幸せの捜索願 番外編






 お使い帰りの津美紀に、またも呪霊が近付こうとしていた。
 今朝は天気が悪かったから、傘を持ち歩いていたのだけれど、持って来ていて正解だった。
 津美紀を宿儺に任せ、私―――――伏黒椿は呪霊を狙う。フードで津美紀の視界を隠した宿儺を横目に、私は呪霊の横っ面に傘を思い切り叩き込んだ。
 塀にぶつかった呪霊をもう一度殴打する。地面に転がった呪霊に跨って、念入りに呪力を込めた傘で思い切り突き刺した。何度も、何度も。完全に祓い切るまで。
 そして、十数回ほど傘を突き刺したのち、呪霊が形を失い、塵となって消えていった。その事にほっとして、振り上げていた傘を下ろす。
 宿儺達の方を振り返ると、フードが外れなくて困惑している津美紀が視界に入る。そして、呪霊が消え去った事を確認した宿儺がフードを外してやるところだった。
 ずっと抑えつけられていたパーカーのフードが背中に戻り、視界が開けた津美紀がきょとんとした顔で私を見つめた。


「お姉ちゃん、どうしたの? 何かあった?」
「ああ、すまない。大きな蜂がいて、追い払ってたんだ。フードが取れなかったのは、宿儺が刺されないように抑えててくれたからだよ」
「そうなんだ。ありがとう、お姉ちゃん。神様にもお礼言わないと」
「そうだな、私も津美紀を守ってくれてありがとうってお礼を言わないとな」


 私の暴行じみた行動を見せないようにしてくれていた宿儺に私と津美紀が揃ってお礼を伝えると、彼は嫌そうに顔を顰めた。
 照れ隠しなのか、本当に嫌なのか。それとも私の感性が本気で分からないからか。
 恐らくは後者だろう。彼は事あるごとに自分を呪いの王である事を宣言している。だから、そんな自分に感謝を述べる理由が分からないのだ。


「お前が教育に悪い瞬間を弟妹に見られないようにしろと言ったんだろう。適当な理由をでっち上げるにしても、もう少しマシなものにしろ」
「どういたしましてって」
「よかったぁ。ちゃんと伝わったんだね」
「妹には聞こえないからと好き勝手言いおって。覚えておけよ、小娘……」


 ちょっと捨て台詞みたいだなぁと考えていると、べし、と掌が額に落とされる。痛くはないが、そこそこの衝撃を感じた。
 考えていることがバレたのだろうか。私の術式にそんな効果はなかったはずなのだが。
 津美紀と手を繋ぎながら改めて帰路につく。
 否、そうしようとした瞬間、宿儺が私を自分の方に引き寄せ、私を守るように背後に庇った。


「止まれ」


 宿儺が立ち止まると同時に、声を掛けられる。宿儺の後ろから覗き見れば、黒い制服を着た三人組が険しい顔で宿儺を睨み付けていた。
 咄嗟に津美紀を抱き寄せる。津美紀は剣呑な表情を浮かべる学生達に怯えた様子を見せていた。


「お姉ちゃん……」
「大丈夫だ、津美紀。津美紀のことは私が守るから」


 服装を見るに高専のカスタム制服だ。見た事のない顔だから、編入生か京都校の生徒だろう。
 呪術師の中には私をよく思っていない者も多いと聞くから、彼等も私を排除したい派閥の人間なのかもしれない。
 きちんとした実力を測れる程の経験が無い。けれど宿儺や五条達には及ばないのは分かった。いや、彼等を比較対象にするのは間違っているのだろうけれど。


「その子達から離れろ、両面宿儺」


 その言葉に違和感を覚える。私が彼と縛りを結び、契約関係にあることを呪術界は把握している筈だ。顔は把握していなくとも、どちらかが術者であることは彼等も分かっているだろう。しかし、彼等の反応はどうも可笑しい。


(もしかして、術者がここまで幼いとは思っていなくて、行動を別にしていると思われているのか?)


 それは拙いかもしれない。ただでさえ恐れられている宿儺が、制御している術者から離れていると言うのは、呪術師にとって最悪と言っていい光景だ。
 私を排除したい派閥だとか以前の問題である。彼等は正しく、呪術師として非術師や力無い子供を守ろうとしているのだ。


「うまく隠しているようだが、俺達は誤魔化せねぇぞ」
「何を思ってその子達に近付いたか知らないけど、その子達に何かしたらただじゃ済まさないわよ」


 彼等の言葉に更に疑念が湧く。弁明の言葉を述べようとしていた口を思わず閉ざす。
 宿儺の性質が反転しているのは呪術界が認識しているはずだ。もしかして、彼等にまで情報が降りていないのだろうか。それとも宿儺が人間の子供に下ることを信じていないのだろうか。
 けれど、宿儺は呪術界と縛りを結んでいる。だから呪術界が不利益を被る事は出来ない。つまり、無闇に非術師を傷付ける事はないのだ。


「お姉ちゃん、あの人達、知ってる人?」
「いや、知らない人だ。どんな人達か分からないから、私から離れるな」
「う、うん………」


 宿儺は澄ました顔で呪術師達を見つめていた。特に脅威を感じているわけでは無いようで、いつものように悠々とした態度だ。
 けれど私の前に「これ以上進むな」と示すように出した手は、いつでも対処出来るように指先に力が入っている。


「あんた達、こっち来なさい。それかそいつから離れなさい」
「そいつは危ない。こっちおいで」


 三人組の一人、紅一点の少女が厳しい口調で私達に声を掛けた。続けて、淡い髪色の少年が私達を手招く。
 彼等は宿儺を脅威として認識していても、現状において私達にとっての脅威は素性も分からない彼等の方なのだ。私達を想う心から来る言葉でも、それを聞き入れることは出来ない。


「い、嫌です。知らない人の言う事は聞けません」
「私達にとって、素性も分からないあなた達の方が危険です。そちらには行けません」


 私の言葉に宿儺がチラリと私を見下ろして、複雑な顔をした。けれどそれは一瞬で、すぐに表情を消し、呪術師達に向き直る。
 呪術師達は宿儺に怒りの感情を向けていた。


「宿儺、テメェ……! その子達に何を吹き込んだ……!」
「呪いに何を言っても無駄だ。宿儺が子供達を解放しないなら、力づくで引き離すしかねぇ」
「私達はあの子達の保護を優先。あとは五条先生が来るまで時間稼ぎよ」


 方針を定めたらしい呪術師達が構える。
 住宅街で交戦する気かと、津美紀を抱きしめる両手に力がこもる。
 津美紀は異様な雰囲気に泣きそうになっており、私の顔に力が入る。きっと私は険しい顔をしているだろう。


「宿儺、私達を連れて逃げてくれ。こんな所で戦えない。高専か父さんのところに」
「ならば高専の方がいいか。あそこならば巻き込まれる者も居らんだろう」


 呪術師達に聞こえないように囁くと、同じように小声で返事が返される。
 呪術師達はじりじりと隙を狙っており、今にも飛び掛かってきそうな勢いだ。


「津美紀、今から宿儺に抱えて貰って移動するから、しばらく目を閉じていてくれ」
「う、うん」
「………怖い思いをさせてすまない」
「お姉ちゃんのせいじゃないよ」


 もう一度ぎゅっと抱きしめると、津美紀からも抱きしめ返される。そのことにほんの一瞬だけ喜びを感じ、すぐに思考を切り替える。
 いつでも大丈夫だという気持ちで宿儺を見上げると、次の瞬間には彼に抱えられていた。
 ふわりとした浮遊感を感じ、視界が街中から空に移り変わる。
 呪力の膜で身体を守られ、身体に負荷が掛からないようにしてくれているのが分かった。
 慣れない感覚に戸惑ったのか、私の身体に回った津美紀の腕に力がこもる。

 津美紀を巻き込みたくない。もう巻き込まれてしまったようなものではあるけれど、戦いの場に居て欲しくないのだ。このまま撒いてしまえればいいのだけれど、彼等の様子から察するに、私達を逃がしてくれる気はなさそうだ。
 それに、彼等には「五条先生」という援軍が居る。私達の知る五条の親戚か、苗字が同じだけの無関係な人間か。出来れば後者であって欲しいけれど、そうもいかないのが呪術界だ。恐らくは五条家に関わりのある人間だろう。学生の身の上である五条悟が特級の地位を得るだけの実力を有しているのだから、その血縁の才能もそれに追随している可能性がある。そんな援軍から、私達足手纏いを連れた状態の宿儺が逃げ切れるとは思えない。


「………チッ」


 宿儺の鋭い舌打ちの音を耳にした瞬間、ゾッとするような気配が近付いてくるのが私にも分かった。
 五条に追随するどころの話ではない。五条よりずっと強い。今ここに向かっているのは、私にも分かるほどの、圧倒的な実力者だ。


「来るぞ」


 その言葉に身体に力を入れ、しっかりと津美紀を抱きしめる。その瞬間、私達に向かって伸ばされる掌が視界を覆った。


「………………っ!!!」


 いつの間にこんなに近くにまで迫っていたのだろう。こんなに強大な存在が、目の前にまで迫っていて分からない訳がないのに。まるで空間を捻じ曲げて現れたようではないか。
 私達に向かって伸ばされた手を、宿儺の腕が大きく弾く。いつの間にか宿儺が腕を生やし、三本の腕で私達を庇い、残り一本で対応したようだった。


「…………へぇ? あの両面宿儺が小さな子供を守るような事もあるんだ?」


 住宅街を抜けた先に降り立つ。宿儺と同じように降り立った男が意外そうな声音で囁いた。
 相手は黒い服に、黒いアイマスクを付けた怪しげな見た目の男だった。軽薄そうな笑みが、やけに似合っている。


「こ、今度は何?」
「さっきの人達の仲間みたいだ。私達を傷付けるつもりはないみたいだけど………」


 地面に降り立ったことを察した津美紀が目を開ける。怪しい男を見て、恐怖に顔を強ばらせていた。


「なぁんでそんな事になってんのか分かんないし、お前もおかしな事になってるし、呪術師としては見逃せない事態なんだよねぇ……」


 謎の男は私達を見ているようだった。どうやら彼等に私の情報は降りていないようで、宿儺と敵対する気でいるようだった。


「待ってください。私達は既に呪術界と縛りを結んでいます。東京高専に確認を取ってくれれば分かります。私と宿儺は呪術界が不利益を被る行為を取らないと約束しています。だから、私達は高専所属のあなた達とは戦えない」
「…………何それ、そんな情報聞いてないんだけど」
「私達を認めていない呪術師は一定数居ます。上の人達が意図的に情報を操作している可能性はあります」
「…………なるほどね」


 思い至るものがあったのか、男が納得の意を示す。
 けれど、男は未だに臨戦態勢だ。


「でも、そんな大事を、僕に隠し通せるとは思えないんだよね」
「………何が言いたいんですか」
「君が宿儺に騙されてるっていう可能性もあるよね」


 軽く言い切った男が、指先に呪力を集約する。
 住宅街から程近く、私の隣には津美紀も居る。そんな場所で、あんな高濃度の呪力を放たれたら堪らない。
 宿儺だけなら問題ないだろうけれど、私や津美紀はひとたまりも無い。
 宿儺に指示を出そうとしたその時、宿儺と男が弾かれたように振り返った。
 男が術式を解除し、突然割って入ってきた第三者の対処に追われた。


「何、人の娘に物騒なもん向けてんだクソガキ」
「お父さん!」


 乱入してきた第三者、父の姿に津美紀が安堵の声を上げる。ほっとしたのか、津美紀の身体から力が抜けた。
 座り込んでしまった津美紀の肩を撫でながら、私もほっと胸を撫で下ろした。
 実力差は未知数。なのに、父が助けに来てくれたという事実に、もう大丈夫だという安心感に包まれる。
 男が父から距離を取り、僅かに動揺を滲ませた顔を向けた。


「…………お前生きてたの?」
「死んだ覚えはねぇよ」


 つか、誰だお前、と父が訝しげに眉を寄せる。
 目隠しをした男は五条によく似ている。けれど纏う空気は彼とは異なり、軽薄な言動で言い知れない"重み"を隠しているように見えた。


「先生!」
「! 誰だ、呪詛師か!?」


 先程の三人組が男と合流する。
 そして父の姿を見て、学生達が更に警戒心を強めた。


「……………恵?」


 そんな緊迫した空気の中、父が呆気に取られた声を上げた。学生の一人を凝視している。
 恵と呼ばれた一人が、訝しげな顔で父を見つめ返していた。


「…………津美紀」
「……お姉ちゃん、私も気付かなかったんだけど、二人が揃うと分かるね……」
「「あの二人そっくりだな/ね」」


 私達の言葉に、緊迫した空気が霧散してしまう。奇妙な空気が漂い、沈黙が落ちる。


「あの、」


 けれど、いつまでもそのままでいる訳にはいかない。小さく挙手し、声を上げる。


「とりあえず、高専に行きませんか。そうしたら、夜蛾先生達が私達が敵ではないと証明してくれます」


 私の言葉に、彼等はひとまず休戦を了承してくれた。




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