾げる。少し考えて、そういえばと思い出す。
「こちらの世界のことを考えていた」
「それだな」
今日は恵の調伏の補助をする約束だった。それで、こちらの世界の伏黒恵は十種のうちいくつを調伏しているのだろうか、とそんな事を考えていたのだ。
「門をくぐるとは、言い換えれば"踏み入る"行為を示す言葉。お前が小僧供の事を思い出す事で縁を手繰り、こちらの世界に踏み入ってしまったのだろうな」
「なるほど。境界を跨ぐ瞬間にこちらの世界を意識していた事がトリガーになって、呪術的な何かしらが発動してしまったと言うわけか」
「そう言う事だ」
「なら、同じ事をすれば帰れるだろうか?」
「おそらくな」
"境界を跨ぐ"というのは、呪術的に大きな意味を持つ。正しい手順でその行為を行えば、結界を越えるようなことも出来るのだ。今回は強い縁があり、一度彼等が世界を越えたことも相まって、世界を渡りやすくしてしまったのだろう。
「つまり、向こうの世界の縁を辿りながら門を渡れば、向こうの世界に戻れるんだな」
「でも、その門って高専の? 椿ちゃんの通ってる学校の?」
「普通に高専から出ればいいんじゃない?」
「いや、安易に試して変な場所に出たらどうするんだ。五条先生も夕方には帰って来るって言うし、一度相談してからの方がいいだろ」
禪院を筆頭に、口々に意見が出されていく。
早く帰りたいけれど、彼等の言うことにも一理ある。安易な行動に後悔するより、慎重に事を運んだ方が良い場面だ。こちらの五条もそう時間を置かずに帰って来るだろう。急がば回れという言葉もある事だし、私は一旦ここで待たせてもらうことになった。
「今日は恵の調伏の補助をする約束をしていたんだけどなぁ……」
「え、椿ちゃんって6歳か7歳くらいよね? そっちの伏黒、もっと小さいんじゃない? もう調伏始めてんの?」
「はい。少し前に玉犬を召喚しました。それで、他の式神にも興味が出たみたいで」
正直に言えば、調伏を開始するには早過ぎる年齢だと思う。
けれど、必ずしも戦闘を行わなければならない式神ばかりではなく、各々の特性によって調伏方法が異なるのだ。捕まえれば良いだけの脱兎なら、体力育成にも丁度良いだろうと、脱兎の調伏から開始することになったのである。
「でも、今日は無理そうですよね……」
きっと心配をさせてしまうだろう。拗ねてしまうだけなら良いけれど、泣かれてしまうのは嫌だなぁとため息を吐く。
「好きなおやつを作るから、それで許してくれないかな……」
「へぇ、椿ちゃんって料理出来るんだ」
「作ってくれる大人が居なかったので。今は父さんも作ってくれるけど、基本的に私と津美紀で作っています」
「サラッと重いことぶっ込むなぁ……」
「えっと、お母さんについてって聞いても大丈夫?」
「いいですけど……」
チラリと伏黒を見る。こちらとは事情が異なるけれど、別の世界の自分の家庭の事だ。勝手に話をされるのは嫌なのでは無いかと心配になる。
しかし、伏黒は何でもない顔をして首を振った。
「俺のことは気にすんな。こっちとは事情も違うだろうし、何とも思ってねぇよ」
「…………そうですか」
本当に何とも思っていないのだろう。幼過ぎて、何かしらの感情を持つだけの記憶すら残っていないのかもしれない。それが寂しいような、悲しいような。そんな風に思うのは、私が母の記憶を持っているからだろうか。こちらの恵に、そんな風に無関心になられたく無いからだろうか。
「実の母は事故で亡くなりました。その後は、父が私達のお世話をしてくれる女の人を探して、色んな人のところに行きました。そして最後に津美紀の母と再婚したんです」
「そっか……」
「津美紀の母は父にしか興味がなかったようで、私達にはあまり関心が無かったように思います。だから父が家に寄り付かないと分かると、津美紀にすら興味を無くしてしまったみたいで。いつの間にか父より家に帰って来なくなって……」
おそらく、他の男性を見つけてしまったのだろう。その事は、顔色の悪い虎杖達のために言わないでおいた。
まぁ、彼女がどうなっていようと、私には関係ない。そもそも、先に切り捨てたのは向こうなのだし。
けれど、それでも津美紀の母親だから。私に、津美紀というかわいい妹を与えてくれた人だから。
「彼女が今どうしているのかは分からないけれど、幸せなら良いなとは思います」
「つ、椿ちゃん………!!!」
むぎゅ、と隣に座る虎杖に抱きしめられる。分厚い筋肉で覆われた胸板に顔を埋める形となった。
どうしたのだろう、と彼を見上げると、彼は瞳を潤ませて私を見つめていた。
釘崎や禪院は顔を覆い、パンダ達は天を仰いでいた。
何事だろう、と目を瞬かせていると、突然虎杖に抱き上げられる。
「よっし! 五条先生が帰って来るまで時間あるし、いっぱい遊んで美味しいもの食べて待ってよ!」
「でも、虎杖さん達、何か用があって外に出ていたのでは……?」
「子供が遠慮すんじゃないわよ! てか、子供放置しておく方が人としてどうかしてるでしょ!」
「そうそう」
みんな立ち上がって、校舎の方へ向かっていく。部外者の私が入って良いのかという疑問はあるけれど、まぁ今更だろう。意図しないものとは言え、不法侵入してしまっているのだし。
「おい」
襟首を掴まれて、虎杖の腕から取り上げるように私の身体が浮き上がる。声から察するに、宿儺だろう。
顕現した宿儺が私を取り上げて、自分の腕に私を乗せた。
「どうした、宿儺。何かあったのか?」
「その小僧はやめておけ。小僧が運ぶくらいなら俺が運ぶ」
「さっきは何も言わなかっただろう?」
「畜生風情が何をしようとどうでもいい。だが、この小僧だけは気に喰わん」
「そうか」
私との縛りに抵触しない限り、宿儺の行動指針は己の快・不快で決定する。どうも虎杖とは相性が悪いようで、彼の手の中に私がいるのが嫌だったようだ。
先程パンダに抱えられていた時に何も言って来なかったのは、そもそも興味すら湧かなかったからであるらしい。殆ど関わりの無い虎杖をここまで毛嫌い出来るのかは謎だが、生理的に受け付けないものは誰にだって存在する。私にとっての"あの男"のような存在が、宿儺にとっての虎杖なのだろう。
ならば、私が虎杖の手の中にいるのは不快極まりない事だろう。文句を言わずに大人しくしていると、満足したらしい宿儺がほんの僅かに口角を上げた。私の対応は正解だったらしく、彼の機嫌が損なわれる事はなかった。
「……………俺、あっちの宿儺とそんなに関わってないと思うんだけど」
「あちらの俺の気持ちが痛い程分かるな。俺も貴様の事が不快極まりない」
「うっせぇ! 俺だってお前が大っ嫌いだ!!!」
虎杖と呪いの王の応酬を尻目に、宿儺は我関せずと言った様子で校舎へと歩を進める。その少し後ろをついてきた伏黒が、複雑そうな顔で私を見上げた。
「……………仲、良いんだな」
「虎杖さんよりは仲が良いと思います」
「いや、あれは……。そういう次元じゃないと思う」
「それに私より、恵の方が仲良いですよ。お膝に乗せてもらったり、一緒にあやとりしたり」
「お膝??? あやとり?????」
「この間は一緒に図鑑を見てました」
「そ、そうか………」
信じられないのか、明らかに動揺した様子の伏黒に苦笑する。伏黒達の世界では明確な敵であるが、こちらの世界では私がいる限り、彼は敵になり切れない。むしろ、私や恵にとっては呪術の先生で、私達一家にとっては守り神なのだ。そういう世界なのだと割り切って貰うしかない。
「…………伏黒姉弟最強かよ」
「おかか………」
「やべぇな、伏黒家………」
二年生達の呆気に取られた声と、宿儺の嫌そうな顔に、耐え切れずに私は笑った。
ちなみに笑ったお仕置きに宿儺に頬をつねられたけれど、今の私にはそれすらもおかしくてたまらなかった。
