幸せの捜索願 番外編
各地で空間の歪みのようなものが発見された。呪霊の仕業であるのかははっきりしていないが、非術師には視認できないものである。呪霊の仕業である可能性は高かった。その歪みを目視した窓や補助監督達は、呪霊が空間の歪みを各地に設置して、迷い込んできた人間を捕食するつもりなのではないかという見解を述べていた。
万が一、非術師が歪みに気付かずに入り込んでしまっては行方不明者の数が増えてしまう。軽視する事は出来ないとして、呪術師達が派遣されることとなった。
東京で目撃された歪みに派遣されることになったのは、東京高専所属の一年生達である。同時に、北海道に出張していた五条悟が、北海道で発見された歪みの調査に赴くこととなった。
「これか」
学生達が発見した歪みは、大人が通れるほどの大きさだった。人通りの少ない路地裏ではあったが、人が通らない場所では無い。居酒屋などもあり、夜は仕事帰りのサラリーマンなどの帰り道になっているらしい。空間の歪みを視認できない非術師が入り込んでしまう可能性は大いにあった。
「何かRPGに出てきそうな裂け目!」
「呪霊の生得領域かしら」
「その可能性が高いと思う。実際に入って調査するって事になってるんだ。気を引き締めていくぞ」
「それは分かってるんだけど、ちょっとテンション上がんね」
「お前な……」
「だって、異世界とかに繋がってそうじゃね?」
裂け目から、向こう側は見えない。ほんのわずかに光が漏れている光景は神秘的にすら感じる。学生の一人―――――虎杖悠仁の言わんとすることも理解できた。
けれど、その緊張感の無さは頂けない。べしり、ともう一人の男子生徒―――――伏黒恵が虎杖の額に手刀を落とした。
「気ぃ引き締めろって言ってんだろ」
「ごめんって!」
「ああもう、いい加減にしなさいよ。こんなんじゃ、いつまで経っても調査が終わらないわ。さっさと行くわよ」
三人組の紅一点―――――釘崎野薔薇が調査の進行を促す。その言葉に二人も頷く。
歪みの先に危険が待ち受けていても対処できるように伏黒が式神を顕現する。玉犬に先頭を行かせ、三人もその後に続いた。
待ち受けていたのは、ごく普通の住宅街だった。
「…………は?」
「え、どこここ?」
「どこかに転移させられたのか?」
少年院で感じたような、呪霊の生得領域独特の空気は無い。呪霊もおらず、ただ転移させられただけのようだった。
「お、みんなはっけーん!」
すた、と彼らの背後に降り立ったのは担任の五条である。一瞬呪霊の化けた姿かと疑ったが、アイマスクの下の六眼を見せられ、すぐに疑いは解ける。六眼を模倣するのは、一介の呪霊には不可能だ。
「先生もここに出たの?」
「いや、僕は千葉に出たよ。悠仁達の呪力を感じてこっちに来ただけ」
「ランダムに飛ばされてるのね。でも、何が目的なのかしら……」
「さぁな。それを調査するのが俺達だろ」
「そのとおーり! 僕は周辺を見回ってくるから、君達は近場を探索しててよ」
術式を用いて、五条が飛ぶ。それを見送って、学生達は歩き出した。
言われた通りに自分達をここへ招いた呪霊や呪詛師のものと思われる残穢を探していると、小学生の下校時間であると分かった。きゃあきゃあと楽しげに笑う声が耳朶を打つ。この世界と、元の世界に時間差は無いようだった。
近くの公園では、満面の笑みを浮かべた子供達が寄り道をしている様子が伺えた。ベンチの横にランドセルが置かれており、持ち主達はこぞって遊具に群がっていた。
特別子供が好きと言うわけではないけれど、微笑ましい気持ちになって公園を通り過ぎる。公園に残穢の類は見受けられなかった。
公園を通り過ぎて、伏黒があれと首を傾げる。何となく、見覚えのある風景だった気がするのだ。まさかと思いつつ道を進むと、自分の住んでいたアパートの近所である事が分かった。思わず立ち止まって辺りを見渡す。やはり、とてもよく知る住宅街だった。
「どうした、伏黒。何かあった?」
「………ここ、俺ん家の近くだ」
「マジ? 何でそんなところに………」
先程の公園は、伏黒の通学路からは少し外れている。その通学路の途中には他にも公園があったから、伏黒が立ち寄るのはもっぱらそちらの公園だった。時折気分を変えたいのか、姉の津美紀に誘われて先程の公園に赴くことが何度かあった。そのため先程の公園の記憶はあまりなく、気付くのが遅れてしまったのだ。
今立ち止まっている場所の、もう少し先の曲がり角、そこが伏黒達が通っていた小学校へと続く通学路だった。親が居なくて苦労したけれど、それでも津美紀の笑みが消える事のない平穏な日常を送っていたときの記憶だ。懐かしくなって目を細める。
すると、丁度曲がり角から1人の少女が現れた。長い黒髪を、高い位置で束ねた幼い女の子。ちらりと見えた横顔を見て、伏黒は息を呑んだ。
「津美紀………?」
呆気に取られた声が漏れた。
そんなはずは無い。ただのよく似た他人だと頭を振るも、その顔があまりにも幼少期の姉にそっくりで、伏黒は動揺を隠せない。
そんな伏黒の様子に虎杖達が顔を見合わせる。
「津美紀って、お姉さんの名前?」
「あの子がお姉さんに似てんの? 親戚とかかな」
親戚、と言われて伏黒の頭が冷えていくのを感じた。
アパートに住む以前の住所を、津美紀は覚えていなかった。住所を覚えるには幼過ぎて、親も教えていなかったのかもしれない。親戚の顔を覚える前に親が蒸発してしまったから、親戚関係も全く知らない。自分達の家の近くに親戚が暮らしていたとしても、伏黒達には判断がつかないのだ。
もしかしたら、津美紀に近しい親戚の子かもしれない。そう思うと、伏黒は強張っていた顔をようやく緩めることが出来た。
「悪い、あんまり似ててちょっと驚いた。多分、親戚かなんかだと思う」
「そっか。たまに従兄弟とかでも、兄弟かなって思うくらい似てるときあるよね」
「隔世遺伝とかもあるし、人類の神秘よね」
気持ちを切り替えて、調査の続きに戻る。ほんの少し後ろ髪を引かれながら、伏黒が虎杖達の後に続く。そのとき、津美紀によく似た子供に、四級程度の呪霊が近付いているのが視界の端に映った。咄嗟に攻撃の構えを取るが、その脇をすり抜けていく小さな影に気を取られ、行動が遅れた。
小さな影は、ランドセルを背負った子供だった。傘を片手に呪霊に飛び掛かる子供の姿に、呪術師達は目を見開いた。止めようとした時にはすでに、子供は刀のように構えた傘で呪霊を壁に叩き付けていた。